最近、ジェシー・シェル氏が書いた”ゲームデザインバイブル”という本を読んでます。
この本は、アメリカにおいて”ゲーム学”を確立した革命的な教科書だそうです。

オススメしてる人がtwitterで沢山いるので、そこまで言うなら読んでみようと思いました。しかし、イマイチ内容に期待はしてませんでした。

というのも、”ルールズオブプレイ”という本もオススメしてる人が多いですが、ルールズオブプレイはまずゲームの定義を厳密に定めてから、ゲームとは何かを語っていく感じの本でした。
そういうのって、「これはゲームと言える、あれはゲームと言えない」みたいな、ゲームを分析する側の立場からの話であって、作り手側の立場の話じゃない気がします。
つまり、あんまりゲームを作る役に立たないんじゃね?と。まあどちらかと言うとゲームデザインのための本というよりゲームスタディーズのための本なのかもしれません。

一方で、ゲームデザインバイブルでは、「ゲームは体験だ!」と言わんばかりに、真っ先に体験の重要性が説かれて、その体験を作るためにどうしていくべきか?という流れで逆算してってゲームデザインが掘り起こされていきます。
私もいくつか本を読んでいった中で、「ゲームは体験だ!」という結論は持っていたものの、そこから掘り下げて考える事があまりできてなかったので、まさにこのような本を求めていました!

ゲームの定義についてあーだこーだ考えるよりも、ゲームをプレイしてるプレイヤーの体験こそが重要なのです!

ジェシー氏が「体験が一番大事!」という大胆な結論に達しているのは、ジェシー氏の経歴が関係しているかもしれません。
ジェシー氏はかつて、サーカスで曲芸師をやってました。サーカスで重要なのは、まさに観客の体験です。曲芸師は、自分の芸がウケてるかどうか、大勢の観客の反応で直ちにフィードバックされますから、体験の重要性が一番身に染みる仕事でしょう。
その後、ディズニーでアトラクションの設計の仕事もしていたようです。このブログでも、ディズニーのライドとかは世界一体験がデザインされた空間だ!という話は書いてますが、だからこそ体験について理解が深いジェシー氏を雇用したという事でしょう。
そのようなジェシー氏だからこそ、ゲームだってプレイヤーの体験が一番大事なんだ!という結論に達する事ができたのは当然の帰結ですね。

さて、結局ここでは何が言いたいのかというと、私は「ゲームは体験だ!」という発見によって他の人より一歩先を行けると思ってました。
しかし、アメリカではゲームデザインの教科書的立場になってるゲームデザインバイブルで、ここまで体験の重要性を押し出してるという事は、すでに世界中のゲームデザイナーは体験の重要性が身に沁みついてるという事です。
という事は私は出し抜いたどころか、みんなより大幅に出遅れてたのを多少取り戻した程度の状況に過ぎないと気付きました。

もっと早く”ゲームデザインバイブル”を読んどけばよかった!!

まあそれはいいでしょう。次の問題は、体験が大事だと分かったのはいいけど、じゃあどうやって”体験”について学んでいけばいいですか?という話です。

”体験”の学び方

さて、ゲームデザインバイブルによれば、体験について学ぶという事は、人間の心の謎を解明するという事です。

そのために使える学問として、心理学人類学デザインの3つの領域が挙げられています。

さらにもう一つ、別のツールとして、”内観”が挙げられています。

内観とは、自分自身の思考や感情、つまり自身の体験を観察する事です。

自分がどう思ったとか、何を感じたかという事は、普通は科学ではまったく無視されます。
例えば、古代ギリシャのアリストテレスは、自分の感覚を信じて、「重い物は軽い物より速く落ちる」と言いました。
理科の授業で「重さが違っても落ちる速度は変わらない」と習うまでは、私もアリストテレスと同じ勘違いをしてた気がします。
このように、内観に頼ると誤った結論に達しがちです。内観なんか使わなくても、ちゃんと実験さえすれば科学的に正しい結論を導き出すことができます。

ルールズオブプレイで体験を重視できなかったのは、内観が非科学的という事で排除してしまったからかもしれません。

しかし、そもそもゲームは科学じゃありません。感覚として納得感があるならば、ゲームの中では感覚に従って重い物の方が速く落ちるように作ってもいいとさえ言えます。
体験とは人間の心の中で生まれるものであって、物理的現実とか科学的事実とは関係ありません。
つまり、内観する事なしに体験のデザインはできません。

