最近twitterで描き始めてる一次創作マンガについて

11月からtwitterで一次創作のマンガを描き始めてます。

この漫画は、すでに描き始めてるにも拘わらず、タイトルを決めてません。一応私の中では”ヤギ人間”という仮題があります。

概ね一日に1枚、毎日描いてアップしていて、2021年12月25日の今日の時点で41枚描いてます。

まあ、まだ描き始めたばかりと言っていい漫画ですが、個人的には人生で未だかつて無いくらい上手く行っている漫画になりつつあると思います。

というのも、私が一次創作の漫画を描こうと思ったのはこれが初めてではありません。

以前から、何度も一次創作マンガを描く事を試みていましたが、ことごとく失敗していました。
そもそも描き始める前に挫折する事が数えきれないくらいありましたし、描き始めてもすぐ放棄してしまうパターンで終わってしまってました。

私が一次創作で悩んでる事は以前の記事でも書きました。↓

たとえばこの作品なんかは12Pしかない短編なので最後まで描けた稀なケースです。↓

さて、こんな風に、生まれてこの方一次創作マンガを描くのに失敗し続けていた私ですが、今回の”ヤギ人間(仮)”はなんと41ページまで描けてます。これはかつてない快挙です。

実は、今回のマンガを描くにあたっては、今までの失敗をしっかりと反省して、かなり色々な作戦を練って描き始めました。

というわけで、如何にして私は「ヤギ人間(仮)」をとりあえず現在まで41ページまで描く事に成功したのか?について書いていきます。

「そういうメイキングとか”制作の裏側!”みたいなのって、普通は作品が完結してから書くもんじゃねえの?描き始めてすぐ書くか?」と思われるかもしれません。

たしかに、今こういう記事を書いた後で、数日後に結局挫折しちゃった!みたいな事も起きないとも限らないので、完結してから記事を書く方が望ましいでしょう。

しかし、完結する頃にはどういう事を考えてマンガを描き始めたのかサッパリ忘れてしまっている可能性が高いので、とりあえず1ヶ月は継続できている今のタイミングで書いてしまう事にしました。

自分の創作人生を振り返る

さて、このブログでは毎回私の人生の振り返りが語られるのが定番行事のようになってきてますが、今回も、”なぜ自分は一次創作マンガを描かなければいけないんだろう?”という理由を把握するために、自分の創作人生を振り返ってみる事にします。

私が覚えている限りでは、たしか小学1年生くらいから、自由帳にカービィの絵を描きまくってた気がします。
おそらく、当時から「人間とかキャラクターは描きたくても上手く描けない」と感じていたはずで、だから極めて簡単に描けるカービィに逃げていたのでしょう。
小学生の間はひたすらカービィを描いてました。

中学生になると、さすがにカービィを描くのは卒業して、人物を描こうとあがいていたはずです。
ある日クラスの絵ウマ女子が、学校に”筋肉ムキムキのドラえもん”系の同人誌を持ち込んで見せてくれました。
その女子は地元のスタジオYOUが主催する同人イベントで入手したとの事。
私もその同人イベントに行ってみて、いわゆる同人文化、二次創作文化に触れて衝撃を受けました。
当時はまだネット環境が無かったので、そういった大規模な二次創作カルチャーが存在する事はそこで初めて知りました。
その影響で、絵ウマ女子と一緒にデジモンアドベンチャー02の同人誌もどき(紙に漫画を描いてスクリーントーンとかも貼ったりしている。コンビニのコピー機で印刷)を作って内輪で配るといった黒歴史もやってました。

高校生になると、パソコンを入手してネット環境も得て、ペンタブも買ったりしたので、まあお絵描き掲示板で絵を描いたり、自作ホームページに絵をアップしたりするようになります。

何を描いてたのか?というと、まあ同人文化に毒された流れでもっぱら二次創作を描いてました。
月姫に始まり、Fate、ひぐらし、東方、マクロスF、まどマギ…という感じで今に至ります。

こうして振り返ってみると、私が一次創作を描いてこなかった主な原因は、二次創作を描くので忙しすぎたからというのが大きそうですね。

「じゃあずっと二次創作やってりゃいいじゃん」と思うかもですが、最近はそうもいかなくなっている事情があります。

まず、まどマギ以降はあんまり二次創作を描きまくるほどにハマり狂うような作品に出合えてないという事があります。
それでいて、まどマギ二次創作は数年前からとっくにネタ切れしていて何も描く事がありません。なにしろまどマギは1クールの本編と叛逆の映画以降はほとんど燃料が投下されてこなかったからです。最近になってマギレコにまどマギキャラが出演したり、続編の廻天の制作発表がされたものの。

今までの人生経験から、どんだけ作品にハマって二次創作に没頭しても、最終的にはいつか飽きてしまうという事も経験上分かってきました。

また、最近はじわじわと二次創作活動への締め付けが厳しくなりつつある気がします。
けものフレンズ事件では、権利者によって作品が破壊されてしまうリスクが顕在化しました。
エヴァやウマ娘では公式で二次創作ガイドラインが用意されて、これは二次創作を認める事でもありますから、ありがたいものの、描ける内容に制限がかけられる傾向があります。
それから、TPPの関係で著作権侵害が非親告罪になってしまう危機なんかもあったりします。
二次創作のリスクは上昇傾向にあります。

最近はvTuberの人気が高まってますが、vTuberは半分ナマモノ(ナマモノというのはキャラクターでは無く実在人間という事。芸能人とかは完全にナマモノで、vTuberは半分ナマモノ?)みたいなコンテンツなので、二次創作のリスクは一層高いです。本人がそれを見た時にショックを受けるような二次創作は控えるべきでは?みたいな議論があります。
この前も、DLSiteでにじさんじの二次創作作品が一斉販売停止になる事件がありました。

DLsiteでにじさんじ作品が一斉販売停止に エイシス広報に販売停止に至った経緯を聞いた

これについては、そもそも論として二次創作をダウンロード販売する行為がかなり黒に近いという話もありますが。(物理同人誌がセーフ扱いなのは、ほとんどの同人作家は利益が得られてない、つまりほぼ原価で頒布してるからこれは利益目的の活動では無い。という言い訳があったけど、ダウンロード販売は原価がかからないから物理同人誌での言い訳は通用しない)

そんなこんながあって、これから先も創作活動を続けていくなら、二次創作から一次創作に転換した方が結果的に長くやっていけるだろうという見込みになってきました。

「二次創作の意欲が無くなってきたんならそのまま創作活動やめちゃえばいいじゃん」と思われるかもしれませんが、私自身としては自分の創作活動に極めて不完全燃焼感を抱えた状態でいます。

私は結構切実に、自己表現の手段としての創作活動を必要としています。

少し話が逸れますが、歌手のCoccoさんが「自分にとって歌はうんこだった」という旨の話をされています。

http://gogonyanta.jugem.jp/?eid=1390

で、悲しいこととかがいっぱいになったときにそれを歌で出したら、人はそれをいいというけれど、こっこにとってそれはうんこなわけ、ただの。嫌なのだから排泄しないといけない。排泄行為を人はいいといって、だからもうそれがどうしていいかわからないだったわけ。だけど、ある日、ハッ!歌好きだって気付いてしまったわけ。

Coccoさんは悲しい事やイヤな事などのネガティブなインプットを、人々を感動させる歌というポジティブなアウトプットに変換していました。Coccoさん自身は自分の歌を最初はそんなイイモンだと思っておらず、うんこみたいなもんだと思っていたようですが。

Coccoさんにとって歌がうんこだったように、創作活動はある意味で脳の排泄行為と考えることができるかもしれません。漫画で言うと、普段から脳内で妄想とか空想してるお話というのは思いついたその都度排泄していかないとどんどん脳内で詰まっていきますから、漫画としてアウトプットしていく必要があるという事です。

そうしてみると私なんかは、小学1年生で人物を描けなかったあたりからずっと創作に困難を感じ続けていましたから、脳みそが上手くウンコできない、脳の便秘状態がずっと続いていたと言えるでしょう。

私だって、脳が糞詰まりになったまま死ぬのはイヤですね。脳の便通を良くしてあらかた脳のウンコを全部綺麗に出しきってから死にたいと思うのは真っ当な感情では無いでしょうか。

私は創作する人間がしない人間より偉いとか言うつもりはありませんが、ネガティブなインプットをポジティブなアウトプットに変換する力は凄いよなあと思います。

たとえば漫画家は難病とかにかかってもむしろそれをネタにしてマンガを描いて本にしたりしがちです。

それに比べて、前澤社長なんかは100億円払って宇宙ステーションまで行って、誰よりもスゴイ体験をしたはずなのに、創作者では無さそうですから、特にアウトプットは無さそうです。

めちゃくちゃお金やリソースをかけて、宇宙体験という超高級料理を食べたんだから、どうせならめちゃくちゃ立派なウンコをアウトプットして欲しかったところではないでしょうか。

まあともかく、大体ここまでの話で私が一次創作マンガを描きたい理由が分かっていただけたかと思います。

脳に溜まってるウンコを出し切ってしまわないと死んでも死にきれないという事です。

具体的には何ページくらい描けば未練なく死ねるのか?というのはよく分かりませんが、まあ2000ページくらいは描いておきたいところではないでしょうか?

2000ページと言うのは普通のコミックスで言うと10巻分くらいに相当します。1日1ページ描くとしたら6年くらいで達成できる量なのでまあ生きてれば可能でしょう。

ちなみに、搾精研究所さんが描かれた搾精病棟は全11話で総計3101ページあります。1話が2018年12月17日にリリースされており、大体月に1話ずつリリースされ、約8ヶ月後の2019年10月21日に最終話がリリースされてます。毎日描いていたとしても1日当たり10ページ以上描いている計算になります。凄まじい生産能力です。

創作ってマンガじゃないといけないの?

