自分でゲームを作ろうと思ったら、自分の望むがままに舞台を設定できます。
大草原のオープンワールドだろうが、罠に満ちた危険な古代遺跡だろうが、ネオンでピカピカした夜のサイバーパンク都市だろうが、なんでも自由自在です。
しかし、「何でも自由だよ」と言われても、それはそれで困ります。
どういう舞台に設定すれば効果的なのかが分からないと、決めようがありません。
というわけで、どういう舞台がゲームにとって鉄板なのか考えてみます。
回りくどいかもしれませんが、そもそもゲームとは何なのかから考えてみましょう。
私は今のところ、ビデオゲームとは”デザインされた体験”だとしています。
という事は、ゲームデザインとは、プレイヤーが見るもの、聴くもの、触れるものを設計して、設置する事になるでしょう。
そういう意味では、公園やお化け屋敷、テーマパークのライドを設計する仕事と似ているかもしれません。
公園に遊具を設置する人は、子供たちがその遊具を使って遊んでくれる事を狙っているわけです。
ゲームデザイナーもまた、ゲームに要素を設置して、狙った通りの行動をしてくれるようにプレイヤーに促します。
そして、ゲームデザイナーに促されて行動する事によって、プレイヤーの感情が変化するかもしれません。
たとえば、登山をする場合、登っている最中はつらくて苦しいですが、山頂に登りきると、素晴らしい景色が待っていて、開放的な気分になります。
自身の行動によって、感情が変化する。それこそが優れた体験だと言えるかもしれません。つまり、プレイヤーの行動を誘導して感情の変化を引き起こす事で、優れた体験を与える事に繋がります。
じゃあどんな風に感情が変化するとゲームにとっていいんだっけ?という話がありますが、今回の記事ではそこは深堀りしません。
マンガや映画では、どんな感情の変化を与えてくれるかは作品毎に異なるでしょう。そこに決まった答えは無いのかもしれません。私はこの前”ミスト”という映画を観ましたが、相当ロクでもない類いの感情の変化を与えられました。例えそれがひどい感情の変化だったとしても、感情が変化する事自体に価値があるのかもしれません。
ゲームデザイナーも、どんな感情の変化を与えたいか?というのは最初に考えておくべきポイントかもしれません。公園の設計者だって、最初に子供たちに何を感じさせたいか?を決めておかないと、どんな遊びをさせるべきかが決まらず、すなわちどんな遊具を置くべきかも決められません。
それはさておき、今回の記事で考えたいのは、どういう舞台設定がゲームにとって適切なのか?という話です。
その答えは上で書いた能書きで大体分かります。
プレイヤーの行動をコントロールするのがゲームデザイナーの仕事ですから、ゲームに適してるのはプレイヤーの行動をコントロールしやすい舞台だと言えます。
それって具体的にはどういう舞台やねん?と言うと、”暗くて危険な場所に閉じ込められる”舞台です。
悪い例として、例えばこういうゲームレベルがあるとしましょう。↓
パッと見、別に問題なさそうです。
青空が広がってて、広々としていて、いい感じのレベルに見えます。
しかし、このステージを見ても、プレイヤーはどこに向かえばいいのか見当も付きません。
という事は、このゲームレベルはプレイヤーの行動をデザインできてません。
体験がデザインできないレベルはゲーム(デザインされた体験)として適してないと言えるでしょう。
このブログでは毎回ダシにされてるMatrix Awakensですが、これもやっぱりプレイヤーの行動を誘導できてない(というかそもそも目的が用意されてない)のでゲームとして不適切と言えます。どこに行けばいいのかサッパリ分かりません。↓
「だったらプレイヤーがどこに行けばいいか分かるようにすりゃいいんだろ!」と思って、こんな風に「右に行け!」と画面に表示しちゃったらどうでしょう?↓
これは正直良くないです。
プレイヤーはゲームから命令されるとイラッとするからです。
プレイヤーは「自分の直感でゲームが進んだ!」と信じたいです。露骨に誘導されると「余計な事すんな!」と感じます。
スーパーマリオブラザーズでは一切チュートリアルとか無しでゲームが始まります。
それなのに、プレイヤーは自然と右の方に行きたいなあ…と誘導されてゲームを進行できます。
ここまでの事は”つい本”に書いてますが、じゃあ具体的にどうやったらプレイヤーを誘導できるのかは本には書いてませんでした。
