ニール・コーン氏による「マンガの認知科学 ビジュアル言語で読み解くその世界」を読みました。

このブログではいっつもスコットマクラウド氏のマンガ学を持ち出してますが、他にもマンガ学みたいな本が無いかな?と思ってたところ、今回の本はマンガ学を発展させたものだとかいう話だったので読んでみました。

この本で書かれている主張はシンプルで、「マンガはビジュアル言語だ!」というものです。
たとえば、口で喋る口語は、声を使った言語ですよね。
このブログで書いてるような文章は、文字を使った言語(書き言葉)です。
他にも、手話はジェスチャーを使った言語と言えるでしょう。
であれば、マンガは絵(ビジュアル)を使った言語だと言えるのではないでしょうか?
という話が書かれてます。

それだけなら、飲み会で喋る思い付きの与太話としてちょっと興味深いね、で済むかもですが、ニール氏のえらい所は、さすが研究者なので、”漫画はビジュアル言語説”を裏付けるために様々な理論を持ち出したり、色んな実験を重ねて検証しています。

実験と言うのはたとえば、4コマ漫画から1コマ抜いてみて、被験者に見せた時に抜いたコマを埋めることができるか?みたいな事です。
誰でも抜いたコマを埋めることができるなら、マンガは特定の言語的構造を持っているって言えるよね?みたいな。

他にもマンガを読んでる時の脳波を測定する実験とかまでやったりしてます。

こうやってキッチリ理論の基礎となる部分の証拠固めをしておく事でそこから研究が広がりやすくなります。

とは言え、すいませんが個人的にはマンガが言語だろうが言語じゃなかろうが、あんまりそこは興味ありませんでした。
しかし、話が面白くなってくるのは第2部です。

第2部では、アメコミはアメリカのビジュアル言語、日本のマンガは日本のビジュアル言語として捉えた場合にどうなるか、比較検討されたりします。

ニール氏によれば、アメコミはアメリカのマンガだと見てすぐ分かるし、日本のマンガはそれだとすぐ分かります。これは、英語と日本語の違いみたいなもんです。

ニール氏によれば、日本のマンガの描かれ方はどれも似たり寄ったりで、キャラクターはどれもこれも大きな目、豊かな髪、小さな口、とがった顎というステレオタイプで描かれています。(もちろんなかにはバンドデシネに影響された大友克洋のような例外もいるけど、という点も言及されてます)

こういう漫符とかのいわゆるマンガっぽい表現をみんなして決まって同じような使い方してるのも、文字で言う所の濁点の使い方みたいで言語っぽい↑

それに引き換え、アメコミの絵柄は非常に幅が広いそうで、大きく分類分けするとカービアン(ジャックカービー的な絵柄、要するにアメコミヒーロー系)とバークシアン(カートゥーン系の絵柄)とインデペンデント系(その他)に分けられるそうです。

(まあ、アメコミは絵柄が幅広いけど日本のマンガは全部同じ、なんてのはニール氏がアメリカ人だからそう思うだけで、日本人からすると日本のマンガは幅広いけどアメコミは全部同じ、とか思ってそうだけどな。アメリカ人には日本の細かい方言なんて区別できないだろうし、逆もしかり。みたいな話かも)

で、ニール氏が注目したのは、アメコミの作風は大して海外に波及しなかったのに対して、日本のマンガの作風は世界中の人々に死ぬほど影響を与えまくってるけど、どうしてこんな差が付いたのか?という点です。

(日本人からすると、日本マンガの作風が世界中に影響与えてるとか言われてもあんまピンと来ないけど、言われてみれば、昔は海外のエッチな絵は何だこりゃ?みたいなのが多くて文化の違い感じるな~という感じだったけど、最近twitterで流れてくる海外のエッチ絵は日本人の私から見てもちゃんとメッチャエロい!と感じるものが非常に多い)

ところで、ニール氏が言うようにマンガが言語なんだとしたら、どうしてアメコミは作風が幅広くて人によって描く絵が違うのか?
だって、言語だったらみんなが同じ言葉を話した方が都合がいいので、マンガだってみんな同じ絵を描いた方がいいはずではないのか?

これは、ニール氏が「マンガは言語だ!」と言い出す以前は、マンガはもっぱらアートの一種みたいに扱われてた事に関係があるそうです。
西洋では、アートの教育で、自分の個性が尊重されます。逆に言えば、他人を模倣するのはよくない事だ、みたいな価値観があります。

ですから、マンガを描く西洋人はできるだけ自分だけの個性的な絵柄で描こうと頑張ってしまうので、マンガの作風は人によって全然違ったりするようになってしまったそうです。
そのせいで、言語として考えた場合に、アメコミは人によって全然言葉が違ってしまってるという事なので、言語としては余りよくないと言えます。

それに対して、日本では他人の模倣が悪いどころかガンガン模倣しまくってます
その事は、日本のマンガがどれもこれも似たような絵柄(ニール氏に言わせれば)である事からも明らかです。

つまり、言語として考えた場合、日本のマンガはみんなが一貫して同じ言葉を喋る状態であり、これは優れた言語だと言えます。
ニール氏の分析によれば、この事こそがアメコミが海外に影響しない理由であり、日本のマンガが世界中に影響を与えまくってる理由だとしています。
言語としてみるとみんなバラバラのアメコミよりもみんな同じの日本のマンガの方が影響力が優れているというわけです。

ニール氏は、模倣が悪いなんてのは古臭い考え方であって、最近の研究ではむしろ模倣は創造性を育ててくれる良いものだという事が分かってきているという話もしてます。

なかなか興味深い話でしたが、この第2部の理論については実験で確かめられるような話では無いですから、第1部に比べると主観的というかまだ与太話に過ぎない感があるっちゃあるかもしれません。