例によって最近もキヨ氏のゲーム実況動画をよく観てますが、その中で「らせんの宿」というゲームがやたら面白かったので、それについて書いてみます。

ネタバレとか普通に書いていくので、ゲームプレイ、あるいは動画視聴されている事が前提です。

「らせんの宿」の舞台となるのは一軒の民宿、たったそれだけにも拘らず、キヨ氏のプレイ動画は7時間半ものボリュームに達してます。

このジャンルで有名な「青鬼」がプレイ時間1時間半くらいな事を考えると、相当な長編です。
アンダーテールですら一周6時間ほどで終わりますから、同じくらいのボリュームかもしれません。
まあ、キヨ氏はセリフを読み上げてますから、普通のプレイヤーよりもプレイ時間がかかるという面はあるかもしれませんが、カットしてる部分もある事を考えるとトントンかもです。

場所に紐づくタイムリープ

舞台の規模が小さい割に、ストーリーのスケールがでかい要因の一つは、タイムリープの要素です。

ストーリー上、「らせんの宿」の民宿では、1週間が経過するごとに、全てが1週間前の状態に復元され、その際に死んだ人も生き返ります。
おおむねタイムリープしたような感じになります。

タイムリープ物といえば、ビジュアルノベルだと”シュタインズゲート”や”ひぐらし”などよく見かけますが、RPGツクールやウディタ製のホラーゲームでは珍しいのではないでしょうか。
というのも、そもそも死んだりバッドエンドを迎えたりしたらセーブデータをロードしてやり直すので、元々ゲームシステム自体がタイムリープ物みたいなもんだろうという話がある気がします。

第一、ホラーゲームでタイムリープしたらまた謎解きやら探索をやり直すハメになって、普通に考えると面倒な気がします。
しかし、本作では2周目で民宿の構造が変わってしまいますし、展開も別物になるのでやり直し感はないです。

さらに本作の設定で斬新だなと思ったのは、タイムリープ時に防空壕の地下にいる人だけは、次の世界に記憶が引き継げるという点です。
普通のタイムリープ物では、特定のキャラクターがタイムリープ能力を持っている形が多いですが、本作では場所に紐づいてタイムリープが行われる形になります。

実は、本作の一週目の時点で、すでに主人公の一行は何度も周回ループを行っている状態で、しかし主人公はその事を覚えてない事実が判明します。
実は友人のカケルだけが記憶を引き継げていて、どうにかしてみんなを脱出させようとあれこれ頑張って過去の周回ループではずっと主人公的な活動をしていました。
しかし、カケルはタイムリープを繰り返す中で何度も凄惨な体験を繰り返したせいでメンタルを病んでしまって、限界に達した彼は自殺してしまう事でこれ以上の記憶の引継ぎを拒否します。
それで代わりに主人公が防空壕で記憶を引き継いで、主人公役が交代するみたいな形になります。

斬新な設定なのでちょっと説明が難しいのですが、とにかくそのおかげで目新しいストーリーが体験出来て面白いです。

ホラーと救済

実況動画のコメント欄を見ていると、「感動した!」みたいなコメントが多いです。
私も動画を観て感動しました。

ホラーゲームで感動ってどういう事?と思うかもしれませんが、本作はホラーゲームであると同時に、キャラクター(ヒナタ)を救済する物語でもあります。

青鬼の敵キャラは”青鬼”ですが、本作では”赤おばさん”という敵キャラが登場します
つまりゲームの目的は赤おばさんから逃げながら民宿からの脱出を目指すというものです。
一方、ヒナタというのは民宿にいる友好的な幼女の幽霊です。

ゲームを進めるうちに、民宿から脱出する本当の条件は、ヒナタの魂を救済して成仏させてあげる事だと判明します。
つまり、恐ろしい赤おばさんから逃げ回るというホラーゲームだったはずが、気付いたらいつの間にかヒナタを助けるためにみんなで頑張るというポジティブな動きにすり替わっていきます。

これによって、プレイヤーの恐怖の感情が昇華される事で、ゲームプレイ後の満足感に繋がってるのかな?と思いました。

健気すぎるヒナタ

ヒナタの親はかなりろくでもないヤツらしく、幼いヒナタをネグレクトしていたらしい事が描写されます。
その挙句、ヒナタと弟のタイヨウを山小屋に置き去りにしていきます。

ヒナタは弟の事を非常に愛していて、弟を助けるために吹雪の中出かけていって、遭難してしまい亡くなってしまいます。

この、ロクデナシの親からの、姉弟の強い絆というギャップがメチャメチャ健気で、絶対にヒナタを救済したい!と思わされます。

ろくでもない親(毒親)というモチーフ

本作では、元を辿ればこいつが悪い!という物語の元凶は、ヒナタを置き去りにした母親だと言えそうです。
さらに、赤おばさんの正体も、大人のせいで死ぬハメになった子供たちの怨念である事が明かされます。
それにしても、こういうゲームだと”ひどい親”という元凶のモチーフがやたらめったら使われるような気がしますね。

たとえば、ちょうど私が昨日プレイした「夜明けのスイッチをいれて」というゲームでも、ツキシロ先輩は美大に進学したかったのに、アンドロイド技師を目指す事を強制した母親のせいで、ツキシロ先輩は自殺してしまいました。

「Ann」というゲームでは、主人公は両親が育児方針とかで揉めまくった挙句、親戚に預けられるハメになるという回想があります。(映画だと主人公にトラウマを持たせがちだけど、ゲームでは主人公にトラウマ持たせても操作するのはプレイヤーなわけだから、効果が薄いかも)

どうしてこんなに”ひどい親”のモチーフは多用されるんだろう?と考えてみましたが、やはりそれは誰でも共感しやすいモチーフだからでしょうね。
いや、みんなの親がひどいヤツとか言ってるわけでは無いですが、誰だって普通は親が存在しますし、親とのなんらかの軋轢は、何かしら大抵の人が経験してるでしょうから、共感しやすいという事です。

それにしても、何か他に代わりに利用できるようなモチーフって無いんでしょうか?

