豊井さんというドット絵を描いている方がいますが、私は豊井さんのドット絵が好きです。
豊井さんは「ドット絵で風景画を描く」というムーブメントを生み出した方です。
豊井さんのドット絵は日本だけでなく、世界中でウケてます。
私が初めて豊井さんの事を知って作品を見た時は、何が良いのか、というかこれが何なのか全然分からなかった…ような気がします。「何故ドット絵で風景を描く必要があるのか?」みたいな事を思ったかもしれません。
”ドット絵はゲームで表示するためのもの”という固定観念に囚われていたのかもしれません。
しかし、何度も見ている内に、見れば見るほど味わい深いというか、なんかエモいな…とハマッていきました。
ぶっちゃけると私は豊井さんの作品の良い所を真似したいと思ってます。
しかし、豊井さんの作品は”何故”良いのか、何がどう良いのか、なかなか分からないのです。
という訳でこの記事ではあーだこーだ論じて豊井さん作品の魅力に迫れればいいな~と思ってます。
論を進めていくにあたって主に使いたいと思ってるソースデッキは、3つの豊井さんインタビュー記事です。
まず、2017年のpixivisionのインタビュー記事↓
https://www.pixivision.net/ja/a/2686
2つ目が、2019年に刊行されたピクセル百景に掲載されたインタビュー記事「「素朴な絵」に向かって」↓
3つ目が、つい先週、2021年11月17日に公開された、クリエイターエコノミーラボのインタビュー記事です↓
https://note.com/creatorecolab/n/n56037bedeb76
これらの記事を元にアレコレ書いていく予定です。
豊井さんのプロフィール
豊井さんのwikipediaのページとか無いので、インタビュー記事を元に適当にプロフィールをまとめてみます。(間違いがあったらすいません)
名前:豊井裕太
年齢:推定30歳(2011年時点で20歳だったらしい)
本人曰く、注意欠陥な上に、神経過敏で臆病な子供だった。父親はそのような事情に理解が無く、折り合いがつかなかった。
絵との出会い:幼稚園の頃、「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」や「ドンキーコング」が好きで、紙に自作のステージを描く
ドット絵との出合い:中学校でのPCの授業中にエクセルでドット絵を描く。その後、MSペイントで架空のゲームの地形や背景を描いたり、既存ゲームのスプライト画像を改造したりする。
高校時代はドット絵では無く普通の絵をpixivに投稿していた。
高校をサボって自転車で海や山へ行ったりして過ごしている内に、中退する。
2011年ごろ、twitterのつてで上京してギークハウスに入居。
ギークハウスにはプログラマーやデザイナーが多く、その影響でドット絵の制作を始める(普通のイラストを描くにもペンタブを持っておらず、ノートPCのタッチパッドでドット絵を制作)
twitterやTumblrでドット絵の投稿を始める。
収入が無いので生活保護を受給。
Patreonを開始。Tumblrで今の窮状を伝えると、世界中でパトロンが集まって、月13~15万円の寄付を得られるようになる。
生活保護受給をやめて、京都で一人暮らしを始める。
和歌山県の熊野の山奥に引っ越す。(2017年の時点で熊野に住んでいる)
熊野に引っ越したのは2017年6月のようです。
熊野の家では蛇やムカデが出現してかなり大変だったそうです。
熊野の家はログハウスなのでやたら虫とかが入り込んでしまっていたらしいです。
最近、実家に引っ越す。(本人曰く、実家にいられなかった原因である父が亡くなって、安心して暮らせる環境になったので、との事)
東京でルームシェアの部屋も借りている状態らしい。
ドット絵制作に使うソフト:EDGE2。色調補正にAdobe Lightroom。
ドット絵である事は必須要件なのか?
豊井さんの絵の魅力、ドット絵である事は必須要件なのでしょうか?
豊井さんはドット絵じゃないイラストも描かれているので、見比べてみれば分かるかもしれません。
まず、ドット絵のツイートをいくつか引用してみます。
次に、ドット絵では無いイラストをいくつか引用します。
いかがでしょうか?
私の感じた事としては、非ドット絵のイラストももちろん豊井さん特有の味が出ていて素敵ですが、やはりドット絵にはなんだかそれ特有の魅力をありありと感じます。
「いや、そもそもこれらは別々の絵だから比較にならない!まったく同じ絵について、ドット絵と非ドット絵を見比べてみないと何とも言えないね!」という意見もあるかもしれません。
そういう方はこちらのサイトを試してください↓
このサイトではドット絵のギザギザを滑らかに変換してアップスケールすることが出来ます。要するにドット絵から非ドット絵に変換できます。
私も試してみましたが、たしかに線が滑らかにはなるものの、やはり、ドット絵特有の魅力が失われてしまうように感じてしまいます。
一体、このドット絵特有の魅力とは何なのか?