Coccoさんにとっては創作は歌う事だったように、創作と言っても必ずしもマンガじゃなくていいんじゃないか?という議論があるかもしれないので、その辺について軽く検討してみます。

私がマンガを選択しているのはマンガが一番コスパがいいメディアだと思ってるからです。

漫画以外のメディアとして、たとえば小説について考えてみます。

絵を描けなくても文章なら大抵の人は書けるから、マンガより小説の方が簡単だ、と思う方もいるかもしれませんが、そうとも限りません。
小説ではなんでもかんでも文章で説明するハメになります。例えばヒロインキャラの美貌を表現するにもボキャブラリーを駆使して美麗美句を並べ立てるハメになりますが、結構大変です。こんなん絵で見せられたら一発で伝えられるのに…!という事もよくあります。

では逆に、一枚絵のイラストだって創作でしょ?という話を考えてみます。
私もかつてはイラストを描いたりしてましたが、意外と一枚絵を描くというのは難しいのです。
何故なら、これまた小説とは逆に、絵だけで言いたい事を全て伝えなければならないからです。
例えば、「この女の子、かわいいでしょ?」という事が伝えたい絵の場合、メッチャクチャかわいく描かないとなかなか伝わりません。
それに比べると、マンガなら大して可愛く描けてない絵でも、マンガの中で可愛い事をさせたりすれば、一枚絵より簡単にかわいいでしょ?を伝えることができたりします。
別の例で言うと、エッチな絵で「エッチでしょ?」を伝えようとすると、これまた相当な画力を要求されます。しかし、大して上手くない絵でも、エッチなテキストを付ける事で、絵だけでエッチさを表現しているウマ絵よりも大幅にエッチさがアップしてしまうという事もよくあります。

つまり、文章で表現するのが難しい所は絵で補って、絵だけで表現しきれない所は文章で補うのが一番強力だと言えます。
絵と文章の組み合わせと言えば…やはり漫画です。

ビジュアルノベルだって絵と文章の組み合わせじゃん!」という反論もあるでしょうからそれについて考えてみます。
たしかに、ビジュアルノベルという表現手段はコスパ的に強力です。
しかし、ビジュアルノベルは読者に読ませる手段が限定されています。基本的にはアプリケーションとして実装するしかありません。
twitter上でビジュアルノベルを読んでもらう方法はありません。(他のSNSなどでも同様だと思います)

さらに言うと、ビジュアルノベルはかなりまとまったボリュームで提供する形が一般的になってるので、細切れで提供したいと思っても難しいです。
それに比べて、マンガならまあ最低1Pずつアップしても構わない風潮があるので細かくアップしやすいです。

それじゃあいっそ動画ならいんじゃね?という話もあります。
実際、私もUnityを使って3DCGの動画を作ってみた事がありますが、やってみると相当大変だという事が分かりました。

作った動画というのはコチラです↓

まず、動画なのにキャラが動かないのはヘンだという事になりますから、キャラにモーションを付ける必要がありますが、大変です。また、動画なんだからボイスも欲しいだろという話があったりして、ボイスを用意するのも大変です。ビジュアルノベルと同じ問題で、少しずつ細切れでアップするというわけにもいかず、ある程度まとまった尺を用意しなきゃいけないのも大変です。

「でも、vTuberのぽこピーやおめシスはほぼ毎日動画上げてんじゃん!」という意見もあるでしょう。
たしかに、ぽこピーやおめシスのように、VRデバイスを駆使してモーキャプで動画を制作する手法はコスパ的にかなり有望な方法だと思います。
私も実際にやろうとしましたが、一人ぼっちでVR演技するのは相当寂しいです。ぽこピーやおめシスは二人だからいいよな…。
それに、ぽこピーやおめシスの動画では創作ストーリーというよりはユーチューバー的な企画動画をメインにやってます。創作ストーリーとかやり出すと今のようなペースで動画を作るのは難しいでしょう。(登場キャラが二人だと寂しいし)

最近は例えばVRChat上で劇をしたりする人たちもいるようです。

一人演技は寂しすぎるので、やるとしたらこういうやり方でみんなで演技する形がいいんじゃないでしょうか。
というわけで、有望な選択肢ではある気がするものの、今回はVRモーキャプによる動画制作という選択肢は一旦棚上げします。

最後に、ゲームという選択肢も考えてみます。

以前の記事で、私が青春時代をゲーム制作への挑戦と挫折に浪費してしまった事について書きました。↓

今思うと、私はゲームを作る事とお話を物語る的な創作活動を混同していたような気がします。
多分、FF7とかのストーリー性の強いゲームの影響でしょう。

今ならわかりますが、ゲームは別にストーリーを物語るメディアではありません
どっちかというとプレイヤーの体験を設計するメディアです。

もちろん、ゲームにストーリーの要素を組み込む事もできますが、創作ストーリーをやりたいがためにゲームを作るというのは、2階に上がるために階段を使わずわざわざヘリコプターを用意しようとするような大げささがあるっちゃあるかもしれません。

まあ、ゲームはゲームで作ろうと思ってます。ですが、それとはまた別にストーリーのための創作もやろうと考えているという事です。

というわけで、創作をするにあたって、マンガ以外の色々な選択肢を検討してみましたが、そうする事でかえってマンガのメリットが際立ってきましたね。

マンガは、
・絵と文章を組み合わせて相互に補完できる
・twitterや他のSNSにアップできて、つまり拡散されやすく、沢山の人に気軽に読んでもらえる。
・動画やビジュアルノベル、ゲームはまとまった量を完成させないと提供できないのに対して、マンガは最低1Pずつの細切れでもアップできる。
みたいなメリットがあります。

ちなみに、脳に溜まった空想や妄想を排泄したいだけなら、それを他人に喋るだけでもいいんじゃないの?みたいな意見もあるかもしれません。

ですが、例えば自分だったら友達の益体も無い妄想のお話に付き合ってあげようと思いますか?
ゆうべ見た夢の話をされるのと同じくらいキツいと思います。
少なくとも、私にはそういう話を聞いてくれるような友人はいません。
ですから、漫画などの形で具体的に表現しなければならないと思ってます。

そういえば、今書いているこのブログも、創作ではないですが、脳のウンコみたいなもんかもしれません。
とにかく、考えてる事が溜まってくるとこうやって書き出しておかないと頭の中の整理が付かなくなりそうな気がします。

今までの一次創作マンガ制作の失敗の原因

新しいマンガを描くにあたって、私はまず今まで一次創作マンガを描こうとして”どのように失敗したのか”という原因を分析するために洗い出してみる事にしました。

・ネームを考えるのが面倒くさくなって挫折する

・キャラが上手く描けなくて挫折する

・背景が上手く描けなくて挫折する

・まどマギみたいな話を描こうとして失敗する

・一次創作を描いてみたけど二次創作より反応が少なくて挫折する

・そもそもマンガを描く労力が大変すぎて挫折する

・今度こそ最高のマンガを描いてやる!と決意するのに何故かすぐ挫折する

・頭の中では最高のマンガだったはずなのに、描き出してみるとつまんなくて挫折する

まあ大体こんな感じでしょうか。こうやって書き出してみると、あまりにも挫折要因が多すぎて驚愕しますね。
では次は、これらの問題に如何にして対処したか?について書いていきます。

そもそも論としてマンガを描くのが労力かかり過ぎて大変な話

早速ですが、マンガを描くにあたっての最大の挫折要因であるこの問題について考えていきましょう。

そもそもマンガは描くのが大変すぎる。

たとえば、あなたがある日、なんか面白そうな漫画のネタをふと思い付いたとします。
そうですね、「全校集会の時にテロリスト集団が体育館を占拠してしまうけど主人公の少年がホームセンターで集めた武器とかで無双する」みたいな話だとしましょうか。
あなたは早速、この面白そうなストーリーを漫画にする事に決めました。

ストーリーの分量としては、まあ単行本3冊分くらいだとしましょう。つまり600ページです。
漫画を描き始める前は、「まあ、1日10ページくらい描けば2ヶ月で終わるだろう」くらいに考えていたかもしれません。

しかし、実際に描き始めてみると、想像を絶する泥沼にハマった事に気付くでしょう。
1日10ページどころか、丸一日机に向かって作業していたのに、1コマしか描けなかったなんて事も起こり得ます。

例えばこういう漫画のコマがあったとします。↓

この例は素材画像から持ってきましたが、この背景をイチから描き起こそうとすると平気で4時間とか5時間とかかかったりします。

さらにこのコマに3人のキャラを載せるとします。

これまた例ではクリスタの3D素材を使いましたが、これを実際に作画する場合、各キャラごとに、ラフに30分、下書きに30分、ペン入れと仕上げに1時間、合計2時間かかるとすると、3体で6時間、背景と合わせて11時間くらいかかることになります。

ほら、1日がかりでしょう?
「そんなにかかるか?」と思うかもしれませんが、まあ作画コストは画風にも左右されます。

三輪士郎先生みたいな作風の人は多分もっとかかるでしょう。

実際は背景が無かったりなど手間のかからないコマも多かったりしますから、概ね平均1ページ描くのに3日かかるとしましょう。

その場合、ストーリーの終わりまで描くのに3日×600ページで1800日間付きっ切りで作業するハメになります。
ちょっと思い付いただけのオハナシを、マンガとしてアウトプットするだけで人生を丸々5年間棒に振るハメになる…マンガを描くという行為には相当な犠牲が伴うという事です。

私は無邪気だった子供の頃は、漫画家の人達が死ぬほど苦労して漫画を描いてるなんて想像してませんでした。
当時の私は「今の自分は絵が下手だし描くのにクッソ時間がかかるし、ちょっとポーズ付けて描こうとすると人体が完全に崩壊しちゃうけど、漫画家の人は上手いから何も見なくても背景も人物もスラスラ短時間で描けちゃうんだろうな~」とかナメた事を考えてました。(だって漫画家ってサイン描く時にスラスラ絵を描いて見せたりするから…漫画もああいう感じでサクッと描いてるのかと子供は思うでしょう)

しかし、今ならわかりますが、”漫画家は天才だから凡人よりラクして漫画描いてる”みたいな事は基本ありません。単に漫画家はメッチャクチャ苦労して漫画を描いてるだけです。

