現在放送中のスパイファミリーのアニメがやたら面白いので、どうしてこんなに面白いのか、とりあえず1話から考えてみたいと思います。

舞台

物語の舞台は、ウェスタリス(西側)とオスタニア(東側)の隣り合う二つの国です。
主人公はウェスタリスのスパイであるコードネーム”黄昏”(面倒なので以下ロイド)という男です。

ある日、ウェスタリスの外交官が暗殺されました。
これは、オスタニアの極右政党の仕業です。彼らは二国間で戦争を引き起こそうとしています。

ロイドは戦争を未然に防ぐためにオスタニアに送り込まれます。

ロイドはクソ野郎!?

ロイドは任務のために偽名を使って敵の娘であるカレンと付き合ってました。
しかし、任務が終わってお役御免のカレンをいきなりフッてしまいます。

君の話には知性を感じない」とまで言い放ちます。事実だとしてももっとこう…あるだろう、言い方が!

とは言え、後でカレンは色々と犯罪を犯していて同情の余地がない事が分かりますが、現時点ではロイドは任務のためなら何の罪もない人を利用して使い捨てる冷酷な男にしか見えません。

まあ、スパイという仕事自体、冷酷にならざるを得ないという事情はあります。
ですが、ロイドが本心では何を考えているのかまださっぱり分かりません。

映画の主人公はどうあがいても好ましい人間でなければならないと言われています。視聴者が応援したくなるキャラです。
単なるロクデナシのクソ野郎の話なんてどうして見続けたいと思いますか?

「悪い殺し屋を主人公にするとしたら、コメディにするしかない」みたいな話をどっかで見かけました。
悪いヤツが悪い事をしてるのを観てると、観客は応援するどころか「こんなヤツには天罰がくだっちまえ!」という逆の期待を覚えます。
ですから、悪いヤツがロクでもないトラブルに巻き込まれ続けるみたいなコメディ映画はまあ成立します。

オペレーションストリクス

次に、ロイドは一週間以内に子供を用意して名門学校に入学させるという無茶振りな任務をもらいます。

ロイドは孤児院に行って、アーニャを引き取ります。
もちろん、任務のためです。カレンの時と同様に、任務さえ終わればアーニャを捨て去るつもりです。
いくら任務のためには仕方ないとは言え、また本心で何を考えてるかは分からないとは言え、何の罪もない子供を利用して使い捨てようとするなんて、完全にクソ野郎です。

視聴者は、「こんなヤツ、ロクでもない目に遭え!」と思います。
実際、期待通りにロイドはこれからトラブルに巻き込まれます。

ロイドはスパイとしては完全無欠ですが、子供の扱いはサーパリ分かりません。
アーニャの不規則な行動に振り回され続けます。
完全にコメディ映画路線に突入しました。

スパイとエスパーが巻き起こすトラブル、コメディ展開

さらに、アーニャは普通の子供よりも余計にトラブルを大きくしてしまってます。
彼女のエスパー能力のせいです。
普通に考えるとエスパーだったら簡単に分かり合えるんだから問題なんて何も起きないんじゃねえの?と思いますが、アーニャは幼い子供ですから、相手の考えが分かっても、内容を正しく理解できなかったりします。(ここがギャグになる)

ロイドは入学試験のためにアーニャに勉強させようとしますが、アーニャは勉強が嫌いです。
アーニャはエスパー能力でカンニングすればいいと思ってますが、エスパー能力は秘密だから言えません。
ロイドは任務のためには何としても入学させたいのですが、任務の事は秘密だから言えません。
お互いが隠し事をしてるせいで話がこんがらがる面白さ、スパイファミリーの設定の真骨頂と言えるシーンです。

ロイドは「子供ってやつは何考えてるか分からん」と愚痴って苛立ちを露にします。
フランキーは「お似合いの親子じゃんか」と言って、ロイドとアーニャが似てる事を指摘します。
さらに「いらん情を抱くな」と忠告します。
つまり、ロイドはアーニャに情が移りつつあるようです。

アーニャの悪戯によって、ロイドの居場所は敵に割れてしまい、ロイドは襲撃されて、アーニャはさらわれてしまいます。
視聴者はロイドがひどい目に遭う事は期待してましたが、アーニャまでがひどい目に遭うなんて望んでませんでした。ロイド、助けに行ってやってくれ!と思います。
ロイドは「今すぐ逃げよう。アーニャの事は見捨てて、また他の子供を探そう」と考えます。
スパイとしての冷静な判断と言えますが、視聴者は「やっぱりクソ野郎じゃないか!」と思います。