この具体的な誘導テクについては、Unityの安原さんによるこちらの動画で説明されてました。↓
主人公を暗いトンネルに放り込むと、狭い、暗い、怖いと思ってプレイヤーは緊張します。
そこに一筋の光が差し込むと、プレイヤーは本能的にその光に向かってしまいます。
つまり、こうです。↓
先ほどのゲームレベルから、天井をふさいで暗くして、ライトを追加しただけです。
これなら何も命令しなくとも、普通の人は「明るい右の方に行きたい!」と思うでしょう。
ゲームの舞台を”暗い場所に閉じ込められる”とするだけで、恐ろしいくらい簡単にプレイヤーの行動を誘導できるようになります。
「別に閉じ込めなくても暗いだけなら夜の街とかでもいいんじゃないの?」と思うかもしれませんが、安原さんによれば、人間は緊張状態にあるほど習性に従って行動しやすくなるそうです。
つまり、プレイヤーを暗い場所に閉じ込めて緊張させる事で、ゲームデザイナーはますます簡単にプレイヤーを誘導できるようになります。
狭くて暗い場所は不快ですし、さらに閉じ込められたとなると何としても脱出したいと自然に思いますから、ゲームの目的(脱出)もハッキリさせることができます。
もしも閉じ込められたのが快適で安全な場所だったら、必ずしも脱出したいとは思わないかもしれません。
映画のミストでも、「スーパーにいれば食料も沢山あるし、わざわざ危険を冒して脱出する必要なんてない!」と登場人物の間でも意見が分かれてしまってました。
そういえば、今はネトフリとかで家でいくらでも映画を観れるのに、それでもわざわざ映画館まで出向いて暗くて狭い場所にぎゅうぎゅうに詰め込まれて映画を観る人も多いです。
映画館は体験をデザインしてるというよりは興行の都合でそういう作りになってるだけかもしれませんが、結果的には観客は緊張状態に置かれて、家にいるより感情が揺さぶられやすい状態になってるのかもしれません。
さて、このようなテクは、実際に色んなゲームで多用されてる事に気付きます。
というか、大抵のホラーゲームや脱出ゲームでは暗くて狭い所に閉じ込められるハメになります。
例えば、ICOでは主人公の少年は”影”が跋扈していて崩れかかって危険に満ちた城から脱出します。
Undertaleでも、主人公は暗い地下世界から地上への脱出を目指します。
殺戮の天使も地下からの脱出です。
青鬼も危険な洋館からの脱出を目指します。
Inscryptionでもやたら暗い小屋から脱出しようとします。
こちらの動画ではアンチャーテッド4でのレベルデザインについて語られています↓
あるレベルでは、主人公は暗くて窮屈でメッチャ天井が低い洞窟にいます。
究極に緊張とストレスがかかる状況ですが、そこから出口に辿り着いた途端、広々と開放的な絶景が見られます。
暗くて狭い場所は、そこから抜けた時の気持ちよさに繋げる事も可能です。
このように、舞台設定次第では、プレイヤーの行動だけでなく、感情の変化も誘導する事が可能です。
というわけで、主人公を暗くて危険な場所に閉じ込める事が、ゲームデザイナーにとってどんだけ便利で鉄板かという話でした。
しかし、じゃあ作るゲームは必ずしも全部そうしないといけないのでしょうか?
「ブレワイは明るくて広いオープンワールドの平野じゃねえか!」という意見もあるでしょう。
この法則に従ってないゲームも一杯存在します。
私が思うに、必ずしも暗くて危険な場所に閉じ込めなくても、プレイヤーの行動をコントロールする事は可能っちゃ可能でしょう。
ですが、明るい広々とした場所でプレイヤーの行動を誘導するのは、相当難しいと思います。
特に、オープンワールドなんかだと、プレイヤーはどこでも好き勝手に行きたい所に行けてしまいます。まだそっちは行くな!とかプレイヤーに命令したらオープンじゃないからオープンワールドじゃなくなります。
ブレワイでも、最終的には解決できたものの、プレイヤーの体験をコントロールするのに相当な苦労を払っているようです。↓
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つまり、「オープンワールドとかでもプレイヤーの行動を誘導する事は不可能ではないが、すっごい大変だから、ラクしたいならとりあえず暗くて危険な場所に閉じ込めた方が簡単」という結論になるでしょう。