「でもさあ、凡人と同じくらい手間がかかるんだったら週刊連載なんて無理じゃね?」と思うかもしれませんが、ハイ、そうです。無理ですね。

つまり、週刊連載の漫画家は、無理をしてマンガを描いてます。

漫画家の過酷な生活

例えば、高橋留美子先生は、作画期間中は3時間しか寝れてません。
睡眠を削ってマンガを描いてるという事です。

ワンピースの尾田栄一郎先生は毎日5時から翌日2時まで働いてるそうです。つまり、睡眠時間3時間です。休みはないそうです。

『ワンピース』作者の尾田先生「朝5時に起きて深夜2時まで仕事しています。休みは無いです」

デスノートの小畑健先生も、基本的に睡眠時間は3時間だったそうです。すいませんがソースは知恵袋しか見つかりませんでした。↓

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1298001857

小畑先生は寝食忘れて没頭して漫画を描いていた結果、健康面で何かあったらしく、最近はちゃんと寝ているそうです。↓

https://gakumado.『ヒカルの碁』『DEATH NOTE』などの大ヒットを生み出してきた漫画家・小畑健。その飽くなき探求心に迫る。

漫画家がマンガ描くのが忙しすぎて生活が破綻している例は他にもいくらでも出てきますが、キリが無いのでこれくらいにしますが、どんなメジャーな漫画家でも死ぬほど無理をしてマンガを描いていて、決してプロだからラクにスラスラ描けているわけでは無い事がお分かりいただけたかと思います。

無理をしているどころでは無くて、命を削って描いていると言ってもいいでしょう。
というか、冗談でも何でもなく、死んでいる人もいます

マンガを描くという行為は、基本的には楽しいもんだと思いますが、毎日3時間睡眠で命を削ってまでして描くか?と言われると、そうなると個人的には苦行になるというか、命が惜しいです。

子供の頃は漫画家に憧れていた頃もありましたが、このような地獄のような漫画家の生活の実態を知るにつれて、漫画家に対する憧れはスーッと引いていきました。

もしも今、出版社に「マンガを描いてくれ!」と求められて漫画家になるという子供の頃の夢が叶うとしても、健康を害するようなスケジュールが求められるならばむしろお断りしてしまうような気がしますね。

そういうわけですから、この記事で私はマンガを描く事を目指しているものの、さしあたってプロの漫画家を目指してるわけではありません。あくまで趣味として描いてみたいという話です。

サプライチェーン的な話

ところで、最近は企業にも”サプライチェーンの健全化”が求められる風潮がありますね。
どういう事かと言うと、例えばディズニーのおもちゃは子供たちに夢を与えるものですが、実はそのおもちゃは発展途上国の子供たちを奴隷のように酷使して作られているものだった…となると、それは搾取ですよね。

そういう搾取を無くそう!という事で、企業はまず自社工場の環境を改善もしつつ、さらになるべく奴隷みたいな労働から作られた原材料とかも使わないようにしよう!というのがサプレイチェーンの健全化です。

それで言うと、クリエイターの命や睡眠時間を削って作られたマンガやアニメ作品を、我々が安価に消費している構造もサプライチェーンがやばいのでは無いでしょうか?
しかし、一般的にエンタメ業は奴隷労働にはあたらないという説もあります。クリエイターは別にやろうと思えばもっと手を抜くというか効率化する事が可能なのに、”わざわざ好きで睡眠時間削ってる”だけだろうという説です。
たしかに、小畑先生も「寝食忘れてマンガに没頭してた」と仰ってましたし、好きで睡眠時間削って、過剰に高品質なマンガを描いてしまってるだけかもしれません。
しかし、少年ジャンプのアンケートシステムという過酷な生存競争の環境が小畑先生を無意識的に追い詰めていた可能性もあります。

私は最近はそういうマンガのサプライチェーンが気になってきて、メッチャ描くの大変そうなコマを見ると、昔は純粋に「スッゲー!」とか思ってましたが、今では作業の大変さを想像してゾッとしてしまいます。

さて、漫画家が命まで削ってマンガを描くハメになってる現状は分かりましたが、そんな地獄みたいな状況の原因は何でしょうか?

それは、ハッキリ言ってマンガを描くのに労力がかかり過ぎる事です。

最近の漫画は、昔の漫画に比べて求められるクオリティが上がり過ぎている気がします。まあ昔の漫画のクオリティが低かったというわけでは無いですが、昔より手間がかかるようになってると思います。

マンガを描くのが大変すぎる。それが問題なのです。

ちなみに、描くのが大変そうな漫画と言えば、やはり三浦健太郎先生のベルセルクが挙げられます。

ベルセルクはずっと不定期連載だったそうですが、それは描くのをサボッてたんじゃなくて、単に他の漫画の何倍も描くのが大変だったんだと思います。

マンガは高いクオリティで描かなければならない、なんて決まりは無いハズです。
仮に、マンガのキャラは棒人間で描かなければならない、としてしまったらどうなるでしょうか?
少なくとも、漫画家はマンガがサクッと描けるようになって、ぐっすり眠れるようになるでしょう。
読者だって、全部の漫画が棒人間になっちゃえば、別にそれはそういうもん、と思って不満も出ないと思います。

(余談ですが、マンガじゃなくてゲームの話ですが、登場人物が全員棒人間であるヘンリー・スティックミンというゲームが売ってます。かなり人気です。つまり、キャラクターが棒人間だろうが、面白ければユーザーは気にしないという事です。↓)

https://store.steampowered.com/app/1089980/The_Henry_Stickmin_Collection/?l=japanese

漫画家がみんなこぞって無理をしてマンガの品質を上げてしまっているから、読者だってそれを求めてしまうという事に過ぎません。

ところで、私が今までで一番マジメにマンガを描いていたのは、10年前くらいの頃です。
当時は東方やマクロスFの二次創作同人誌を描いたりしてました。

その時は4~5冊くらい同人誌を描いたと思います。
「じゃあ数十ページくらいのマンガ描けてるじゃん」って話ですが、それは二次創作だったから、作品愛のパワーでなんとか乗り切れたという事です。

例えばこの東方二次創作の「宇宙妹紅」とか描いてました。↓

しかし、同人誌を描く中で、「マンガって描くの大変すぎるだろ…」とつくづく思い知らされました。
その時は私は同人活動からフェードアウトしていってゲーム制作の方に傾倒するようになりましたが。
結果的にはUnityエンジニアになれたりしたので描くのがひたすら大変なマンガからフェードアウトする選択は正解っちゃ正解だったと思いますが。

その後も私はちょくちょくとまどマギの二次創作マンガを描いてtwitterにアップしたりしつつ、「マンガってもっとラクに描く方法無いのかなあ」と常日頃から考えていました。

全く新しいマンガの形と新しい制作方法を考える

私が若かった頃なら、たしかにちゃんとした漫画を描けるように努力するのは正しい選択だったと思います。若者には可能性が広がってますし、あわよくば漫画家になってやろうみたいな夢もありました。

しかし、いい歳こいてきた今となっては、”できない事はできないと割り切って、他のやり方を考える”みたいな事を考えるべき時期です。
先ほども書いたように、正直言って漫画家になりたいという夢よりも、死にたくない…みたいな守りの姿勢も出てきました。

しかし、他の方法と言っても、漫画以外の小説とか動画とかのメディアも先ほど検討しましたが、やっぱりなんだかんだマンガがコスパに優れているという結論が出ています。
ですので、マンガはマンガなんだけど、”さらにコスパが優れてる全く新しいマンガのスタイル”をイチから考えてみようと思いました。

今までは”普通のちゃんとしたマンガ”を描こうとして挫折を繰り返していたわけですから、”自分でも描けるようなマンガ”の形を考え出さなければならないという事です。

既存のマンガのフォーマットに拘る理由って?

プロの漫画家だろうと同人作家だろうと、紙に印刷する漫画を描く場合は、当然普通のマンガのフォーマットに従ってマンガを描かなければなりません。
決められたサイズの紙の枠の上で、白黒で描く必要があります。

それに対して、紙に印刷しない、PCやスマホ上でのみ読まれる電子上のマンガなら、ページのサイズや色の制限などの制約は無いはずです。

例えば、スマホのマンガアプリでは普通のマンガフォーマットよりも縦にスクロールして読むWebtoonのフォーマットの方が流行ってます。

それなのに、現実にはtwitter上にアップされているマンガは、既存のマンガフォーマットのページサイズや色制限を守ってる場合が多いです。私も色は好きにカラーで塗ってるものの、ページサイズは普通のマンガです。

何故なのか?

一つ目の理由として、”マンガとはそういうもんだから”という思い込みがあるかもしれません。それに、読者だって読み慣れたマンガフォーマットと同じの方が読みやすいだろう、という配慮でもあるでしょう。(しかし、スマホアプリではWebtoonというスマホに最適化された縦長のフォーマットが流行っているので読者は多少フォーマットが変わったりするのは気にしなさそうです)

二つ目の理由は、あわよくば紙に印刷しようと思ってるからという理由があります。
例えば量がまとまったら同人誌にしようと思ってるとか、もしもバズッたら出版社が書籍化してくれるかもしれないし…みたいな期待を抱いているケースがあります。

それから、twitterはPCから閲覧される場合とスマホから閲覧される場合があります。普通のマンガフォーマットならばPCでも読めるしスマホからでもそれなりに読めるので折衷的に便利です。

普通のマンガフォーマットは、PCのtwitterではこんな風に見えます↓

画像をクリックするとこうです↓

まあ、普通に読めますね。

スマホ(Pixel3a)からはこう見えます↓

まあまあ読みやすいです。

というわけで、これらが電子上のマンガでも紙のマンガのフォーマットに拘る理由です。

ですが、私は新しいマンガを描くにあたって、紙マンガのページサイズを崩す事にしました。
どうしてか?