叛意と共感

しかし、結局ロイドは敵の本拠地に乗り込んでアーニャを助けに来てくれます。
合理的に考えて、何のメリットも無いのにリスクを冒して敵地に突入するなんて、完全にスパイ失格です。
ですが視聴者は「やっぱりクソ野郎じゃなかった!ロイドはいいヤツじゃん!」と思ってテンション爆上がりします。

そして、ロイドは自分がアーニャにイラついていたのは、子供の頃の自分と重ねていたからだと気付きます。
子供の頃のロイドは戦争の犠牲者で、多分家族も失ったようですが、そうして一人で泣いていても、誰も助けてくれませんでした。
だからアーニャが泣くのを見ると、「泣いたって誰も助けてくれないんだぞ」と思ってイラついてたわけです。

でも、本当は子供の頃のロイドは誰かヒーローに助けてもらう事を望んでいました。
だから、たとえスパイ失格だとしても、アーニャを助けに行ってしまったのです。それは過去の自分を救ってやる事でもあるからです。

ロイドは、スパイの仕事に明け暮れる内に忘れてしまっていた、「そもそもどうして自分がスパイになったのか」という本当の理由を思い出します。
子供が泣かない世界(戦争が無い世界)を作りたくてオレはスパイになったんだ」と言います。
今まで任務の都合しか言わなくて、本心では何を考えてるのかサッパリ分からなかったロイドが、ついに本心を視聴者に明かした瞬間です。
この時、ロイドは変装マスクを取ってしまいます。理屈から言って、この後敵を倒さないといけないんだからまだマスク取るべきじゃ無いんですが、”今まで任務という仮面を被って自分を欺いていたロイドが初めて本心を語る”というのを強調するための演出としてマスクを取る必要がありました。

ロイドはスパイの任務のためとはいえ、子供を利用するなんて完全に間違っていたと気付きました。
これ以上アーニャを利用する事はやめて、警察に保護してもらう事にします。

勇ましくアーニャを助けに来たロイドですが、変装してますから、本来ならアーニャは自分を助けてくれた人がロイドだと気付けないハズです。
話の最初で「諜報員の活動が日の目を見る事はない」と言われますが、世を忍んで暗躍するスパイは、どれだけ活躍しても、誰にも気付かれず、褒めてももらえません
スパイのつらい所です。
ですが、アーニャはエスパーですから、助けてくれたのがロイドだと見抜きます。
本来誰にも気付かれてはいけないロイドの活躍を、アーニャだけは分かってあげられるわけです。

ここからロイドは見せ場のアクションシーンで敵をバチボコにします。
さらに敵のボスを、娘を使って脅迫します。
罪もない人に向けられたらクソ野郎に過ぎないスパイの冷酷性も、悪人に向けられると頼もしくてカッコいいですね。

というわけで、これが映画だったらロイドとアーニャは分かれてビターエンドで終幕…のハズだったと思いますが、アーニャがエスパーだった事で話はねじ曲がります。
アーニャはロイドの元に帰ってきます。ロイドの本心を知ったからです。

「え?結局ロイドはアーニャを利用して任務続行するの?さっきのロイドの子供の泣かない世界をどうたらって話は?」と思う人もいるかもしれませんが、それを言ってしまうと野暮になってしまいます。
何故ならこの時点でほとんどの視聴者はロイドとアーニャの二人が好きになってしまってますから、「終わらないで!また二人でくっ付いて話を続けて!」と懇願してしまいます。
期待通りにまた二人がくっ付いてストーリーを続けてくれるわけですから、細かい理屈はもうどうでもええねん。

こうして、たった20分のストーリーの中で、最初は女子供を利用するクソ野郎だったロイドが、視聴者に応援される素晴らしい主役へと鮮やかに変貌したわけでした。

どうしてロイドは最初クソ野郎だったのか

「どうせ1話の最後でいい人になるんだったら、最初からいい人で良かったんじゃね?何でわざわざ最初はクソ野郎にしたの?」という意見もあるかもしれません。

しかし、そもそもロイドがいい人だったら任務のためにアーニャを利用しようとしなかったでしょう。

例えばスパイファミリーのアニメを2話から見始めた人がいるとします。
その人は、「ロイドはいい人なのにアーニャを利用してるのは矛盾してる」と思うでしょう。

1話さえ観れば2話以降の矛盾した状況は納得できます。逆算するとロイドは最初にクソ野郎になってもらうしかありません。

また、1話のドラマが余りにも鮮やかだったので忘れがちですが、このアニメは基本的にはコメディだと思います。
コメディでは主人公はロクでもない目に遭い続けます。
単なるいい人がひどい目に遭い続けてたら、それは可哀そうなだけです。こんなヤツ、バチが当たっちまえ!と視聴者が思うようなクソ野郎の方が、ひどい目に遭っても笑えて、だからコメディになります。