とりあえず、このドット絵特有の魅力の事を、ファクターα(アルファ)と名付ける事にします。
さて、このファクターαの正体に迫りたいのですが、実はいくら考えてみてもファクターαが何なのか、ハッキリした事は全然分かりません。
しかし、いくつか仮説を考えてみたので、それを紹介させていただきます。
仮説1 単なるノスタルジー説
まず、真っ先に思い付く説として、単なるノスタルジー説があります。
どういう事か?と言うと、僕らの世代は、子供の頃はアホみたいにファミコンやスーファミのゲームで遊んでました。
この頃のゲームはすべからくドット絵のグラフィックでした。
その後、PSやPS2、PS3の世代になると、どんどんポリゴンのグラフィックのゲームが増えていき、ドット絵のゲーム=古くさいみたいな感じで、ドラクエもFFもポケモンも何もかも3Dポリゴン化していきました。
つまり、我々は子供の頃はドット絵のゲームに触れまくってたのが大人になるにつれて触れなくなったので、我々にとってドット絵を見るだけで子供の頃の思い出が紐付いて思い出されてノスタルジーを感じてしまう。
これがドット絵を見ると気持ち良くなる理由だ!という説です。
まあ分かりやすい説ですが、単なるノスタルジーだけでドット絵の魅力を片付けられてしまうと、私は困ります。
どうしてかというと、それだと子供の頃からドット絵のゲームに触れてこなかった人、例えば今の子供たちなんかは”ドット絵に何の魅力も感じない”という事になってしまいます。
すると、あと数十年もすれば誰もドット絵なんか見向きもしなくなるでしょう。
つまり、ドット絵という表現は所詮時代のアダ花で、普遍的な価値を持ってなくて廃れる運命である、という話になってしまいます。
いや、ドット絵は単なるノスタルジーでは無い!
そこには何か普遍的な価値がある!
私はそう思いたいけど…
そういえばやしろあずきさんがこんな漫画を描いてます↓
昔のドット絵のゲームを今の子供に見せたらどう見えるのか?という検証をされたそうです。
すると、「全部がマイクラみたい」(まあドット絵より先にマイクラに馴染んでるからなあ)という反応や、「モザイクに見えてエロい」(たしかにHD画質に慣れてる世代からするとSFCとかPS1のゲームは理不尽に解像度低いよなあ)みたいな反応だったそうです。
うっ…、この結果だけ見ると、ノスタルジーを持ってない人にはドット絵は別に良くは見えないという結論になりそうですが、これだけではサンプル数がまだ足りないのでハッキリした事は分からないでしょう。
思うんですが、豊井さん以前は、レトロゲームの文脈でドット絵が描かれる風潮が強かった気がしますが、色数制限やスプライトサイズ制限でファミコン準拠やスーファミ準拠をレギュレーションとしてやってる人が多かった気がします。
豊井さんも昔は色数制限とかやってたみたいですが、最近は一杯色を使ってるそうです。
昔のゲーム機の規格を無視して色数をふんだんに使っても、やっぱりドット絵はドット絵の良さを感じるので、そうなると単なるノスタルジーとは違う何かがドット絵にはあるんじゃないでしょうか。
というわけで、単なるノスタルジーだけで片付けてしまうのは悔しいので別の仮説も考えてみましょう。
仮説2 ドット絵は完全な幾何学的図形が描ける説
↑これは私が何も考えずに打ったドット絵ですが、ドット絵はこのように、完全に同じだけ幅を開けて、完全に垂直、水平な線が引けます。
当たり前っちゃ当たり前ですが、しかしアナログ絵や普通のデジタル絵ではこんな風に完全な幾何学的な形を描くのは困難です。
このキチッとした形が綺麗だからドット絵が魅力的に見えるのではないでしょうか?
しかし、ちょっと考えて、この説は違うな…と思いました。
↑何故なら、ドット絵は水平、垂直は綺麗ですが、斜めの線を引くとこんな風にギザギザのガタガタな線になってしまうからです。
とてもじゃないですが幾何学的美しさなんて感じません。
それに、幾何学的完全な絵なら、Illustratorみたいなベクターグラフィックスで絵が描けるソフトでも簡単に描けますし、なんならそっちの方がナナメの線も綺麗に出て、幾何学的に美しいと思いますが、ベクターグラフィックスの絵を見てもドット絵を見た時みたいな気持ちよさを感じた事はないので、この説は違うな…と思いました。
仮説3 ドット絵完全説
ドット絵は大抵の場合、解像度が低めです。
1920×1080のフルHDのドット絵なんかがあったとして、なんかもうそうなるとドット絵じゃないのでは?(普通のデジタルイラスト並みの解像度だし)みたいな話になってきます。
解像度が上がるほど一つ一つのドットの存在感が小さくなるからです。ドットが見えないほど小さくなっていって、ドット感を感じなくなるとドット絵感もなくなります。
ピクセル百景の中のコラムで、ドット絵の定義についてこちらのツイートが引用されてました。
豊井さんはインタビューによると250×144の解像度が基本的な作品サイズだそうです。
それで、ドット絵は基本的にはドットを一つずつポチポチ打って制作します。
つまり、作品の全ては完全にクリエイターがコントロールしている事になります。
例えば、私が適当に打ったこの↓ドット絵ですが、これだって相当適当に描いたにもかかわらず、無駄なドットは一つもありません。全て意図して打ったドットです。
先ほどの説にも似た話ですが、ドット絵じゃない普通の絵の場合は、キャンバス上の全てが完全にコントロールされて全てが完璧、なんて事にはなり得ません。
どんだけ天才画家でも、微妙に線が曲がったり、意図しない色になっちゃったなーみたいな部分は一つくらいは出てくるでしょう。
しかし、ドット絵なら画面上の全てのドットに至るまでクリエイターが完全にコントロールしている、完璧かつ完全な作品が作れます。
この完全性がドット絵の魅力だという説です。
仮説4 処理流暢性説
豊井さんはインタビューで「ドット絵とは、解像度が低くてそもそも見づらい絵である」とおっしゃってます。
たしかにその通りですよね。
どうしてそんな見づらいドット絵が特有の魅力を持ってるのでしょうか?