私の最初の構想としては、映画みたいなマンガを描いてみよう!というコンセプトがありました。
つまり、映画みたいな横長のページに、1ページに1コマずつ描く。コマ枠さえなくて、紙マンガで言えば全部のコマが見開きページで出来ているマンガみたいなイメージです。

これが紙のマンガだったら、雑誌や単行本には紙幅の都合というものがありますから、そんな贅沢なページの使い方は絶対許されませんが、電子上のマンガなら何も問題ありません。

ちなみに、実際に描き始めてみると、画面というかページが広すぎて、結局コマを割って2コマとか3コマで描くページが多くなりました。

それから、どうせならPC画面に目一杯大きくマンガを表示したい!という欲求もありました。
調べたところ、PCのtwitterで画像が目一杯表示されるには、画面の横幅が縦幅の2.16倍の時がベストだと分かりました。

というわけで新しいマンガの画面フォーマットは2.16:1に決まりました。

新しいマンガをPCのtwitterから見るとこんな風に目一杯表示されます。↓

これは満足ですが、PCの画面は横長ですが、スマホの画面は縦長です。つまり、PC上での表示に最適化してしまうと、スマホでは見づらくなる事を意味します。

スマホ(Pixel3a)から見るとこうなってしまいます。↓

小さい!まあ読めなくは無いけど…

横持ちならかなり目一杯表示されます。↓

ちなみに、普通の紙マンガフォーマットだと1ページ辺り4~5コマ描かないと埋まりませんが、新マンガのフォーマットなら1~3コマで埋まります。
先ほど、最低1ページの細切れでもアップできるのがマンガの強みだと書きましたが、そういう意味では新マンガはさらに細切れでアップできるのでさらにラクできます。

今まで私がこういう横長の画面でマンガを描いてこなかった大きな理由として、映画みたいな画面にしちゃったら、ページが大写しになっちゃうし、背景の面積が増えるから背景をしっかり描くハメになるという問題がありました。

私は背景を描くのが苦手です。いや、まったく描けないと言ってもいいでしょう。

しかし、新マンガでは背景を描くのを完全に放棄して、3DCGに頼る事にした(詳しくは後述)ので、一切の手作業無しで大画面大写しに耐えるような美麗な背景を表示できるようになりましたので、横長ページのマンガが可能になりました。

さて、そうは言っても既存のマンガフォーマットを放棄した事で、紙のマンガとの互換性を失ってしまいました。
新マンガを描き溜めても同人誌に印刷する事はほぼ不可能です。しかし、これについては紙に印刷しなくても電子でBoothとかでダウンロード販売すればいいんじゃないでしょうか。二次創作は先述したようにダウンロード販売すると極めてグレーになってしまいますが、一次創作ならどんな形で販売しようが自由です。

また、もしもバズッたりして人気が出てしまった場合、出版社から本として出したい!とお声がけいただいても、新マンガのフォーマットでは紙に印刷できません。
どうするか?

まあ実際にはそんないい話が転がり込んでくる可能性はそもそも低いですし、仮にそうなったとしても、誰か私より漫画描くのが上手い人がちゃんとしたマンガとして描き直してくれるんじゃないかな?と思ってます。

例えば、ONE先生の描かれているWeb漫画の「ワンパンマン」ですが、商業化にあたって村田先生によって描き直されました。

パーダ先生の描かれていた「魔導」もガンガンWINGで五十嵐洋平先生によって描き直されました。

搾精研究所さんの「搾精病棟」も亀山しるこ先生によってコミカライズされました。

とまあこんな感じで、すごい面白いけど、フォーマット的にそのまま紙に印刷できなかったりする漫画は、結局他の人が描き直してくれたりしがちです。

ちょっと違う例ですが、天原さんというこれまた天才的な漫画家の方がいますが、彼が原作者として作画のmasha先生とタッグを組んで描いた「異種族レビュアーズ」はヒットしました。

一般的なマンガフォーマットとちょっと違う描き方の人を商業化する場合、原作者に回されがちな風潮があります。 搾精研究所さんも原作者になって作画の丈山雄為先生と「淫獄団地」を描いてます。

漫画は原作としてネームを作る作業も大変ながらも、それ以上に作画作業が大変なので、作画担当と原作担当で比べると、どちらかと言うと原作の方が命が削られずに健康的な生活が出来そうな気がします。

とは言え、自分もマンガ描きたいのに原作者に回されちゃうと、「自分だってマンガを描きたいのに!」と不満が溜まるかもしれませんから、ワンパンマンや搾精病棟みたいなスタイルで、自分は自分で漫画として描きつつ、商業媒体では他の人に作画担当してもらって描き直してもらう形が一番良さげな気がします。

ちなみに、twitter上でもちゃんと紙マンガ互換フォーマットでマンガを描かれてる場合はそのままで商業出版されたりします。

例えば、最近twitterで人気のケモ夫人です。↓

出版社って、自分は何のリスクも負わずにただtwitter上でバズッて人気になってるマンガを出版するだけで、作者には印税1割だけ渡して残りをかっさらっていくのって何かズルい気がします。

ですが、ケモ夫人を描かれた藤想さんは、商業出版化はしつつも、自分でもケモ夫人の同人誌を刷って売るというテクニックをやってます。

同人誌なら、売り上げから原価を引いた利益が全て自分の物です。

商業出版のケモ夫人が、仮に2万部刷られたとします。1冊辺りの印税は68円ですから、藤想さんは136万円得られる事になります。

それで、同人誌版のケモ夫人が、メロブで3000部売れたとします。印刷費が250円として、メロブの取り分が3割ですから、1冊辺りの利益は240円です。藤想さんは72万円得られます。

商業出版は、印税率は少ないものの、書籍流通に乗せて幅広く売ることが出来ますし、同人誌はその逆ですから、両方組み合わせることでメリットを最大化できます。
出版社からすると「同人誌とか売られるとこっちの売り上げ減りそうだからやめてくれよ」とか思うかもしれませんが、そんな事言われる筋合いはありません。だって出版社からは原稿料とかもらってないし。(まあアフタヌーン側からは雑誌掲載の提案もあったらしいです)

というわけでケモ夫人の話はまあ余談でしたが、
このセクションでは既存の紙のマンガのフォーマットに拘らなくても大したデメリットは無いという事を確認した上で、新マンガではPC上のtwitterに最適化された横長のページフォーマットで描く事にしたという話でした。

画力の問題を克服する

さて、かつての私がマンガを描くのを挫折してしまっていた大きな理由の一つに、「絵が上手く描けないから」というものがありました。

こういうしょうもないコンプレックスはさっさと対処する必要がありますが、正直言ってすでに私はこの問題は対処済みです。

逆に「むしろ絵が上手いってどういう事?」と訊きたいくらいです。

「絵が上手くないとマンガを描いてはいけない」みたいな思い込みは間違ってます。
だって、マンガのキャラなんて突き詰めれば棒人間でも全く問題無いですからね。

私がマンガについて気付いた重要な事実の一つに、

絵は見るものだけど、マンガは読むもの

という事があります。

マンガのページを見ると、コマ割りに沿って、まずフキダシを読んで、絵を見て、次のコマのフキダシを読んで、絵を見て…という風に、文字を読むのと絵を見るのを交互に繰り返す感じになります。

この際、マンガの絵が”記号”で描かれていれば、記号を読むのは左脳の仕事ですし、フキダシの文字を読むのも左脳の仕事ですから、全てが左脳だけ使ってスムーズに読めます。

それに対して、マンガの絵が記号的でない、”画像”で描かれている場合、フキダシの文字は左脳で読むにも拘わらず、絵は右脳を使って”眺める”ハメになってしまい、イチイチ右脳と左脳の切り替わりが発生してかなり読みづらくなります。

左脳は文字や記号を読むのは得意ですが、画像は分かりません。それに対して、右脳は画像処理は得意ですが、文字や記号は読めません。

つまり、「マンガの絵が上手い」というのは、絵画的な意味での絵の上手さと言うよりは、”絵の記号”を描くのが上手いという事になります。
(そうとも限らんだろ!という意見もありそうですが、あくまでここで言ってるのは私自身が描くべきマンガについての理論なので、多少主語がデカくて断言しててもご容赦願います。他人のマンガについて批判しているわけでは無い)

例えばマンガで美人の女性を描くというのは何を指すのか?と言うと、実際に美しい女性を描く必要は無いのです。”美人の記号”を描けばいいのです。

例えばこういう、ほとんど棒人間みたいなキャラがいます↓

このキャラを改造して美人の女性にすると、こうなります↓

何をしたのかと言うと、単に美人の記号を付け足しただけです。主には、目をキラキラさせて、睫毛をバチバチに盛りました。

これは絵画的な意味で女性の美しさを描いたわけではありません。美人の記号を描いただけです。

記号と言う意味では、こんな風に顔面に”美人”って描き込んでるのとやってる事は大差ありません。↓

というわけで、マンガの絵というのは絵画的な意味で上手い必要は無くて、記号さえ描ければいいという事がお分かりいただけたでしょうか。

私は昔は常に自分の画力が無さ過ぎる事に悩んでましたし、まあ実際に画力が無さ過ぎたと思いますが、この事に気付いて自分に言い聞かせ続けた結果、最近では自分の画力って充分あるんじゃね?という気分になってきて気がラクになってきましたし、だから画力で悩んでマンガを描くのを挫折するリスクは減っているはずです。

マンガの絵は記号ですが、一枚絵のイラストの絵は記号では無く、絵画的な絵だったりします。何故なら、イラストは文字に挟まれたりして無いので、左脳では無く右脳でじっくり鑑賞される事が想定されたりします。
つまり、絵画的な絵が求められうるという事です。イラストの世界ではマンガと同じ感じで描かれるケースから、ほとんど写真みたいにリアルに描かれるケースまで幅広いです。

例えば三国志大戦のカードのイラストを見てみましょう↓

かつての私は、マンガを描いたりイラストを描いたりしてどっちつかずでしたから、マンガの絵とイラストの絵の話をゴッチャにして勝手にパニクッてました。
マンガ絵とイラスト絵は、ある意味では、日本語を書くか、英語を書くかという話と同じくらい全然話が違うというのに。

でも、twitterにアップする絵はもしかすると記号で描く方がいいのかもしれません。twitterの絵は、たしかに絵自体にはテキストが含まれてないものの、タイムラインでは上下のツイート文章に挟まれる形で絵が表示されるものですから、ある意味漫画と同じ条件になってしまうからです。

ちょっとソースが見つかりませんでしたが、昔見たツイートで、イラストレーターから漫画に転向された方が、「漫画って大変だなあ」と嘆いていました。
何かと言うと、小説の挿絵とかなら、1つのお話で数枚の絵を描けば済みましたが、マンガだと絵を1枚描いても1コマしか進まない!という衝撃です。1枚の絵で数秒しか物語が進みません。

イラストだとキャラは1回描いて終わりですが、マンガだと、例えばジョジョのダービー戦の中の一話のキャラ数を数えてみましたが、20ページで100体くらい登場してました。という事は、週刊連載漫画を描く作家は、毎週100回キャラを描かないといけないという事です。イラストなら1体のキャラを描くのに1週間でも2週間でも時間をかけられますが、マンガを描くなら200倍くらい効率化するハメになります。

つまり、イラストの文法のままでマンガを描こうとすると相当しんどい事を表しています。絵画じゃなくて記号として描いて、手間を省くべきです。

手塚治虫先生は、「マンガの描き方」という本でこのように書かれています↓

この辺のページで手塚先生が云わんとする事も、要するに「マンガは記号で描け」という事です。

まあ、手塚先生の時代にはマンガを記号で描くのは言われるまでも無く当たり前だったのかもしれませんが、その後、劇画が流行したりして、マンガに記号じゃないコードが持ち込まれたり表現が多様化していくにつれて、結局マンガの絵って何なのかあやふやになっているのが現代かもしれません。

