前回の話のつづきです。

前回、スーパーマリオのようなゲームはループ寄りだから、続編が作りづらいという話を書きましたが、実際にはマリオはシリーズとしてずっと新作が作られてます。

これについて、宮本さんはこのように言ってます。

で、振り返ってみると、
『マリオ』をつくるときにラクなのは、
技術の進歩が順番にあったので、
自然と変わっていくことができたんですよね。
たとえば、特撮映画をつくってるときに、
特撮の技術が進むと、その手法によって
新しいつくり方ができるようになりますよね。
それと同じようなことで、
技術が進むと『マリオ』も新しくなれるんですよ。
だから、たとえば「本」なんかは、
基本的にはずっと同じ環境でつくられてますよね。
ああいう、ずっと変わらない環境で
『マリオ』をつくり続けろって言われたら、
たぶん、できないと思うんですよ。
そういう意味ではね、『マリオ』というのは
やっぱりラクに続いてきたかなと。

https://www.nintendo.co.jp/n10/interview/mario25th/vol1/index11.html

マリオは新技術が使えるようになるたびに、それに合わせて新作を制作してきたそうです。
つまり、新ハードでグラフィックが大幅に進歩したり、3Dグラフィックスが使えるようになったり、Wiiリモコンや、DSといった新技術に乗っかる事で、代わり映えした感じを出す事が出来たという事です。

なるほどと思いますが、逆に言うと現在の我々がSteamでゲームを出す場合、PS5世代でグラフィックの進歩は行くとこまで行ってしまった感がありますし、Wiiリモコンみたいな任天堂特有のトリッキーなハードウェアが使えるわけでもありません。
つまりハードの進歩に乗っかって新作を作る流れは今となってはもうできそうにないという事です。

まあ、任天堂は「グラ進化させりゃいいってもんじゃないだろ」という感じでグラ進化に頼らずに代わり映えさせるテクも使ってます。
例えば、紙の世界であるペーパーマリオであったり、毛糸のカービィとかみたく、素材を変えてみました!とかです。

それから、アークの無いループ寄りのゲームは続編作りづらい論について、例外もあるっちゃある事に気付きました。
たとえば、ロックマンはループ寄りのゲームだと思いますが、ファミコンの間だけで6まで制作されてます。

この謎についてちょっと考えてみましたが、ロックマンの場合はユニークな敵ボスキャラそのものがアークだから、ボスを差し替えれば続編が作れたという事かもしれません。

インタラクションデザインとしてのループ

さて、前回の記事ではもっぱら、プレイヤーが秒単位で繰り返している”コアループ”について書きましたが、インタラクションデザインの分野で言われるような意味でのループもゲームでは使われています。

https://deseng.ryerson.ca/dokuwiki/design:human-machine_interaction_loop

前回紹介した、ダニエルクック氏の記事に載ってる図を模したものがこちらです↓

例えば、ゼルダのようなゲームを遊んでいて、部屋に閉じ込められたとします。
部屋を見渡すと、なんか床にスイッチみたいなのがあります。

さあ、プレイヤーはどうするか?

①まず、プレイヤーは自身のメンタルモデルに基づいてアクションを行います。

メンタルモデルってなんじゃ?というと、「人間が無自覚の内に持っている、思い込みや価値観」の事だそうです。

メンタルモデルは人それぞれです。
「どうすればいいやらまったく見当もつかない…」という人もいるでしょうし、ゲームに慣れてる人だったら「こういうゲームだと大抵スイッチを踏めば扉が開くよね!」とすぐ気づく人もいます。

②そうすると、ゲーム(ルール)はプレイヤーのアクションに対して成功!とか失敗!とか、なんらかの反応(フィードバック)を返します。

スイッチを踏むと、扉が開きました。
つまり、成功です!部屋から出られるようになりました。

③成功のフィードバックを受けて、プレイヤーは「なるほど!こういう時はスイッチを押せばいいんだな」という知識を学習して、新しい知識がメンタルモデルに積まれます
メンタルモデルに積まれた知識は、次のステージのギミックでも活用されます。
注意すべきなのは、「これは便利な知識だ!」と実感した事しかメンタルモデルには積まれない事です。覚えておいてもどう役に立つのか分からない知識はメンタルモデルには積まれずに忘れられます。

というわけで、以上がインタラクションデザイン的なループによる学習の流れです。

ダニエルクック氏は、アークだと単なる”知識”しか得られないとしてます。
例えば、業務マニュアルを読めば仕事をするための知識は得られるものの、マニュアルに書かれてない状況にはまったく対応できません。

それに対して、ループは単なる知識を超えた”知恵”が得られるとしています。
ループではメンタルモデルの積み重ねが行われますから、新しい未知の状況にも適切に対応する事が可能になります。

前回リンクを張った動画でもこのループが扱われてます。

動画でマイケル氏が言われてるのは、プレイヤーはゲームのルール自体を目で見る事は出来ないという事です。
ですから、ゲームに対して行ったアクションから返ってくるフィードバックを通してのみ、ルールを理解することができます。