心理学で処理流暢性という概念があります。
人は分かりやすい話ほど信じてしまう—心理学における処理流暢性のはなし
見やすい物、分かりやすい物(処理流暢性が高い)ほど良い物、正しい物と思って信じてしまうという理論です。
基本的に処理流暢性が高いほど良いわけですが、むしろ処理流暢性が低い事によるメリットもあるらしいです。
処理流暢性が低い(分かりにくい)と感じる商品は、「目新しい」「革新的」だと感じるらしいです。
また、 処理流暢性を下げる(見づらくする、分かりにくくする)と、慎重に、注意深く考えるようになるそうです。
というわけで、ドット絵は処理流暢性が低い(見づらい)表現だと思いますが、そのおかげで”目新しく見える”、”革新的に見える”、”注意深く見てくれる”という効果があるかもしれず、それがドット絵特有の魅力かもしれないという説です。
仮説5 ドット絵は確率的表現(シュレディンガーの線)だよ説
これが仮説の中でも私のイチオシの説です。
一旦、ドット絵ではない普通のイラストでのラフ画とペン入れの話をしたいです。
↑絵を描く人なら大抵の人が体験した事のある現象だと思うのですが、ペン入れするとラフの時より絵が劣化したような気がするという現象が稀によくあります。
何故このような現象が起きるかと言うと、ラフ画の時は何本も引いた線から脳みそが勝手に”最良の形”を読み取って補間してくれますが、ペン入れでは沢山の線の中から一本の線を選択する必要があります。
選択した線が最良の線とは限らないので、劣化してしまうという訳です。
しかし、どんだけ線を引き直しても何故かどうしてもラフより劣化する!という話もよくあります。
「あ~あ、こんなんならもうペン入れしないでラフのままで済ませたいよ!」
実は、ラフ画を見て脳内補間で引いている線というのは、現実では引くことが出来ない線なんじゃないか、とまで思う事があります。
つまり、脳内にしか存在しえない線、形而上の線です。
その形而上の線は、何本も線を引きたくったラフ画の中で、”線の可能性”として、確率的にしか現実上で表現しえないものなのではないか…と。
この形而上の線をパンツに例えると、スカートの下のパンツがモロに見えてしまってるよりも、パンツが見えそうで見えず、パンツの存在が暗示されてるだけの方が想像がかきたてられてエロい…みたいな事でしょうか(違うかもしれない)
言い方を変えれば、一意に確定してしまってる形より、確率という形で示されている形の方が脳的には美しく見えるのかもしれない(何故なら現実では表現しようが無い形而上の線を脳内補間で引いてくれるから)…という話です。
シュレディンガーの線ですね。
この話は、普通の絵のラフだけではなく、ドット絵にも当てはまるんじゃないかと思いました。
↑説明用にまた適当にドットを打ってみましたが、こうしてみると、ドット絵はかなり”形がハッキリとは確定してない”ように見えます。特にナナメの線のギザギザなんて、どうとでも取れます。
解像度が低いほど形の不確定度が上がります。
”ざっくりしたドットの中に描線が確率的に潜んでいる”と言えます。
グシャグシャしてる普通の絵のラフ画と違って、ドット絵は作品として完成しており、こんなにもハッキリとした形をしているにも関わらず、なおかつラフ画のようにあらゆる部分の形が一意ではなく確率的に示されている…。
もしかすると、これこそがドット絵特有の魅力、ファクターαなのかもしれません。
ドット絵は、描かれているモノの形を確率的に示すことができる表現だった!だから、ラフ画がペン入れよりも何故かよく見えるのと同じように、どんだけ美しく具体的に詳細に描かれた絵よりも、確率的な表現で描かれたドット絵はそれを超えていける可能性があるのかもしれない…。
ためしに、先ほど紹介したドット絵のアップスケール補間をかけてみましょう。
うわぁ…そうじゃないだろ感がハンパない…。
つまりこれが、ドット絵のギザギザの中に確率として示されていた形を一意に収束させてしまう事のつまらなさ、というわけですね。ラフ画をペン入れして劣化させてしまった状態と同じです。
こんな風に具体的な線が引かれてしまうと、脳みそは見たままの形を受け入れるしか無く、脳内で補完する事ができないわけです。
これが、ドット絵で見ている形の印象が、非ドット絵に決して落とし込めない(つまりドット絵の方が何か知らんけどいい感じに見える)理由かもしれません。
この説が正しければ、どうしてドット絵は解像度が上がるほどドット絵らしく見えなくなるのかも説明が付きます。解像度が上がると描かれている形が確定していってしまって、シュレディンガーの線の不確定性を失うからです。
でも、この説が本当だったら、ドット絵じゃない絵もドット絵っぽくなるまで解像度を下げたらドット絵特有の味が出てくることになりませんか?
例えば、ドット絵コンバーターというものがあるそうです。
おっ…これはいいかもしれない…。
仮説6 ドット絵は見た人の想像力をかきたてる
一般的にはドット絵はゲーム画面でしか見た事が無いような人が多いでしょうから、ドット絵を見ると「ゲームかな?」と思っちゃう人が多いでしょう。
つまり、ドット絵を見ただけで、ゲームの内容を想像してしまいがちです。
「これってどういうゲームなんだろう?」という感じで勝手にアレコレゲーム内容を想像してしまいます。
この”メッチャ想像させる”のがドット絵の魅力だという説です。
そういえば、twitterでドット絵では無いですがゲーム風(ダークソウル風とかブレワイ風)のイラストを描いてバズッてるのをよく見かけますね。
豊井さんもゲーム画面風の絵を描かれてます。
これらの絵も見た人はゲームの内容を想像してしまいます。
それにしてもやたらバズッてますが、なぜ、実際のゲームでなく、つまり中身が存在しないゲーム風の絵がここまでウケてるのでしょうか?