ところで、アレックス・ロスというアメコミ作家がいます。

こういうアメコミを描かれています。↓

見ての通り、メッチャクチャ絵が上手いですが、完全に写真みたいな写実的な絵です。マンガは記号で描けという話から、完全に正反対を行っている人です。

私もこの「キングダムカム」を読んだことがありますが、たしかに絵が上手すぎてビックリするものの、マンガとしてはこれまたビックリするくらい読みにくいです。

普通のマンガは流れるようにスラスラ読めますが、キングダムカムはスラスラ読む事を脳が拒否してきます。
「マンガは記号で描くなんてホントかよ?」と思う人はキングダムカムを読んでみると「こういう事か~」と実感できて面白いと思います。

アレックスロスは、このような写実的なマンガを描くために、まずモデルを雇ってきて、彼らにスーパーヒーローのコスプレをさせて写真を撮ってそれを模写して描くという、尋常じゃない手間をかけてマンガを制作してます。

「プロの漫画家は何も見ないでラクしてスラスラ絵を描いている」とか思い込んでた昔の私ですが、基本的に絵を描くのに魔法なんてありません。
アレックスロスが天才だろうが何だろうが、何も見ないでスラスラこんな激ウマ絵が描けるわきゃ無いのです。いや、ある程度は描けたとしても、資料を用意して描いた方がちゃんと上手く描けるに決まってるんだから、資料を用意しないのはむしろ手抜きだよね?みたいなのが絵が上手い人の思考です。

かつての私もそうですが、絵が下手な人ほど何故か何も見ないで描こうとするというか、何も見ないで描く事が偉いと誤解してたり…だからこそ上達しないのかもですが。
絵が上手い人はちゃんと資料を用意して模写するなど手間をかけてるからこそ上手く描けるのであって、むしろそうしていたからこそ上達したとも言えます。

私がこの事に気付いたのは、まどマギの二次創作マンガを描く時に、「手抜きしたろ」というつもりでまどマギアニメのスクショを撮って模写とかしてる内に、何故か絵が上達してしまった経験からです。

いくらマンガが記号で描けると言っても、ある程度は人体を描けないと結局は話にならないわけですが、それもちゃんと資料を見て描けばそれなりに描けますし、そうしている内にイヤでも絵は上達していくので、まあ「自分は絵が下手だからマンガ描くレベルまで辿り着けない…」とか悩んでる人も、マンガ描いてる内に勝手に上達するから気にする必要無いのでさっさと描き始めた方がアドですね。

ところで、アレックスロスみたいな面倒な描き方をしてたら時間がかかり過ぎるのでは?と思いませんか?
はい、実際にメッチャクチャ時間がかかってます。アレックスロスはビックリするくらい遅筆な事で有名らしいです。
あまりにも描くのが遅いので、アメコミの中身を描く仕事は回ってこなくなり、もっぱらカバーアートの仕事をしているそうです。
ですから、漫画家を目指してる人は、あんまアレックスロスみたいな人の真似はしない方が良さそうです。

なんかアレックスロスをディスッてるみたいに思われると困るのですが、そうではなくて日本のマンガとアメリカのアメコミでは文化の違いがあるから気を付けろ!という事が言いたいです。

日本のマンガ文化的にはどうかな?と言う感じでも、アメコミ文化においてはアレックスロスの手法は正解なのです。
スーパーヒーロー物のアメコミは、昔はそうでもなかったかもですが最近はやたらリアルに絵が描かれる傾向があります。

執拗に描き込みされてたり、ガッツリ黒ベタを入れて画面の密度を上げようとする傾向があります。
このような絵は、たしかにじっくり眺めるとメッチャカッコいいですが、マンガとしては普通に読みづらいです。
パッと見で何がどうなってるのか把握するのに時間がかかります。

読みづらいためか、日本のマンガではこういう表現はあまり見られないか、取り入れてるとしても見やすくなるように整理されています。

「遊戯王」の高橋和希先生の絵は、アメコミの影響を受けていますが、読みづらくならない範囲に抑えられています。

久正人先生はガッツリとアメコミ感があります↓

さて、どうしてアメコミ文化ではマンガとしての読みやすさよりも絵画的な上手さが優先されがちなのでしょうか?

一説には、最近はアメコミがコレクターアイテム化しているからという話があります。
印刷部数が限定されており、買うのはもっぱらアメコミマニアの人達で、時間が経つにつれてプレミア値が付きがちです。
つまり、いわゆる絵画、アートのような消費のされ方になってきていて、キッズが買うわけでも無いので、スラスラ読みやすければいいという形から、1コマずつをじっくり眺めて堪能する形に変わってきたと。

それに対して、日本ではマンガは大量に刷られて大人から子供まで広く読まれたりするものなので、アート的にどうこうというより誰でもスラスラ読みやすい事が重視されがちだったりします。

ちなみに、一概に全部のアメコミが非記号的というわけでもないです。
アメリカのマンガでも、”カートゥーン”と呼ばれるジャンルでは、逆に思いっきり記号的な絵が描かれています。

例えばカートゥーンネットワークのアニメのキャラとかはこんな感じです↓

ディズニーにもカートゥーンアニメがあります。

「これらはアニメ作品で、マンガじゃねえじゃん?」と思われるかもしれません。
まあ、マンガなら、例えばスヌーピーが出てくるピーナッツとかあります。

カートゥーンのマンガはスラスラ読みやすいですね。
というわけで、アメリカのマンガは写実的なアメコミとか記号的なカートゥーンとかがあって、ジャンルによるという話でした。

ところで、マンガは記号で描くべきか、リアルに描くべきか?という話はスコットマクラウド氏の「マンガ学」でも似たような話が出てきます。

スコット氏が言ってる事を私の言い方で言うと、カートゥーンのような記号的な絵のマンガなら、まるでキャラクターがアニメーションしてるみたいにコマからコマへの移行がスムーズに補間されて読める(この現象をスコット氏は”閉合”と呼んでる)けど、リアルな絵になると、それはただ絵が並んでるだけに感じて、スムーズな補間が起きなくなるという話です。

ただし、スコット氏はカートゥーン的な絵でも写実的な絵でも、その選択は好みの問題に過ぎないとしています。リアルな絵は、スムーズに読めなくなる分、時間をかけて絵を眺めてくれるというメリットもあるとしています。

ついでなので「マンガ学」から別のページも引用してみます。

マンガの作画担当になりたいアーティー君と、原作担当になりたいリタさんの話です。
最初はまだアーティー君はカートゥーンしか描けないし、リタさんもシンプルな文章表現しか描けない状態だったので、二人はそれぞれ腕を磨くために修行に出ます。
アーティー君は西洋絵画を学んで、超リアルな絵が描けるようになりましたし、リタさんは文学を学んでメッチャ凝った文章表現が書けるようになりました。
さあ、再び二人でタッグを組もう!と思ったら、リアルな絵は一番右脳を使う表現ですし、凝った文章は一番左脳を使う表現です。この組み合わせって最悪じゃん!
これなら修行する前の方がマシだった!という皮肉なオナハシでした。

さて、このオハナシを裏付けるような例があります。
森岡正博さんが下書きまで描いて、寺田にゃんこふさんが作画された、「まんが哲学入門」という本があります。

これはマンガで哲学を解説するというよくありそうな本なのですが、そのマンガの絵がかなり高度に記号的というか抽象的な絵が描かれています。

下手すると手抜きに見えてしまうかもしれませんが、実はこの本の後書きで、「最初はちゃんとした漫画家の方に普通のマンガっぽく作画してもらっていた」と書かれています。
しかし、なにしろ話の内容が哲学という高度に抽象的で論理的な内容なせいか、むしろ絵がジャマで話が追いづらくなるという問題が発生したそうです。
それで試行錯誤した結果、著者が自ら描いた、相当記号っぽい絵をそのまま清書してもらったそうです。こうする事で話の内容がスッと頭に入って読みやすくなりました。

マンガ学でも、主人公であり作者役であるキャラを、リアルでなくカートゥーンっぽくシンプルに描いている理由が語られてます。

スコット氏によれば、シンプルな絵柄のキャラは、誰の顔でも有り得ますから、読者はそのキャラを自分と同一化してしまうそうです。
だから、そのキャラは読者自身ですから、読んでいて気が散らないそうです。
これがもし、リアルな絵柄で描かれていたら、それはあまりにも”他人すぎる”から、絵に意識が行き過ぎて、喋ってる話が頭に入ってこなくなるらしいです。

そうして考えると、なんかtwitterでいわゆる”白ハゲ漫画”が人気だったのも頷けます。
ちなみに、「この理論によれば目が点々の白ハゲが究極シンプルが最強って事だろ?でも実際は世の中の商業マンガではそんなキャラのマンガねぇ~じゃん!」と思われるかもしれませんが、究極シンプルキャラにも弱点があります。
それは、”キャラの個性が出ない”という事です。白ハゲは無個性ですから誰が描いたものか見分け付きませんから、集合的な概念として”白ハゲ漫画”として一緒くたにまとめられてしまったわけです。

藤子・F・不二雄先生は割と白ハゲ理論に近いキャラが多い気がします↓

最初の頃はシンプル白ハゲをちょっと弄ったキャラで良かったけど、マンガの歴史が積み重なるにつれて、シンプルな絵柄だとキャラデザの被りが起きまくってしまうようになって、しかたなく絵柄をリアルにしたりして被りを回避していった…みたいな事情もあったのかもしれません。

そういうわけですから、マンガというのは見るものというより読むものですから、見るのは右脳の働きですが、読むのは左脳の働きですから、写実的な絵よりも、カートゥーン的な、記号的な絵のマンガの方がスムーズに読みやすいという説は割と裏付けられたかと思います。

しかし、アレックスロスみたいな作家もいたり、スコット氏も言っているように、別に写実的な絵でマンガを描く事が悪いわけではありません。それは好みの問題なのです。

このセクションの最初の論点に戻りますが、結局何が言いたかったかと言うと、マンガを描くにあたって”絵画的な意味で絵が上手くない”みたいな事に悩むのは無意味だという事です。
それなら、記号の絵でマンガを描けばいいだけです。(とはいえ、イラストを描く場合は絵が上手くないのは問題になるかもしれない)
そして、むしろ写実的な絵よりも記号的な絵の方がスムーズに読めて嬉しいというアドバンテージさえある事が分かりました。