「Ann」では元はと言えば、専門学校の校長が生徒に対してセックスと引き換えにエコヒイキしてた悪事が元凶でしたが、こういうモチーフはちょっと生々しすぎる気がしますね。

ひぐらしの沙都子は叔父の鉄平から虐待を受けてて、不憫かわいいという感じになってました。

色々考えてみましたが、特にヒナタのような幼女の場合、そもそもまだ人間関係が保護者との関係しか無かったりするわけで、親に問題を持たせる以外に方法が無いな…と思いました。

ゲーム特有の感動の謎

本作、私はプレイ動画観るだけでかなり感動してしまったんですが、前々から思ってたんですが、”ゲーム特有の感動”ってのがあるような気がします。
このゲームの物語を、たとえば小説として読んだ場合に、同じように感動できただろうか?いや、そうならないような気がする…。みたいな。

昔、2ちゃんねるでひぐらしの文章の一部がコピペとして貼られがちでした。その部分だけ取り出して読んでみると、なんか文章がムチャクチャで変じゃない?みたいなニュアンスです。
ビジュアルノベルのひぐらしを、文章の一部分だけ切り出してコピペするのは、フェアじゃないような気がしますね。と言うのも、実際にプレイしていると内容に没入してしまってるからか、文章が変とかどうとか気にならなくて、それより勢いが大事だったりしますし。

「やばたにえん」というゲームでは、ゲームの最後のエンディングとかで真相が明らかになりますが、結構突拍子もない設定が出てきたりしますが、すでに散々ゲームに没入してるためか、「へ~!」って感じで素直に受け取れたりします。

ゲームは、テレビや小説などの受動的なコンテンツと違って、何かそんな風に、スーッと受け入れて感動できてしまう側面がある気がします。
この事について、私は「ゲームをプレイしてる人(あるいは実況動画観てる人)は、心がある種の特殊な状態になってるんじゃないか?」という仮説を持ってます。

我々は、普段の日常生活では割と心のバリアを張って生活しています。
つまり、テレビのCMとか、ドラマとか小説とかはあまり真に受けないようにしてるという事です。
何故なら、イチイチ広告だのフィクションだのを真に受けてたら、疲れて身が持たないからです。
子供の頃はもっとアニメとか特撮とかを真に受けてた気がします。成長するにつれて学習して耐性を付けていったという事でしょう。

しかし、ゲーム…特にホラーゲームを遊んでいる時は、プレイヤーは疑似的に生命の危機を感じながら遊んでいます。大げさな…と思うかもしれませんが、ゲームがフィクションだとしても、ホラーゲームを遊んでる時の我々の恐怖の感情自体は本物であり、ウソではありません。

ですから、ホラーゲームでの探索時は、自分が生存するために、必死こいて情報を集めようとします。
もはや心のバリアを張っている余裕もなく、表示されるテキストも全部真剣に読み解いて、ヒントを得ようとします。
つまり、ホラーゲームなどの特定のゲームをプレイしている時は、ある意味心のバリアを解いた状態になるのかもしれません。
しかし、本作では確かに、序盤は生存のためのヒントが散りばめられているものの、終盤になると回想シーンや裏設定みたいな話、ヒナタの気持ちとかのストーリー情報にすり替わっていきます。

生存のためにやむなく心を開いてたプレイヤーに、ヒナタの感動ストーリーがねじ込まれてしまう事で、プレイヤーは普段だったら「ふ~ん」で済ますような話でもメチャメチャ素直に感動してしまう…そういう人間のバグを突いた技だったりして…とか思ったりしてます。
まあ言うたら”つり橋効果”みたいなもんでしょうか。

何かソースとか根拠があって言ってるわけでは無いですが、経験上、ゲームには何かそういうギミックがある気がするという話です。

この仮説が本当だとすれば、小説やドラマでは与えられない類いの感動をゲームならば与える事が可能かもしれません。
アンダーテールやマザー2の感動とかも、人に伝えるのが難しいですよね。あれもゲーム特有の感動かも。

いずれにせよ、ただ単にゲームにすりゃいいってものではなくて、ゲーム体験(ホラゲで言えば赤おばさんに追いかけさせてプレイヤーをドキドキさせる)に織り交ぜてドサクサでストーリーを伝える…みたいなテクが必要そうです。

おわり

らせんの宿についてはまだまだ書きたい事が一杯あります。

たとえば赤ヒナタというキャラの面白さとか、ユキアツを始めとした過去や未来のキャラなどの設定の壮大さなど。

制作者の赤コワさんが、ストーリーのモチーフの一つである「5億年ボタン」についてブログで書かれていますが、そういう話も面白いです。

5億年ボタンと命の分岐

しかし、細かい点について書き始めると本当にキリがなくなりますので、今回は一旦終わりにします。