ホームアローンでマコーレーカルキンのエグいイタズラは、被害者が悪い泥棒だから笑えるんであって、これが罪もない人だったら笑えないし許せません。

ロイドは1話でアーニャについてはとりあえず改心したものの、それ以外の点については基本的に冷酷なスパイのままです。平気で嘘を付いたり他人を騙して利用しようとします。
まだロイドが充分にクソ野郎性を残してるからこそ引き続きコメディが成立します。

凄まじいコントの嵐

以前の記事でも書きましたが、ヒロユキ先生の理論によると、マンガはキャラクターの魅力を伝える事が一番重要であって、そのためにはキャラクターのアクションとリアクションをひたすら見せるべきだという話があります。

アクションとリアクションというのは、要するにコント、漫才、ギャグの事と言っていいでしょう。

スパイファミリーでは、1話から凄まじい勢いでギャグが連打されます。
試しに1話のギャグを羅列してみましょう。

・ロイドが変装してて「バカモーン、あいつがルパンだ」みたいなくだり
・カレンをこっぴどく振るくだり
・新聞にコーヒー吹いて破り散らかすくだり
・不審な動きで盗聴器を探す
・「お子さんは男の子?女の子?」「これから決めます」
・アーニャがエスパー能力でクロスワード解くくだり
・”ちち”と呼ぶくだり
・「ずっと前から父の子供」いらん事言うな
・音の出ないピストル 売ってたらな
・アーニャが人混みに揉まれて目立つ
・アーニャが隠れてロイドが勘違いするくだり
・ベーカリーとベーコンを間違えるくだり
・アーニャが頭良くないとバレるくだり
・ピーナツで泣き止む
・スパイなのに育児本読みまくってるくだり
・勉強を嫌がるくだり
・ついてこようとするアーニャを阻止するくだり
・アーニャが適当に操作したら挑発的な信号になっちゃったくだり
・「ちち、嘘つき」
・「ちち、すごい嘘つき」
・「お城に住みたい」「売りに出てたらな」
・アーニャ以外の子供たちが全然試験問題分からないくだり
・俺の命狙ってんのか

1分に1回はギャグやってます

ギャグの連打はキャラを好きになってもらうために一番重要です。
一つ一つのギャグがメッチャ面白い必要はありません。面白すぎてもドラマ側がボケてしまうでしょう。
大事なのはアクションとリアクションでキャラクターがどんな奴か理解してもらう事です。

ギャグの連打さえやってればギャグマンガとしてすでに合格です。
同じような始まり方をして、ギャグだけで済ましてるマンガは一杯あります。

スパイファミリーが異常に面白いのは、ギャグもちゃんとこなしつつ、アーニャを助けに行くくだりでドラマとしても完璧なロジックを展開してきたところです。

ギャグとドラマのダブルコンボによって、視聴者はロイドの好感度が限界突破します。

ラストオブアスとの共通点

ちょっと話が変わりますが、「「ついやってしまう」体験のつくりかた」ではラストオブアスのシナリオが分析されていました。

ラストオブアスでは、主人公はエリーという少女と同行します。
この同行者は主人公が嫌いで、トラブルメーカーでもあり、物語中、主人公とプレイヤーをイラつかせ続けます。
これにより、プレイヤーは主人公と「エリー、イラつくなあ」という気持ちで共感できます。
最後にエリーは死にかけの大ピンチに陥ります。
すると、流石にプレイヤーも主人公も「エリー、さすがに助けてやるかあ」と思うので、プレイヤーは憎しみを超えた共感ができて、プレイヤー自身が成長する事ができます。

実は、スパイファミリー1話もこれと同じ構造を持っています。

視聴者は最初、「ロイド、クソ野郎だなあ。バチが当たれよ」と思ってます。
ロイドがアーニャに振り回されて取り乱してる様子を見ると、「ザマーみろww」と思います。
しかし、アーニャが敵にさらわれると「ロイド、お前はクソ野郎だが、アーニャを助けられるのはお前だけだ!頼む!!」と視聴者は叛意して、仕方なくロイドを応援します。
最後にロイドは「子供が泣かない世界を作りたい」と本心を明して、視聴者はロイドに共感します。
視聴者は憎しみを超えた共感ができて、視聴者自身が成長した気分を味わえます。

このように、視聴者自身を成長させてくれるような体験を与えてくれる事が、スパイファミリーがメチャメチャ面白い理由かもしれません。