今の私にしてみれば、タイムマシンで昔の悩んでる自分の所に行って、この話をして、「だからウジウジ悩んでるヒマがあったらさっさとマンガ描けボケ」と言ってやりたいですね。

というわけで、”画力の問題でマンガ描くのを挫折しちゃう”という問題は、まあ画力を上達させるまでもなく、気の持ちようだけの問題だったという事で片付いたことにします。

マンガを描かないという選択肢

画力の問題の次は、いよいよ”漫画を描く労力が大変すぎる”問題にとりかかります。

この問題を一番簡単に解決する方法は、マンガを描かない事です。

何言ってんだ?と思うかもしれませんが、世の中には、「マンガを描くぞ!」と口では言ってるけどいつまで経っても実際にはマンガを描かないワナビーの人達がいます。

ぶっちゃけ、”マンガを描きたいけど描かない”というのは合理的な選択です。
マンガを実際に描くのは命削られるほどつらい作業ですが、マンガを描かないで頭の中でアレコレ想像を膨らますだけにしとくのが実は一番たのしいという説があります。

脳内で無限に空想を膨らますのにはまったく労力がかからないのに対して、その空想を現実にアウトプットしようとした途端、死ぬほど手間がかかります。マンガに限らず、ゲームなどでも同様です。

ですから、「死ぬほど苦しんでマンガを描く」か、「空想だけしてマンガを描かない」という二択しかないなら、描かない事を選ぶのが合理的では無いでしょうか?

第三の選択肢

しかし、私は、よくよく考えると必ずしもこの究極の二択に囚われる必要はねえんじゃね?という事に気付きました。

そこで、第三の選択肢が登場します。

あんまり苦しまないでマンガを描く」です。

「そんな事ができるんだったら誰も苦労しねえだろ!」と思われたかもしれませんが、これには一つのトリックがあります。

「マンガを描くと言っても普通のマンガを普通の方法で描くとは言ってない」という事です。

普通のマンガを普通の方法で描こうとして、今まで挫折してきたんだから、できない事はできないと割り切って、普通じゃないマンガを普通じゃない方法で描いてもいいんじゃないでしょうか?

というわけで、ここでマンガを描き続けられる自分になるための、究極の目標を一つだけ設定する事にします。

マンガを描き続ける

「マンガを描き続ける」という目標が達成できればマンガを描き続けられる自分になれます。そりゃあそうだ。

「マンガを描き続ける」という目標を達成するために、一旦、他の全ては諦める事にします。他を全部諦めても、この目標さえ達成できればとにかくマンガを描き続ける事ができるからです。

たとえば、”クオリティ”とかも目標達成のためなら一旦諦めます。別にプロのマンガでは無くて、趣味で描くだけなのですから、クオリティに難があってもとりあえずは構わないでしょう。
クオリティにこだわったせいでマンガに挫折するよりは、クオリティを捨ててマンガを描けるようになるなら、一旦はそっちで良くないですか?

というわけで、マンガを描く事を達成するために、全てに優先する究極の目標「マンガを描き続ける」を設定して、そこから逆算してマンガ制作をイチから考え直してみましょう。

マンガ制作を効率化して、生産性を爆上げする

さて、究極目標達成の最大の障害になっているのは、目下のところ、「マンガを描くのに手間がかかりすぎる」という問題です。

この問題を潰せば目標に一気に近づけるでしょう。

というわけで、マンガを描く手間を減らす必要があります。
いわゆる、”効率化”です。

効率化というと、クオリティを維持できる範囲で手間を減らすという話かと思いますが、それだとちょっとしか手間を減らせないでしょうから、クオリティさえ維持しません。つまり、言ってしまえば手抜きです。

考えてみると、プロの漫画家は作画作業のためにアシスタントを雇ってます。
例えば3人アシスタントを雇ってたら、合計4人分のリソースでマンガを描けます。

それに対して、私は趣味でマンガを描くだけですから、アシスタントなんて雇えません。
1人分のリソースしか無いので、普通に考えると1日が96時間無いとプロには追い付けないって事になります。
つまりこの時点で4倍の効率化が必要になりますね。

それから、プロのマンガはマンガ自体で稼げるのに対して、私が趣味でマンガを描くのはお金になりませんから、プロ漫画家と違ってマンガだけを描いている訳には行きません。
睡眠時間を削るのも正直しんどいですから、プロ漫画家に比べて1/5くらいの時間しか漫画を描くのに割けないかもしれません。
そうすると、これまた5倍の効率化が必要になります。さきほどの4倍と掛け合わせると、合わせて20倍の効率化が要求されます。

しかし、いくらなんでも20倍も効率化できねえだろという気がします。
プロの漫画家と同じペースでマンガを描くという前提がそもそもキツいので、プロの半分のペースで良しとする事にします。それなら10倍の効率化で済みます。

というわけで、普通にマンガを描く手間から10倍に効率化する事を目指せば、私でも何とかマンガを描く事が可能になるかもしれません。

デジタルでマンガを描く

一般的な話として、紙にアナログでマンガを描くよりも、デジタルでマンガを描く方が効率化できると言われています。

どれくらい効率化できるのか?と言うと、まあ適当ですが2倍くらいでしょうか。
さらに、カラーで描く場合は、アナログのカラーとデジタルのカラーではさらに1.5倍くらい効率が違いそうです。
合わせると、3倍の効率化ができるという事にしましょう。

私は以前からマンガはデジタルで描いていたので、すでに3倍界王拳を使っていた状態みたいな感じです。

ところで、アナログで描かれたマンガは、付けペン特有のタッチがマンガらしくてカッコいいと昔の私は憧れていました。
それで、付けペンでマンガを描こうとしては、手間がかかったり失敗したりして挫折したりしてました。
「できないもんはできない」の精神でこだわりはさっさと捨てましょう。

あと、最近はスマホの小さい画面で絵を見られる事が多いので、小さい画面では細かいペンタッチのこだわりとか良く見えなくて映えなかったりします。スマホ画面ではカッコいいけど白黒のアナログ絵よりもカラーのデジタル絵の方がウケが良かったりするかもしれません。

それから、デジタル作画は紙と違って拡大縮小が自在です。
小さい紙の上で細かい作画作業をするのは加齢で老眼とかになってくるとキビしくなります。デジタル作画は老眼対策にも有効です。

サステナブルなマンガ制作を考える

マンガの絵は(イラストとかに比べて)手を抜いた方がアドです。理由はいくつかあります。

先ほども書きましたが、20ページのマンガだと100体くらいキャラクターを描くハメになります。
最初の1体を、メチャメチャ頑張って描いたとしても、あと99体描かなきゃいけません。
これはウンザリします。
マンガは記号で描けという話がありましたが、キャラを絵として描くとしんどくなってきます。
記号として、文字を書くのと同じノリで描けば、いくらか気楽です。文字なら100回書いても大してしんどくありません。
手書きで文章を書く時に、必ずしもすべての文字をお手本を見ながら完璧に清書しなくても、とにかく読めさえすればそれでいいですよね?

マンガの絵に対して、ハードルを思いっ切り下げておきましょう。
ぶっちゃけ、10回のうち、9回はしくじっても、100回描けば10回は良く描けた絵が見せられる事になるわけですから、十分じゃないですか?

そうは言っても、キメのコマとかはやっぱりカッコよく描く必要があるでしょう。

例えば、こち亀では、最初の扉絵だけやたら気合が入った風景が描かれてたりします。

扉絵にはフキダシがありませんから、読者がじっくり眺めてくれる事が期待できます。

そして、最後のページのオチのコマも派手だったりしますよね。
人間、一番印象に残るのは最初と最後ですから、逆にそこだけしっかり描いておけば、あたかも全体が凝って描かれていたかのような印象が植え付けられます。(こち亀の中身がしっかりしてないという意味では無い)

それに、読者はマンガを読み始めて没入してしまうと、よっぽど下手くそとかでない限り、一つ一つの絵が上手いとか下手とかあんまり気にしません。そういう事にしておきましょう。

というわけで、マンガの絵でしくじっても、むしろそれが普通!と開き直れば、作画作業をさらに1.5倍くらい効率化が期待できそうです。

それから、マンガの絵柄についても、その絵柄ってサステナブル(ずっと続けていける)なんだっけ?という点も考えた方がいいでしょう。

たとえば、やなせたかし先生は、94歳で亡くなる直前まで現役で作品を制作されていました。

それは、歳を取ってからも問題なく描ける絵柄を選択されていたから可能だったという面もあるでしょう。(やなせ先生はアンパンマンを描いた時点ですでに69歳という結構高齢でした)

逆に、若い時の有り余る体力の勢いで、睡眠時間を削って限界ギリギリまで緻密で手間がかかる絵柄を選んでしまうと、年齢を重ねて体力が衰えていくにつれて、同じクオリティで作画していく事が不可能になっていきます。

会社員をしながら趣味で同人誌を描いたり小説を書かれてりしている方々がいますが、彼らはなんで忙しく働きながらマンガとか書く暇があるんだろう?というと、大抵はそれは魔法でも何でもなくて、単に睡眠時間を削って作業してたりします。

そういう無茶なやり方は、まあ20代のあいだだけにしておくべきです。
歳を食ってからも無茶をやってると、体がキツくなってきますし、そして「キツいッス」という身体からのメッセージを無視して、根性だけで無茶を続けてたとしても、最終的には身体をぶっ壊したり、命が危なくなってきます。

加齢のせいでキツくなってきた時は、無理をせずに描ける方法を模索するべきでしょう。
ですが、ベストなのは、”最初から無理なく描ける絵柄にしておく”事です。加齢で体力や視力が落ちる事まで計算に入れて、サステナブルな絵柄にしておくのがよいでしょう。

どうしてかと言うと、体力の低下に合わせて絵柄の手間を落としたりしていくと、読者は「あの漫画家、最近手抜きだな~」とか「劣化しちゃったな~」とか好き勝手言う人もでてきます。
「いや、手抜きじゃねえよ!もう今の自分だと限界まで頑張ってもこれしか無理なんだよ!」と言っても読者全員が納得するとは限りません。