さて、ゲームに対して内観するためには、要するに自分でゲームを遊ぶ必要があります。
色んなゲームを遊びながら、その時の自分の体験を観察する事で、ゲームデザイン能力が磨かれます。

しかし、実はここで大きな落とし穴にブチ当たります。
ゲームが面白ければ面白いほど、面白さに夢中になっちゃって、内観どころじゃなくなるという問題です。
ここにゲームを内観する事の困難があります。

ちなみに、ゲームに限らずとも漫画やアニメや映画、小説などでも、結局はユーザーの体験が重要だという点では同じだと思います。
そして、面白いマンガほど、夢中になっちゃって読むのがやめられなくなって、内観できなくなる点も同じです。

このような内観の困難を、どうやって乗り越えればいいか?というと、ジェシー氏は「精神的トレーニングで自身の体験をチラ見できるようになれ!」とか、「禅の境地に達すれば可能」とか、ここにきてかなりワケ分からん事を言い出します。

ジェシー氏は精神的修行によって内観を鍛えたようですが、実は、私に言わせればそんな事しなくても簡単に内観できる方法があります。

それは、自分でゲーム実況動画を録って見返す事です。
ゲームのプレイ中は、ゲームに夢中で内観不可能ですが、それを録画しておいて見返すと、自分の体験を客観的に観察できます。

すでに私は最近はゲームで遊ぶ時は録画してYoutubeにアップするようにしてます。

さらに、ジェシー氏は「自身だけでなく、他人の体験も観察すべき」だと言います。
何故なら、自分が作ったゲームを遊ぶのは、自分以外の他人だからです。さらに他人と自分では感じ方が違ったりするからです。

人間は、自分の体験は自分で内観できますが、他人が体験してる事を直接知る事はできません。テレパシーでも使えない限り不可能です。
ですから、ゲームの場合なら他人がゲームを遊んでる様子を観察して、その表情やプレイング、喋ってる事から他人の体験を推測するしかありません。

そのような観察にうってつけなのが、他人のゲーム実況動画です。
私も最近、vTuberやキヨ氏のゲーム実況をよく観るようになりました。それ以前は、ゲーム実況動画なんて自分でゲームやりたくない人が観るもんだろうくらいに思ってました。

しかし、実際に観てみると、客観的にゲームプレイを観察できる事で、ゲームに対して色々な気付きを得られる事に気付きました。自分で遊んでた時には全然気付かなかった事が沢山あります。

あらためて、誰でも簡単にゲームの体験を観察する手順をまとめます。
1、自分でゲームを遊ぶ(録画する) →体験する
2、録画した自分のゲームプレイを見返す →自分の体験を観察する
3、色んな人の実況プレイを観る →他人の体験を観察する

さらに観察して気付いた事をメモしたりして記録しておくとなお良いと思います。

アニメの場合

前回、スパイファミリーのアニメの1話について分析する記事を書きました。↓

この記事は、視聴者の体験ベースで書かれています。
このシーンでは、視聴者はこう感じた。次にこう感じて、だから最後にこう感じた。みたいな感じです。
一体何を根拠に視聴者の気持ちを断定してんの?と思われた方もいるかもしれません。

実は、私はライブリアクション動画を観ながら書きました。
アニメの場合は、ライブリアクション動画を観れば、視聴者の感情の変化を観察できます。

さらに、ライブリアクションのマッシュアップ動画だと大勢の視聴者をまとめて観察できます
体験の観察をしたい時にはかなり便利です。

しかし、動画映えするためにリアクションを盛ってる人も多いですから、そこは差し引いて考えるべきかもしれません。ゲーム実況でも同じ事が言えます。
あと、基本的にはゲーム実況やってる人はゲームが上手い人が多いという点も留意すべきでしょう。さらに、この実況者、凄く察しがいいなあと思ったら実はこっそり攻略サイトを見ておいただけだったというケースもあり得ます。
そうして考えると、素のリアクションをしてくれる人とか、下手なのにゲーム実況をやってくれてる人というのは制作者目線で言うと貴重な存在です。