ぶっちゃけた話、ゲームなんてのは頭の中で想像力を膨らましてる時が一番最高なのです。
そういうのを実際のゲームに落とし込もうとすると、必ず脳内妄想より劣化します。脳内で無限に膨らんだ妄想をそのままアウトプットする事は不可能だからです。
つまり、最高のゲームは常に頭の中にしか存在しない事になります。しかも、その脳内妄想のゲームは細部はふわっとしててよく分からないにも関わらず、”最高”という観念だけがある状態だったりするので、実際には現実のゲームとして具体的に落とし込む事は完全に不可能だったりします。
さあ、じわじわ話題がズレてきてますが、私が学生時代だった頃もそうですが、ゲームを作ろうとする素人は、そういう「脳内妄想の最高のゲームを作るぞ!」みたく意気込んでしまいますが、脳内妄想を現実に落とし込むのは例えプロだろうがゲーム会社だろうが完全に困難だという点を見落としがちです!
というか、ゲーム会社はそんなふわっふわの脳内妄想ベースでゲーム作ったりしない(責任者が素人だとやっちゃうかも)ですし。
ゲームを作ろうとしてる人は、そういう脳内妄想のイメージボードベースで作るより、実際に動くプロトタイプベースで制作した方が無難です!作りたいものを作るというより、作れそうなものを作るという意味です。
さらに言えば、これらのバズッてる人達のように、妄想をゲーム風イラストにしてtwitterに上げるに留めておくのが一番幸せな選択…という事もあり得ます。
さて、ドット絵の話に戻りますが、つまりドット絵は、細部の形をハッキリ示さずに、可能性という形で示唆するに留める事で見ている人の想像力をかき立てると共に、ゲーム自体を作らずに、ゲーム世界や内容を想像させるので、この二重の効果で想像力をビンビンにかきたてまくる効能があるのかもしれません。
見た人の想像力をかき立てればかき立てるほど、コスパは尋常じゃなく向上していきます。
実際にゲームを作るのは、ゲーム風イラストで想像力をかき立てるのの何万倍も労力が必要になります。 ゲーム風イラストを実際のゲームにする場合、見た人の想像力に任せていた部分を全て自力で埋める必要があります。そんなもんは死ぬほどクソ大変です。
ゲームハードの進歩とともに、ゲームグラフィックスの表現力は向上していきましたが、それはつまりゲームプレイヤーの想像力に任せていた部分を、どんどんゲーム側が具体的表現で埋めていった歴史でした。
その結果、ゲーム開発は尋常じゃないくらい労力がかかりまくるようになりました。
たとえば、1997年のFF7と2020年のFF7リメイクのグラフィックスを比較してみましょう。
以前に書いた記事でも述べましたが、ファミコンの頃のゲーム開発費は1千万円くらいだったのが、PS4時代になると10億円くらい、30年間で100倍も増えてます。
つまり、ユーザーの想像力に任せられていた部分を具体的に埋めようとすると無限に大変になっていくという事を表しています。
逆に、上手い事ユーザーの想像力に委ねる工夫をしていけば、百倍くらいコスパを上げられる可能性があるという事かもしれません。
せっかくユーザーの脳内で無限に膨らんでいた妄想を、わざわざ苦労して埋めていく必要が、必ずしもあるのでしょうか?
しかもそこまでやってもユーザーは「なんだ、こんなもんか」みたいな反応になりがちです。
具体的に実現した表現と言うのは、抽象的な脳内妄想に絶対勝てないからです。(ペン入れの線がラフの脳内補間に勝てない現象に似ている?)
たとえば、低予算のホラーゲームやホラー映画って結構ありますが、ホラーコンテンツが低予算で済ませられるのは、内容の大部分をユーザーの恐怖の想像力に委ねているからかもしれません。
仮説まとめ
というわけで、思いついた仮説を羅列してみましたが、結局どれが正しいのか?は私にはまだ分かりません。
全部正しくない可能性もあります。
ただ、「ドット絵の魅力なんて単なるノスタルジーだけで、昔ファミコンで遊んでたヤツが懐かしがってるだけ」って話だと面白くないので、なにかもっとドット絵にはそれ特有の普遍的な価値がある!という可能性を示せないかと思い、色々書いてみました。
ドット絵のキャラのシンプルな顔表現が好き
モザイクみたいな低解像度の人の顔から補完して元の顔を再現するようなAIが開発されているのはご存知でしょうか?↓
私は、人間の脳も低解像度の画像を見た時はこのAIのように脳内で画像補間が走るんじゃないかな~と思ってます。
上のツイートは、オバマ元大統領の画像だったのに、まったく別人の顔になっちゃってんじゃん!というのがツッコミどころなわけですが、ドット絵の場合も、同じ絵を見ていても、観ている人によってそれぞれ脳内で好き勝手に補間して、実はみんな違う物が見えているのかもしれない、なんて思ったりします。
そういえば、ドット絵では解像度が限られてる関係で、キャラの顔なんかは極めてシンプルな形状で表現されたりします。
私はこれくらいの、目が横幅1ピクセルの黒い縦棒だけで表現されてるようなドットキャラが好きですね。
顔の表現がシンプルになるほど、個別的な顔から普遍的な顔になっていきます。
解像度が上がるにつれて、顔もシンプルな表現から具体的な表現に変化していきがちです。
すると、「あれ、こんな顔だったのか」みたいな感じで、表現が個別になるほど見る人の好みが分かれてきます。