「機動戦士ガンダム サンダーボルト」を描かれている太田垣康男先生は、細密な絵柄を得意とされてました。

しかし、利き手の腱鞘炎が悪化した事で、もはやこれまでのような絵柄を維持できなくなり、絵柄の変更を余儀なくされました。

太田先生は、「プロスポーツ選手と同様に、漫画家も肉体を酷使する仕事です。いつまでも若いころと同じ様には体は動いてくれません」と心情を語られています。

太田先生は絵柄の変更を謝罪されてますが、もしも最初から変更後の絵柄で描いていたとしても、別に誰も気にしなかったし、腱鞘炎も悪化しなかったのではないでしょうか?
以前と比べて相対的に見映えが落ちてしまうという事が問題なのです。

太田先生に起きた腱鞘炎は、自動車事故のようにたまたま起きた不幸な事故…ではありません。手間がかかる絵柄で無理しながらマンガを描いていると、むしろいつかは必ず訪れる必然…とさえ言えるかもしれません。

ですから最初からマンガの絵は手を抜いておく…というか、サステナブルな絵柄にしておく事で、水木先生ややなせ先生のように、生涯現役でマンガを描き続ける事が可能になるのです。

どうして肉体の限界まで酷使しないと描けないような絵柄で描く漫画家が多いんだろう?というと、これは想像ですが、漫画家はデビュー前に漫画家志望者同士でデビューを巡って競争する形になるかと思いますが、その時に「自分は他人よりすごい絵が描けます!」ってアピールするためにむやみにクオリティを上げようとしてしまうのかもしれません。

野球選手とかのプロスポーツ選手は割と選手生命が短くて、大体30歳くらいで現役引退になります。

太田先生が仰られてるように、漫画家もプロスポーツ同様、肉体を酷使する仕事です。
しかし、どれくらいつらいかは、その人が選んだ絵柄とか次第…でもあります。
サステナブルなマンガ制作を行い、作画の手間をコントロールすれば、生涯現役も可能になります。

こういう言い方をすると物議をかもしそうですが、マンガの絵にメッチャ手間をかけても、具体的になにかアドバンテージがあるのでしょうか?

ぶっちゃけた話、マンガの絵に手間をかけるほどマンガが売れるのか?というと、そうでもありません

世の中、あんまり描くのに手間がかかってなさそうな絵柄でも爆売れしてるマンガは一杯あります。逆に、メッチャ上手くて緻密な絵柄なのに全然売れてないマンガも多分一杯あります。

マンガの原稿料だって、メッチャ緻密に手間をかけてるマンガでも、全然手間をかけてなさそうな、なんなら下書きのまんま掲載されたようなマンガでも、もらえる原稿料は大差ありません

たとえば、会社に就職する時に、1日3時間労働の会社と、12時間労働の会社があって、どちらも給料が変わらないとしたら、どちらに就職しますか?
マンガの絵柄の選択もそれと同じような感じがあります。

もうちょっと踏み込みますが、マンガの作画に手間をかけすぎると、むしろディスアドバンテージもあるかもしれない話です。

マンガの制作と言うのは、作画のアウトプットも重要ですが、それと同じくらい、取材などのインプットも重要です。
インプットと言うのは、例えば他人のマンガを読んだり、映画を観たり小説を読んだりして、自分のマンガに活用できるネタを増やす作業です。
インプットを増やせば面白いマンガが描けるようになります。

で、作画の作業に手間がかかり過ぎるようになると、インプットに充てられるはずだった時間まで圧迫され始めて、アウトプットだけで一杯いっぱいで、まったくインプットができなくなったりします。
一般的な話として、インプットができないとマンガを面白く描けなくなりがちです。

これは偏見だと思いますが、絵がメッチャ凄くて手間がかかってるマンガはどちらかというと話が面白くないケースが多い…かもしれない…気がする…のはそれが原因かもしれません。

さらに過激な事を言わせてもらうと、一旦マンガを読み始めると、そのマンガの絵が上手いとか下手とか緻密だとか雑だとかは全く気にならなくなる気がします。
何故なら、マンガを読み始めるとその作品世界に没入して、マンガの絵を絵画的な絵として眺めずに、そこから記号だけを拾って読むからです。
マンガの絵柄と売り上げに相関が無さそうなのは、その辺に要因がある気がします。

そうは言っても、例えばなんか面白そうなマンガを買いに本屋に来た人は、中身を読む事はできませんから、表紙だけを見て選ぶハメになります。
その場合は、絵画的に表紙を眺めて選ぶので、絵がスゴイほど有利になるかもしれません。

ちなみに、私はゲームについても全く同じ理論を考えています。
ゲームも、遊び始めるとゲームメカニクスに気を取られて、グラフィックスがすごいとかすごくないとかはすぐにどうでも良くなります。
とは言え、ユーザーはゲームを買う前はそのゲームを遊べないので、プロモムービーだけ見て買うかどうか判断しなきゃですから、つまりゲームのすごいグラというのは単に宣伝のためだけに必要になる説です。

というわけで、このセクションでは、マンガを描く時にサステナブルな絵柄を選べばアドバンテージが一杯あるという話でした。
無論、サステナブルな絵柄にすることで、手間がかかる絵柄と比べるとマンガ制作作業は大幅に手間が省けて効率化できます。

ちなみに、この記事ではしつこく言ってますが、サステナブルな絵柄というのは必ずしも「ザツに描け!」という意味ではありません。むしろ「記号を駆使して描け!文字だと思って描け!」という事です。
”女性を美しく描く”よりも、”美人の記号”を描く方が、読者の脳みそにダイレクトに美人の概念を伝えることが出来て、コスパが優れています。

UnrealEngine5を使ってマンガを描く

さて、新マンガの技術的な内容に話が移っていきます。
マンガ制作作業を劇的に効率化するためには、3DCGを導入するしかないと、私は前々から感じていました。

現在では、プロの漫画家でも3DCGを活用している人は多いです。

例えば、「攻殻機動隊」を描かれた士郎正宗先生は、W・TAILS CATなどの作品では背景に3DCGを使ってます。

士郎正宗先生はかなり早い時期からCGを使ってますし、なんなら手描きの頃からCGみたいな絵を描かれたりされてたので、省力化のためにCGを使ってるというよりは、好きだからとか、自分の作風に合うから積極的にCGを使ってるとかかもしれません。

「GANTZ」の奥浩哉先生は、背景だけ3DCGを活用されてます。

成年向け漫画を描かれている、三条友美先生は、「家畜人ヤプー」のマンガで、背景もキャラクターも、全面的にCGを使われてます。

https://book.dmm.co.jp/detail/b390bleed01915/?i3_ref=list&i3_ord=8&dmmref=gTop_List

木多康昭先生の「喧嘩稼業」では、キャラは3DCGに加筆する形で描かれてるらしいです。

同人作家のなかにさんは、マイホームデザイナーというソフトウェアを使って漫画背景用の3Dモデルをサクッと作って作品に活用されてます。

さて、プロの漫画家が3DCGを導入するのは何故でしょうか?

それはやっぱり、基本的には省力化のためです。

マンガにはキャラクター以外に、どうしても背景も描かなくてはいけません。
背景がないと、キャラがいる場所がどこなのか分からないからです。
「ト書きで説明すればいんじゃね?」と思うかもしれませんが、ト書きで「新宿に来た」って描いてるのに背景が真っ白だと、読者は信じてくれません。

というわけで背景を描くハメになりますが、状況説明のためだけに必要な割に、背景を描くのってクッソ大変です。
背景は頑張ってちゃんと描いても読者は大して見てくれないにもかかわらず、テキトーに間違えて描くと「背景がおかしいぞ!」というのが一瞬でバレてしまいます。

ですから、透視図法とかを駆使して定規で補助線を引き倒して、メッチャメチャ手間をかけて描くハメになります。
読者は「自分はこんなの絶対描けないけど、プロはサラサラ描けるんでしょ?」とか思いがちですが、マンガ制作に魔法はありません。単に死ぬほど苦労して描いてます。

マンガの背景を描くのがどんだけしんどいか、もはや言葉では説明できないくらいです。というか、キャラを描くより全然大変です。そもそもキャラより背景の方が描かないといけない面積が広いですし。
背景を描くにはパース(透視図法)の技術が必要になりますが、私が読んだパースの本はこの2冊です。

例えば20ページのマンガに100個のコマがあるとすると、普通に考えると背景を100回描くハメになります。
ヴォエ!想像しただけでしんどすぎて吐きそう…!
まあ、実際には全部のコマに背景を描き込んでもむしろ見づらいのでそこまではしません。キャラがどこにいるのか示すときなど、必要なコマだけ背景が描かれます。スティールボールランを見てみると、大体、平均で1ページ辺り2コマくらい背景が描かれているようです。20ページなら40回背景を描くハメになります。

ドラえもんのマンガの背景は、カメラアングルがほぼ固定されていて、描き込みも最小限なので、まあかろうじてサクサク描けなくもない感じです。

しかし、最近の少年漫画、例えばジョジョなんかだと、カメラアングルはダイナミックに動きますし、そしてキャラクターがリアルで緻密に描かれている場合は、そのキャラクターに合うように背景もリアルに緻密に描くハメになりますから、地獄は加速します。

このように、緻密でリアルな背景が求められるようになった結果、もはやイチイチ手描きで描いていられる限界を超えて、「だったら3DCG使えばいくらでもリアルで正確な背景描けるわい!」となってCGを駆使する漫画家が増えたという事もあるでしょう。

背景を描くのがあまりにも大変すぎるため、同人誌などでは一切背景を描かないで切り抜けているケースもよく見かけます。

また、マンガは自分の世界観で描いてしまえますから、工夫次第で背景を描かないで済ませる事もできます。
例えば、鳥山明先生はドラゴンボールで「精神と時の部屋」という、何もない世界を用意する事で背景を描かずに済ませました。

また、ドラゴンボールではバトルの時に、作画カロリーの高い街の建物とかは敵が「邪魔だ」とか言って吹き飛ばしたりしがちです。

そうまでしなくてはいけないほどに、背景の作画はしんどいという事です。

そんなしんどすぎる背景作画ですが、3DCGを使えばイチイチ手で描かなくて済みます!
最高だ!是非私も取り入れたいですね。

3DCG背景はベストではないかもしれないがベター

さて、地獄の背景作画を省力化してくれる、まさに魔法のような3DCGですが、必ずしも最高の方法だとは限りません。

マンガを読む読者の立場に立ってみると、CGを使った背景は、手描き背景と比べてなんかどうしても劣るというか、違和感を感じるような気がします。

士郎正宗先生も、正直に言ってしまうとCG背景より「攻殻機動隊」や「アップルシード」の頃の手描き背景の方が好きでした。

ですから、自分がマンガを描くにあたっても、できればCGじゃなく手描きで描きたい…かつてはそう思ってました。

しかし、そもそも私は手描きだとロクな背景が描けません!ですからぶっちゃけCGに移行しても何も損は無いでしょう。
それに、背景を描くのが大変すぎてマンガを描くのに挫折してきた面もあったと思います。

CG背景は必ずしもベストな選択肢ではないかもしれませんが、手描きで背景を描くのがしんど過ぎてマンガ自体を挫折するくらいなら、CG背景でもマンガを描ける方がよっぽどマシではないでしょうか。

背景はCGだとして、キャラはCGにすべきか、手描きにすべきか?