動画の中で紹介されている、Hidden Folksというゲームは、いわゆる「ウォーリーをさがせ」みたいなゲームですが、倉庫のシャッターを上にスライドすると中が見れるというギミックがあります。
しかし、このギミックにプレイヤーが気付いてくれないという問題が起きてました。
これは、シャッターを開けれそう…と気付けるようなフィードバックをゲームが提供してないのが問題です。
そこで、シャッターをタップしたら何となく上にスライドできそうなアニメーションが入るようにして解決しました。
フィードバックが無いせいでプレイヤーがルールを理解できなかった問題を、適切なフィードバックを入れる事で解決した話でした。

他の良くない例として、クラッシュオブクランみたいなFF15のスマホゲームが挙げられてます。
このゲームでは日本のスマホゲームによくある感じで、最初に詰め込みで一通りの操作をさせられるチュートリアルが入ります。
マイケル氏によれば、一つ一つの操作が何の役に立ってるのか全然分からないままアレコレやらされるから、知識がメンタルモデルに積まれずに全然頭に入ってこないそうです。

じゃあどういうチュートリアルがいいんだっけ?というと、これは「「つい」やってしまう体験のつくりかた」で出ていた例ですが、ドラクエ1の最初の王様の間です。

ドラクエの最初のシーン、何のチュートリアルも無く始まります。
何故か王様の間の扉にはカギがかかっていて、出られません。

プレイヤーはここで自然と「はなす」とか「しらべる」とかのコマンドの使い方を学びます。さらにカギの使い方、カギは使うと無くなる事などをガンガン学習します。
というか、学習するまで部屋を出られません。

これらの知識はその場ですぐさま役に立つものなので、きちんとプレイヤーのメンタルモデルに積まれていきます。

プレイヤーのメンタルモデル

私がこの辺の話を聞いて、特に興味深かったのは、”プレイヤーはメンタルモデルに基づいて行動する”という話です。

メンタルモデルはそのゲーム内で積まれていくものもあるし、ゲーム外で積まれてたものもあります。

たとえば、FPS視点のゲームなら、WASDキーで移動、マウスで視点操作というお約束があります。ですから大抵の人は操作に戸惑いません。それはいいのですが、ゼロから操作を学習する楽しさは薄いかもしれません。
一方、Vampire Survivorのようなゲーム画面はあんまり他では見かけませんから、最初は何が何だかわからず、完全に空白のメンタルモデルから始めるハメになるでしょう。しかし、だからこそ学習と上達のプロセスは深くなります。

誰でも知ってるハズの常識に頼ったゲームデザインもあったりします。
例えば、ゼルダのパズルで木の棒にたいまつの火を付けて蜘蛛の巣を焼き払うというものがあるそうです。
これは、「たいまつと木の棒があれば、着火できるって常識的に分かるよね?」という、ゲーム外の常識のメンタルモデルに頼っています。

また、メンタルモデルは人によって異なるという点にも注意が必要です。
例えば、ゲームに犬のキャラを出したとします。
この場合、犬に噛まれたことがある人なら「こわい!」と言って逃げるかもしれませんし、逆に犬好きの人なら「かわいい!」と言って近づいていくかもしれません。
ですからゲームデザイナーは、誰でも近寄って欲しいなら犬をメチャメチャかわいくデザインする必要があるでしょうし、逆に逃げて欲しいならメチャメチャ怖くデザインするべきという事になります。
そもそも犬じゃなくてウンコにすれば誰も近寄りたいと思わないだろうからそっちの方が手っ取り早いという判断もアリでしょう。

さて、ダニエル氏が強調しているように、ゲームはプレイヤーのメンタルモデルを積み上げる事ができる、かなり稀有なメディアです。
ですから、プレイヤーのメンタルモデル(思い込み)を裏切る演出が可能です。

例えば、FF7でのエアリスの死は、普通のRPGでプレイアブルな味方キャラが中盤でガチで死ぬなんてあり得なかったので、その分衝撃は大きかったですね。

他にも、武器屋とか宿屋みたいな単なるシステムキャラだと思わせておいて、終盤で急に裏切るみたいな演出も考えられます。

こちらの記事が参考になるかもしれません↓

ゲームシステムを利用した演出

メンタルモデルを裏切る演出で言えば、例によってアンダーテールはズバ抜けています。
そもそも、”誰も殺さなくていいRPG”というテーマ自体が、RPGに対するメンタルモデルを逆手に取ったパロディです。

開幕即、いかにもチュートリアルキャラみたいな体で登場したフラフィーは裏切ってきますし。

アズゴアは”見逃す”の選択肢自体を破壊してきますし。

ずっと白黒だったくせにアズリエル戦では背景と文字色が虹色になっちゃうし。

オメガフラウィー戦ではセーブデータが乗っ取られちゃうし。

サンズ戦ではプレイヤーの枠が動かせちゃうし。

他にも色々ありますが、なんかもう、イチイチ列挙するのがバカバカしくなってくるくらいそういう演出だらけです。
アンダーテールがやりつくしちゃったから逆にもうこういう演出今さらやれないかも…。

こういう演出ってたしかに驚きの効果は抜群ですが、一回やっちゃうと、次回作でもプレイヤーは警戒しまくってもう驚いてくれないし、かと言ってやらなかったらそれはそれでガッカリされそうな気がします。