↑こちらは「マンガ学」という本の内容ですが、何の話かと言うと、一番左上の写真の顔は、当然ながらその人本人にしか当てはまらない顔です。その一つ右の、写真を模写して描いたくらいの顔は、まあ世界で何人かに当てはまる顔です。
一番右の眼が点々の白ハゲみたいな、極限まで簡略化した顔は、世界中の全員の人に当てはまる顔です。
つまり、究極にシンプルな顔は、誰が見ても親しみを持てて、好かれる、少なくとも嫌われない絵になるという事です。(しかし、まあ当然ながら普遍的になる分だけ個性は無くなります)
ドット絵でも同じ話が当てはまると思います。
エルジェが描いた有名な漫画シリーズ、タンタンの冒険のキャラも目がシンプルな点々で表現されてます。↓
これだけシンプルだと、引きの絵だと見やすいですが、寄りの絵のアップになるとキビシイんじゃないでしょうか?と思ったりしますが、タンタンの冒険を読んでみると、あんまりカメラが寄ったり引いたりしないで、全部の絵が均一な引きの絵で描かれてました。
ゲームのドット絵も普通は寄ったり引いたりしないので、シンプルな顔はカメラが寄らない場合に強さを発揮する表現なのかもしれません。
そういえば、タンタンの冒険は最近CGアニメ化されましたが、その時のタンタンの顔はこれです。
↑まあその…なんちゅうか、まさに上でマンガ学で説明されていた通り、顔がリアルになると、別に悪いってこたあないですが、”親しみ深さ”が無くなる感じがしますね。
アドベンチャータイムというカートゥーンアニメがありますが、こちらもキャラの顔は相当シンプルです。
アドベンチャータイムでは普通に寄りのアップの絵になる時もありますが、顔のシンプルさは変わりません。(ただしメッチャ変顔になる時もよくある)
↓アドベンチャータイムにはビーモというゲームボーイみたいなキャラもいます。
もしかするとアドベンチャータイムのキャラの顔のシンプルさは、ゲームのドット絵をそのまま拡大してみた。みたいな発想なのかもしれません。
私は、アドベンチャータイムの絵を初めて見た時は、「いくら何でもシンプル過ぎてアカンやろ」とか思った気がしますが、実際にアニメでイキイキと動くキャラを観てたら大好きになりました。
顔がシンプルになるほど万人受けするという説はかなり信ぴょう性がありますね。
ドット絵のキャラがやたら可愛く見えるのも、解像度の問題でシンプルな顔になっちゃうからかもしれません。
そういえば、ゼルダの伝説の主人公のリンクは、最初はファミコンのドット絵のシンプル顔だったのに、ハードの進化と共に表現力が上がっていって、段々顔が具体的になっていきましたね。
別に顔が具体的表現になるとキライになる…という訳では無いですが、ドット絵のシンプルな顔だった頃の”親しみ深さ”は失われてしまうような気がしなくもないです。
それに対して、マザー2のネスは同じスマブラでもドット絵をそのまま拡大したようなシンプルな顔で登場します。
「顔を具体的にすると文句言うならドット絵のままの顔にしてやったぜ!ドヤ!?」と言われると、まあ…たしかにドット絵と同じシンプルな顔なんですが、顔は非現実的なままなのに、ライティングや質感だけがやたらリアルなので、よ~く眺めると何だか不気味…な感じがしなくもないです。文句ばっかですいませんが。
余談ですが、どうして同じスマブラで、リンクはリアルになってるのにネスはそうなって無いんでしょうか?
リンクは、ファミコンやスーファミ版のパッケージですでにそれなりに具体的なキャラデザで描かれてます。つまり、ファミコンのグラフィックスでは表現しきれてないだけで、本来はこういうキャラなので、脳内補間してくださいね!という感じだったわけです。
それに対して、マザー2のネスは、説明書の公式イラストもなんちゅうかドット絵のデザインのままの人形?でした。
という訳で、それぞれ公式のキャラデザに寄せてった結果がこういう違いとして現れたのかなと思います。
ややこしいのは、リンクは風のタクト系列のトゥーンリンクというバージョンも存在します。こちらはカートゥーン?的なややシンプルな顔をしてます。
シンプル顔のおかげでかなり親しみ深い気がします。
また、夢を見る島リメイクではドット絵寄せのリンクが生まれました。
「これなら最高にシンプルな顔立ちだから、最高に親しみ深いじゃろ?」と言われると、なんかやっぱスマブラのネスと同じで、顔のシンプルさと質感表現のリッチさとかが釣り合ってないせいで、なんかどうしてもやや不気味なニュアンスが出てしまうような…気がします。(こいつが自分の背後に立ってたら怖いだろうな…みたいな想像してしまう)
そうして考えると、ドット絵の表現としてのある種のチープさは、キャラのシンプルな顔表現とバチクソ釣り合っていて最高にベストマッチと言えるかもしれません。
ドット絵で個性を出すのは難しいかもしれない話
さて、上で書いた、「ドット絵とシンプルな顔の相性がいい」という話の裏返しの話になりますが、ドット絵はクリエイターの個性が出しにくいかもしれないという話です。
ドット絵で有名な豊井さんですが、最近はドット絵じゃない絵も描かれているようです。
これは何か統計データとかがあるわけじゃないですが、ドット絵を描いていた人は、最終的にはドット絵じゃない絵を描くようになりがち…な気がします。