ゲームにも実況動画のマッシュアップが欲しい所ですが、ゲームはプレイヤーによってペースや展開が異なるのでマッシュアップできないのが残念ですが、それが面白い所でもあります。

ゲーム実況前提のゲームが増えてきている

ユーザーの体験ありきの制作での成功例として、ルイスキャロルの「不思議の国のアリス」が挙げられます。不思議の国のアリスは元々、アリスという少女に即興で語って聞かせたストーリーが元になっています。
つまり、アリスという極めて具体的なターゲットユーザーの体験ありきで作られたコンテンツという事です。

最近のインディーゲームは、自分のゲームが誰かにゲーム実況される事を完全に意識して制作されてるっぽい作品が多い気がします。
極端な例としてはたとえばべるずさんがキヨ氏に実況してもらうためだけに作ったこちらのゲームです↓

このような作品では、ゲームを遊んでるプレイヤーの顔を具体的に思い浮かべながら制作される事になります。
結果的に、優れた体験を与えてくれる作品が多いです。

体験をデザインするという事はつまり、自分の脳内に、客観的にゲームをプレイして反応してくれる仮想的なプレイヤー人格を生み出すという事でもあるでしょう。
ルイスキャロルの場合はそれはアリスでしたし、べるずさんの場合はキヨ氏だったわけです。

先ほど書いたような、ゲームの体験の観察を繰り返す事で、仮想的なプレイヤー人格の精度を向上して行ける事が期待できます。そしてそれは優れた体験のデザインに繋がります。

自分のゲームは誰が体験してくれるのか?

さて、ここまでは、他人のゲームの体験を観察する方法について書いてきました。

しかし肝心の、自分の制作中のゲームは誰が体験してくれますか?
つまり、プレイテストの事です。

プレイテストの重要性については前に記事を書きました↓

制作中のゲームをプレイテストしてくれる人のアテがある人は、ラッキーです。
アテが無い人は、気合と根性で乗り切る…しかありません。

私が以前に考えた手としては、チャレンジ性が無いゲームを作れば、むしろプレイテストしてもらわなくても大丈夫になるという手が考えられます。

他の手としては、他人のゲームを完コピしたクローンゲームなら、元ネタのゲームですでに面白さが検証済みなので、プレイテスト無しで面白さが保証できるという手もあります。

もっと真っ当な手は無いんか?というと、例えば”Game Tester“というサービスを使うと、お金を払ってテスターさんにプレイテストしてもらえます。

仮に10人に30分間プレイしてもらうと、55ドルです。一人当たり5.5ドル(715円)です。
時給約1400円か…正直結構安いと思います。

ただし、このサービスではプレイ動画をもらえません。アンケートに答えてもらえるだけです。

宮本プレイテストでは、アンケートなんかアテになりません。それよりも、プレイしてる人の表情を観察しなければ、プレイヤーの体験を理解する事はできません。

そこがこのサービスの残念なところですが、例えばテストしてもらうゲームにログ収集を仕込んでおくことは可能です。
例えばUnreal Engineには、ゲームプレイを記録して後からリプレイできる仕組みがありますから、そういうモノを仕込んでおけば、動画が無くてもテスターのゲームプレイを再現する事は可能でしょう。
しかし、テスターの表情を観察できない問題は解決できません。

じゃあもっと他の手は無いんか?というと、例えば短期間で短編ゲームを作りまくってリリースしまくって、数打ちゃ当たる作戦というのも考えられます。
どういう事かと言うと、例えばマンガでも、描いてる途中でユーザーにプレイテストしてもらう事はできません。せいぜい担当編集やアシスタントに意見をもらうくらいです。

ですが、週刊連載のマンガなら、連載中に読者からフィードバックを得られて、内容を改善していく事が可能です。
つまり、週刊連載という小刻みなリリースによって、実質的に読者にプレイテストしてもらってフィードバックしてもらえるわけです。

ですから、ゲームも小刻みにリリースする…つまりゲームの連載マンガ化によって、プレイテストの問題を緩和できるかもしれないという事です。
最近、集英社はゲーム事業を始めましたから、ひょっとするとこういう施策を始めるのかもしれないと思ったりして。

まあ、机上の空論かもしれません。現実にそんなハイペースでゲームリリースを連打してるのは、チラズアートさんくらいのものでしょう。