今日は与太話を書きます。

この前twitterで女子高生が電車で正論言って拍手喝采が起きる話大喜利が流行りました。

つまりその前に女子高生が云々するでっち上げのツイートがバズりまくってた状況が存在し、それを皮肉って大喜利が始まったという事です。
女子高生ツイートとは、自分が思ってても言う相手のいない正論を女子高生に言わせておっさんを論破する物語にして留飲を下げるという、それ自体は他愛もないものですが、それがドッカンドッカンバズッてtwitterに流れてくる状況はなかなか興味深いものです。

そういう事をする女子高生もどこかにいるかもしれないと思ってる人が多くなければバズらないでしょう。
要するに女子高生と言うのは現代のリアルとファンタジーのせめぎ合いのボーダーライン的存在なのです。

近代的合理主義が台頭する以前の人々は妖怪の存在を普通に信じている人が多かったようです。
妖怪には「擬人化した現象」という側面があると思います。
例えば風が吹くなどして砂煙を浴びたら、これは「砂かけ婆」の仕業だと解釈します。

そのように何でもかんでも「妖怪のせいなのね そうなのね」という感じで近代合理主義以前の人々は世界を解釈していたのではないでしょうか。
神話なども同じような構造を持っており、人々は神話的世界観の中で祭礼などを通じて世界そのものと親しく繋がっていました。
リアルとファンタジーの境界が無かった時代と言えるでしょう。

近代科学の発達に伴い、真面目に妖怪の存在を信じてる人はあまりいなくなりました。

しかし、人々は心のどこかでファンタジーを渇望しています。
人間は科学的解釈より神話的(擬人化的)解釈の方が本能的に受け入れやすいからです。
それに、目に見える物だけが現実というのは世界そのものから自分を切り離してしまう、神も妖怪も幽霊もいない、孤独で虚しい世界観かもしれません。
とは言え今さら非科学的なファンタジーを信じる事もできない。
人々はリアルとファンタジーのジレンマに苛まれるようになり、常にリアルとファンタジーの区別を付けながら生きるハメになりました。

そしてリアルとファンタジーのせめぎ合いが始まりました。
1910年ごろには、迷信やら何やらを否定した反動からか、「でもエスパーはそういうのじゃないから」と言って大真面目に透視術の実験がされたりしました。

1970年頃には、「妖怪はインチキだけど宇宙人はそういうのじゃないから」と言ってUFOブームが起きたりしました。

しかし今となってはエスパーも宇宙人もファンタジーの世界に追いやられてしまったかに見えます。
我々の世界観はますます窮屈になり、目に見えるものだけがリアルだと言わんばかりになってます。

では今時のリアルとファンタジーのせめぎ合いの最前線はどの辺なのでしょうか。

ゴールデンカムイでは明治末期の北海道が舞台になっており、アイヌの娘のアシリパさんがアイヌ文化を紹介してくれたり、土方歳三が生きてたりします。
現代の我々からするとまるで異世界物でエルフの村でどうのこうのみたいな話と同じくらいのファンタジー感がありつつも、超自然的な要素は何もないし、何となく信じられる感じです。
この辺がフィクションのせめぎ合いの最前線なのかなと思いました。

そんでtwitterでのせめぎ合いの最前線は女子高生です。
アニメでも主人公が理由なくモテモテハーレム物はすでにファンタジーの領域に追いやられ、最近のトレンドはゆるキャンみたくかわいい女子高生がおっさん的趣味をやったりするヤツです。
社会の現実に擦り切れつつあるアニメファンたちはもはや冴えない男が理由なくモテモテなんて話は信じられませんが、自分の知らない女子高生同士の世界とかならまだ信じられるフィクションのレベルがこの辺りという事でしょう。

しかしいずれはそういう都合のいい女子高生の存在もファンタジーの領域に追いやられてしまうかもしれません。
その時に最前線はどこまで後退してしまうのか…

ズバリ、女子高生がファンタジーの領域に追いやられたら、次はおっさん同士の百合が来るでしょう。
美少女vTuberおじさんのねこますさんとのらきゃっとさんが百合してる動画を観てください。
ゆるキャンはファンタジーだけどバーチャル百合おじさんはそういうのじゃないから。