その原因の内の一つは、後で述べようと思ってる、「ドット絵儲からない説」がありますが、もう一つの理由は、ドット絵だとクリエイターの個性が出しにくいかもしれないからです。
ドット絵じゃない普通のイラストなら、パッと見ただけで誰が描いた絵なのか大抵分かります。ワンピースの絵を見れば尾田先生の絵だな~と思うし、ドラゴンボールの絵を見れば鳥山先生の絵だな~と分かります。
線のタッチとか画風が描く人によって個性が分かれてるからです。
それに対して、ドット絵は極めて解像度が限られてるので、描いている対象が記号的な表現になって、誰が描いたものか見分けが付きにくいです。
もちろん、ドット絵でもそれぞれのクリエイターの作風という物はあるので、よ~く見れば判別できるかもしれませんが、パッとドット絵を見て作者を当てるのはちょっと難しいです。
つまり、ドット絵は匿名的な性質を持っていると言えるかもしれません。
ドット絵はどちらかと言うと芸術的な表現というより工芸的な表現なのかもしれません。
例えばエスニックなタペストリーも工芸品ですが、我々はそれがエスニックな模様である事は分かりますが、作者は誰だろう?なんて事は分からないというか、そもそも気にしません。
エスニックな雰囲気のタペストリーが欲しいだけなのに、なんか製作者がゴッリゴリに個性出してきてもそれはそれで困ります。
ドット絵はそもそもはゲームグラフィックスのために生まれた表現だったので、このドット絵が持つ匿名性はゲームを作る上で便利でした。
スト2のキャラのドット絵は色んな人が制作してますが、遊んでても別に不統一な感じは感じません。
あきまん本人が語る!スト2のドット開発とイラストについて(追記)
しかし、ゲーム用ではなく、クリエイターが自己表現としてドット絵を選択した場合、ドット絵の匿名性は厄介です。
自己表現でやってるのに、自分の個性を出す事ができないからです。
そして、「解像度が低いせいで個性が出せないなら、解像度を上げればいい!」という発想で、作品の解像度がどんどん上がっていきがちです。
上でも述べたように、解像度が上がるほど、ドット絵感は薄れていきます。
そして、最終的には気付いたらドット絵じゃなくなっていた…みたいな。
ドット絵の匿名性と、クリエイターの個性のジレンマです。
これは誰か特定の人の事を指しているわけではないですが、何となくそんな風にドット絵卒業してしまう人が結構いそうな気がする…というだけです。
豊井さんのようにドット絵で風景画を描いている人たちに、APO+さんやモトクロス斉藤さんという方々がいますが、彼らがインタビューで興味深い事をおっしゃってます。
https://cgworld.jp/interview/202107-upc.html
「ドット絵は、カッコいいのになんかやってる人がいなくなっててブルーオーシャンな所がいい!」みたいな事をおっしゃってます。
しかし、どうしてドット絵をやってる人はいなくなってしまうんだろう?という話です。
やはり、やっぱりみんな最終的にはドット絵を卒業してしまうからではないでしょうか。
APO+さん、モトクロス斉藤さん、せたもさんの3人は、「ULTIMATE PIXEL CREW」(UPC)というピクセルアートの制作チームを組んでます。
3人とも、最近はドット絵じゃ無い絵も描かれたりしてます。
これだけでは決めつけられませんが、やっぱしドット絵やってる人は最終的にドット絵卒業してしまう説、あるんじゃないかな…。
しかし、ドット絵で評判になった人がドット絵をやめちゃうと、ファンから「もっとドット絵を描いて!」とか言われてしまいそうですね。そんな心配は大きなお世話でしょうが。
また、モトクロス斉藤さんはインタビューで、「ピクセルアートは誰もやってないブルーオーシャンなところがいい」的な事を語られてますが、逆に言うとドット絵を卒業してしまうと沢山のイラストレーター達と同じ条件のレッドオーシャンにただちに叩き込まれてしまう事になります。
豊井さんの作風の話
豊井さんはドット絵の風景画という表現を発明した人という事になっており、モトクロス斉藤さんは豊井さんの影響で、APO+さんはモトクロス斉藤さんの影響で、せたもさんはAPO+さんとモトクロス斉藤さんの影響で、芋づる式みたいな感じでドット絵を始められたそうです。
waneellaさんという海外のクリエイターもドット絵風景画を制作されてます。
しかし、豊井さんの作品はフォロワーが描かれた作品とは何かちょっと違う何かがある…そんな気がします。
一概に豊井さんの作風、と言っても、結構バリエーションが幅広いのですが、典型的だと思う作風の作品をいくつか引用してみます。
これらの豊井さんの作品の特徴として、まずパースが付いてない事があります。
そして、記号的にデザインされた小物(豊井さんが好きな物)が一杯配置されてます。
それに対してUPCの人達やwaneellaさん(フォロワー)の作品は、相当しっかりパースが付いている傾向があります。
ちなみに、APO+さんは沢山の構造物の立体の整合性を取るために、ラフ段階でBlenderの3Dを使っているそうです。
ピクセルアーティストAPO+のワークフローと機材要件に迫る。クリエイター向けPC「DAIV」の実力は?
私はそもそも豊井さんの作品とフォロワーの作品では成り立ちが違うんじゃないか?と感じました。
豊井さんはインタビューで仰ってます。
「(昭和っぽい街並みを描く理由について)それは単純に好きだからというより、光や水や花の美しさの邪魔しない、平易なモチーフだからという理由があります」
「なので好きなモノを並べて、どうにか整合性のあるテーマを考え、色のバランスを取って、視線誘導を散らして……とやっていたら、いつの間にか絵というよりもパズルを解いてるようになってしまって。」
つまり、上に並べたような豊井さんの作品は、”風景を描く”という目的ではなく、”好きな物を描いて羅列したい”というのが第一目的という事でしょう。
個々のオブジェクトは、アイコン的というか、ピクトグラムのようなデザインチックに描かれてます。
それらを羅列できる舞台を後付けで考え出して風景画として辻褄を合わせてるという事です。
それであれば、パースが付いてない理由も自明です。
パースを付けてしまうと個々のオブジェクトにも立体感を付けて整合性を取る必要が出てきてしまいます。(例えばナナメ上から見た形を描かなければならないとか)
そうすると、せっかくアイコンチックに美しい形で描かれたオブジェクトの形が崩れてしまいます。
だからパースを付けないわけです。(まあパースがあるドット絵も普通に描かれてますが…)
この点が、豊井さんとフォロワーの作品で大きく違う点かなと思います。
豊井さんがドット絵を始める前に描かれたイラストがあります。
この頃からすでに、アイコンチックなオブジェクトを羅列して風景を構成したい!という意思がありありと出ている…ような気がします。
実際豊井さんはアイコンチック、ピクトグラム的なデザインがかなり好きみたいです。
↓それから、川の看板にも反応されてますが、たしかにこれも、アイコンチックなオブジェクトを並べて風景を構築しているという意味で、豊井さんの作品に似てるかも。
他の豊井さんの作品の特徴として、青色が凄い綺麗な事が挙げられると思います。
豊井さんはLightroomで色調補正してるそうですが、かなりバキバキに調整してそうですね。
豊井さんはまた、インタビューで、題材に関してこのようにおっしゃってます。
「僕は絵に「視覚的な豊かさ、楽しさ」という単機能を持たせたいんです。だから「意味」とか「コンセプト」というものを含ませたくないし、勝手に見出されることも避けたい。僕はもっと「素朴な絵」が描きたいんです。」
豊井さんの言う、”単機能”とか、”素朴”という事の真意は、インタビュー記事からだけでは図りかねるところがありますが、単機能と言うのは例えば天気予報の天気マークのような絵、ピクトグラムなどを指すのかもしれません(天気マークは天気を示すという単機能を持っていて、他に含む所が無いですし)
素朴というのはやっぱり川の看板みたいなものの事かもしれません。
あるいは、豊井さんが影響を受けた画家である、熊谷守一のような絵を指すのかもしれません。
豊井さんが影響を受けた画家など
豊井さんはインタビューでアンリマティスや熊谷守一が好きだと仰ってます。
↓アンリマティスはこういう絵を描いた画家です。
↓豊井さんのこの辺りの絵はマティスの影響かもしれません。
↓熊谷守一はこういう絵を描かれた方です。
熊谷さんは亡くなるまでの20年間、一切家の敷地から外に出ずに生活していたそうです。
画家なのに家から出ないでどうするんだ?というと、家の庭の自然をひたすら描いてたそうです。
「モリのいる場所」という題名で映画化されてます。
↓豊井さんのこの辺りの絵は熊谷守一の影響かもしれません。
↓豊井さんのこの絵は犬プールさん寄せだと思います。
↓この辺りの絵はすいません、確証が無いけど適当に言いますがみなはむさん寄せかもしれません。
ドット絵じゃないけど、お絵描き掲示板的解像度の絵の話
ドット絵よりは解像度が高いけど、でもそれほど解像度が高くない、大体お絵描き掲示板の頃くらいの解像度感(800×800くらい?)で絵を描かれている方もいます。
たとえば、ななみ雪さんです。(ドット絵も描かれてます)
このくらいの解像度感でも、ドット絵特有の魅力と、微妙に違うけど似たような感じがありますね。
ドット絵は儲からない?話
下世話な話題ですが、ドット絵って儲からないのかもしれない…という話です。
ドット絵はかつてはゲームのグラフィックで大量に使われており、仕事でドット絵を打つ職人はドッターと呼ばれてましたが、今は3Dゲームばかりなのでゲーム会社のドッターの仕事は壊滅状態なのではないでしょうか。
UPCの人達は、インタビューで「何故かドット絵を描いてる人はほぼいないからブルーオーシャン!」的な事をおっしゃってましたが、ドット絵を描いていても儲からないからみんな描くのを止めてしまうのかもしれません。
とは言え、すいませんが私はドット絵界隈の事情は実際には何も知りません。そんな気がするという程度の確度で書いてます。
そう思うのは、例えば街中で見かけるポスターなんかでイラストがよく使われてますが、ドット絵のイラストが使われてるのはほとんど見ません。
つまり、商業イラストのニーズとしてドット絵ってあまり需要が無いんじゃないかと。
何故なら、ドット絵にはどうしてもゲームの文脈がくっ付いてきてしまうからです。(本当は豊井さん以降のドット絵風景画はもはやゲームの文脈から外れてるにもかかわらず)
さらに言えば、どっちかというと最新ゲームというよりはレトロゲーム的なニュアンスが付きがちです。
ゲーム的なフレーバーが欲しい時にはドット絵は適していますが、それ以外の全然ゲームと関係ないポスターやチラシでドット絵が描かれてたら、なんで?ってなっちゃいます。
まあ、ドット絵需要は少ないとは言え、ゼロではない、ニッチな状態なので、世界中でドット絵クリエイターが数人しかいない?ような状況であれば食えるのかもしれません。
また、ドット絵を描いてるけど、普通にドット絵じゃない絵も描けます!という話もあるでしょう。
しかし、一旦ドット絵で有名になってしまうと、”ドット絵の人”という扱いになってしまい、例えばポスターの絵を発注する時に、敢えてドット絵で有名な人にドット絵じゃない絵を依頼するか?というと、そういう流れにはなりづらそうな気がします。
↓例えば豊井さんは以前に仕事としてチップチューンのライブの広告用にGIFアニメを制作されてます。
チップチューンならレトロゲーム的文脈の音楽ジャンルなので、ドット絵がよく合います。むしろドット絵以外はあり得ない。
しかし、チップチューン関係のイラスト依頼の市場規模なんて、ほぼ無いに等しい…のではないでしょうか。
ドット絵儲からない説の最大の根拠は、ドット絵風景画の創始者である豊井さんがそもそも儲かってなさそうというのが大きいです。
豊井さんはドット絵をバンバン制作していたにもかかわらず、一時期は生活保護を受けてました。
その後、Patreonでパトロンになってくれる人が世界中で沢山現れ、最低限の生活費は何とかなる状態になりました。
豊井さんのドット絵は人気なので、支援してくれる人は一杯現れたものの、ドット絵自体で儲かっているという状態ではないようです。
ドット絵は厄介な事に、ドット絵それ自体を売る事はできません。(まあデジタル絵はみんなそうですが)アナログ絵ならそれ自体を販売して稼ぐことが出来ます。
という訳で、豊井さんは最近はドット絵からアクリルパネルのグッズを制作して売っているそうです。
ドット絵は飾る事も出来ないという問題がありますが、こうしてアクリルパネルにすれば飾れます。
しかし、アクリルパネルだと当然ドット絵のGIFアニメは再生されないのが痛しかゆしです。
上でも書きましたが、ドット絵は単なるノスタルジーにとどまらない、それ特有の普遍的な価値を秘めている可能性があります。
しかし、ドット絵はデジタルなので所有権とかが無く、譲渡もできないので、絵画と違って値段が付きにくいという問題があります。
どうにかなんないんでしょうかね。
ドット絵をマネタイズするという意味で言えば、いっそ自分でゲームを作ってしまうという手もあるかもしれません。
洞窟物語のドット絵とかメッチャ良かったですね。
リマスター版で解像度が上げられましたがなんかこれじゃない…。
https://w.atwiki.jp/doukutsu/pages/48.html
そういえば言及しておきたかったのが、なるめさんが描いた「ILY.」という漫画です。
こちらの漫画は、なんと全編ドット絵で描かれてます。
つまり、コミックスはフルカラーです。
このような漫画が出るという事は、ひょっとするとドット絵特有の普遍的魅力が世間に認められ始めてる兆しかも知れませんね。
この調子でなんでもかんでもドット絵が使われるようになれば、ドット絵で儲けたり食っていく事が容易になって行くかもしれません。
なんだかんだドット絵のゲームはある
これまで書いた中で、まるでドット絵のゲームは今となっては滅んだかのごとき書き方をしてきましたが、実はSteamのインディーゲームなどではドット絵のゲームは今でも山ほど出ているという事実をお伝えしておきたいです。
有名な所で言うと、Undertale。
Undertaleはドット絵に馴染みが無いはずの今の子供たちにも大人気というのが注目ポイントです。
Hyper Light Drifter。
River City Girls。
さて、羅列してってもキリ無いのでこの辺にしますが、どうしてインディーゲームではドット絵が盛んなのでしょうか?
まあ、まずインディーの規模だと3Dゲームより2Dゲームを作る方が簡単だからという事があるでしょう。
それと、結局のところドット絵が最高だからという事では無いでしょうか。
そしてなにより、ドット絵のゲームはこれまでゲーム会社側が勝手に3Dに走ってドット絵を捨て去ってしまってただけで、ユーザーからして見るとまだまだドット絵ゲームの需要は普通にある、という事の表れかもしれません。
おわり
という訳で、豊井さんの事やドット絵の事について、書きたい事をあれこれ書いてみました。
この記事は雑考なので、特にまとめとか結論とかはありません。
そもそもこの記事を書いた理由は、豊井さんの作品の魅力を自分に取り入れたかったからでしたね。
色々考えてみましたが、私は今のところドット絵の制作はやらないかもしれませんね。
今のところ、あんまり儲からなさそうだし潰しも効かなそう…みたいな。
ドット絵特有の魅力は最高に素晴らしいのですが…個性が出しにくそうな点も気になる所です。
ドット絵はともかく、色の美しさなんかは参考にしたいところです。
キャラの顔のシンプルさと親しみやすさが比例する話なんかは、自分でも書きながらなるほどな~と思いました。
普通のイラストでのラフ画とドット絵は、描線が確率的に示されているという意味で似ているという点も指摘させていただきましたが、むしろ私はドット絵じゃない普通の絵でもドット絵特有の魅力を滲み出させる方法はないかな~とか思ってしまいます。
ドット絵じゃなくても、ななみ雪さんの描かれるくらいの解像度感でもそういう魅力が出ることが分かりました。
もっと高い解像度でも同じ感じにできないだろうか?(と言っても確率的な表現は見づらさとセットなのかもしれませんが)
具体的にどうすればいいのかはまだ見当も付きませんが、そういう試みも検討してみるのが今後の課題かなと思います。
あ、今急に思いつきましたが、そういえばまどマギのキャラって顔の輪郭線だけ線が2本引かれてますよね?
これは何かというと蒼樹うめ先生の絵柄を再現してるわけですが、線を2本にすることで収束した線から確率的な線に変換してるのかもしれませんね。
これもまどマギキャラの放つ不思議な魅力の一因かもしれません…!?