さて、先述したように、私は「マンガを描き続ける」という唯一にして究極の目標を設定しました。

どういうスタイルでマンガを描くか?という事すら、この究極目標から逆算して選択するべきです。

例に挙げたCGを使用している漫画家の方々も、色々なスタイルに分かれてます。
まず大きなところで、白黒で描いてるか、カラーで描いてるか?という違いがあります。
それから、背景だけCGの場合と、背景もキャラも全てがCGの場合があります。

さて、新マンガは白黒で描くか、カラーで描くか、どっちにしよう?
結果から言うと、カラーで描く事にしました。これは、CG背景の都合です。

詳しくは後述しますが、白黒のマンガ向けのCG背景は、素材があまり多くなく、マンガの全てのシーンを賄えそうになかったです。
それよりは、カラーのマンガ向け…というよりはゲームエンジン向けの3DCG素材は、最近ではかなり潤沢になりましたから、大抵のシーンは賄えそうです。
というわけで、新マンガはカラーで描く事にしました。

カラーのマンガって白黒マンガより手間がかかるんじゃないの?と思うかもしれませんが、まあ一般的にはそうなんですが、必ずしもそうでもない可能性もあります。

例えば、沢山のキャラクターが登場する漫画の場合、白黒のマンガだとよっぽど顔や髪形などの特徴を描き分けないと、誰が誰だか見分けが付かなくなりがちです。
それに対して、カラーなら全員同じ顔でも髪の色が違えばパッと見でキャラが判別できたりします。
つまり、白黒マンガは線とベタだけで説明しなければならないのに対して、カラーなら色を使って説明ができますから、画力に自信が無かったり、描き分けが難しいようなシンプルな絵柄の場合はむしろカラーの方が手間が省けたりします。

というわけでカラーに決まりましたが、キャラクターはCGにすべきか、手描きにすべきかという選択があります。

結果から言うと、とりあえず手描きにしました。この選択は、どういう絵柄で描くかによるかと思います。

カートゥーン的なシンプルな絵柄の場合、ぶっちゃけCGよりも手描きの方が手っ取り早いです。
それに対して、リアルで緻密な絵柄の場合は、手描きだと描くのに手間がかかり過ぎるので、3DCGを使う方が省力化できる事になります。

キャラにもCGを使用している三条友美先生の場合はかなりリアルな絵柄のキャラですから、CGを使ってます。

それに、CGのキャラはカートゥーン的な誇張した表情を表現するのが苦手です。
いや、メッチャ頑張ればできなくは無いでしょう。最近のCGアニメはマンガっぽい表情をしてるケースもあります。

例えばハイスコアガールはCGアニメですがあまり違和感を感じず、マンガっぽい表情も表現できています。

しかし、こういう表現力豊かな3Dモデルはそもそも作るのがクッソ大変です。
アニメなら作画枚数が膨大なので、例えば数カ月かけて3Dモデルを作成するコストも正当化されるでしょう。

しかし、マンガだとキャラごとにそんな手間かけてモデル作成するよりもう手描きで描いちゃった方が早かったりするでしょう。

仮に、素晴らしい表現力の3Dモデルが用意できたとしても、1コマごとにパラメータを調整して表情を作り込んでいく作業は実はかなり手間です。「もう手で描いちゃった方がはぇ~よ」となりがちです。

というわけで、キャラを3DCGで描くか、手描きで描くかについては、絵柄次第という事になりますが、私はあんまりリアルというよりは記号っぽい絵柄を描く気がするので、3DCGよりも手で描いた方が早そうですから、とりあえず手描きを選択します。

ただし、マンガを長く描き続けていくと、3Dモデルの制作コストより描く手間の方が上回るかもしれません。
ちょっと考えてるのは、あんまり表情とか弄れないようなシンプルな3Dモデルをサクッと作って、引きの絵でキャラの立ってる位置さえ分かればいい程度のコマでは使っていくみたいなのはアリかもしれません。

例えば少女終末旅行のアニメでは、引きの絵の時だけはケッテンクラートに乗るチトとユーリは3DCGで描かれてます。

このCGのチトとユーリには表情モーフとか付いて無さそうです。

背景を描くのにCGに頼っていいのか?

ところでマンガの背景って本当にCG使っていいんでしょうか?
「CGなんてズルだ!」と思う人がいるかもですが、私に言わせればマンガ描くのは大変すぎるんだからできるズルがあるなら全部やりたいよという感じですが。

「ちゃんと自分で背景を描かないとマンガは損なわれる」のでしょうか?
私は必ずしもそうだとは思いません。

そもそも、商業連載のマンガでは、背景は大抵アシスタントの方々が全部描いており、漫画家はキャラだけ描いてるのが普通です。
これはズルくないんですか?
もちろんズルくありません。これは手抜きではありません。週刊連載では、漫画家はキャラを描くだけでも死ぬほど大変です。これに加えて背景なんて描いてるヒマがあるわけ無いです。

尾田栄一郎先生モデルのキャラ「背景の練習なんて時間のムダ。プロになったら自分で描かない」

それに、マンガを読んでる読者だって、別に背景を描いたのが誰だろうが気にしてません。

もしも背景がマンガの本質だとしたら、むしろ漫画家が背景を描いて、アシスタントがキャラの方を描いているマンガがあったっておかしくないはずですが、あまりそういうマンガは見かけませんね。

マンガの背景はどうでもいいと言っているわけでは無いです。背景はマンガには欠かせません。
背景を上手く描ける人の需要は、マンガでもアニメでもゲームでも山ほどあるでしょうから、背景を描ける人は一生食いっぱぐれなそうです。

ところでジョジョのマンガは背景もキャラと同じようなタッチで描かれてるので、ひょっとして荒木先生が全部描いてるのか?とか思ってましたが、やっぱりアシスタントの方にそれっぽいタッチで描いてもらってるようです。

私はアシスタントの方に背景を描いてもらってるプロ漫画家をズルいとは思いませんが、羨ましいとは思います。

何故なら、趣味でマンガを描きたいだけなのに、キャラだけ描いてるプロ漫画家よりも苦労して自分で背景もどうにかしないといけないからです。
そりゃあ、CGくらい使わせてくれよ…と言いたいですね。

余談ですが、アシスタントの方はどんな風にマンガの背景を描いてるんでしょうか?

普通に考えると、背景を描いてからキャラを置く形で描くような気がしますが、実際には大抵キャラを描いた後に無理やりでも辻褄を合わせて背景を描くケースが一般的なようです。

というのも、マンガのコマの中はたしかに三次元空間的に絵が描かれるものの、実際には画面上の平面的な二次元の構図が重視されるからです。

例えばこういうコマです↓

キャラが二人いて会話をさせようと思ったら、画面上で右からフキダシ→キャラ→フキダシ→キャラという風に並べないと、読みづらくなります。

それで、漫画家が描いたこのコマに、アシスタントの方が何とか辻褄が合うように背景を付けます。
そもそも、この絵ってどこにアイレベル(水平線)があるんだよ?

アイレベルはここになります↓

何故そう言い切れるかと言うと、横線を引いた時にその線が二人の同じ位置を通る場合、その水平線は辻褄が合います。(二人が坂道を歩いてたりすると、アイレベルは変わるかも)
この場合、水平線が二人の腰の位置を通ってるので、辻褄があってます。
アシスタントの方はこんな風に色んなテクを駆使して逆算して背景を描くという困難な作業を強いられます。

背景と言えば、水木しげる先生はマンガの背景が緻密というか、細密画レベルな事で有名です。

水木しげる先生のメチャクチャ凄い背景も、やっぱり水木先生ではなくてアシスタントの方が描かれてます。

というか、私も「水木しげる 魂の漫画展」の解説で知ったのですが、水木先生は単にアシスタントに背景を描かせるののさらに一歩先を行ってます。

水木先生は、近所の美術系の学生を集めてきて、写真を渡して緻密な背景イラストを描かせていました。そしてそれらをストックしておいて、マンガで必要になった時にコピーして貼り込んで使っていたそうです。
背景を使い回しまくってたという事です。

でもこれってズルですか?違いますね。
こうでもしなければ週刊連載とかであんな高いクオリティでマンガを描いていく事は不可能に決まってます。

水木先生は、ここまで効率化していたのに、それでも多忙な時期は家から一歩も出られず仕事に追われて、1日の内で休憩できるのは窓から数秒間外を眺める事だけだった…という日もあったそうです。

ところで、マンガの背景も全部漫画家が描いてるケースも中にはあります。

panpanya先生は、背景も込みで作風の内みたいな感じがしますし、本人が背景を描いてそうです。

石黒正数先生は、「それでも町は廻っている」で背景も全部自分で描いていたそうです。

漫画家の中には、別に好きでアシスタントに背景を任せてるんじゃなくて、本当なら全部自分で描きたい!けどそれだと間に合わないからしょうがなくやってるんだ…という方もいるかもしれません。

ちなみに私は背景は描きたくありません。背景が無いとマンガが成立しないから仕方なく何とかしようとしてるだけです。
アシスタントさんに任せられたり、CGに頼れるなら喜んでそうしたいです。

昔はちゃんとした漫画みたいにちゃんと背景描けるようにならなきゃ…とか頑張ろうとしてましたが、この歳になるとできない事はできないと割り切って、CG丸投げもやむなしでしょう。

マンガを描くのにテクノロジーに頼っていいのか?

マンガを描くのにテクノロジーに依存してしまうと、もはやそれ無しでは描けなくなるけど、それでいいのか?という懸念がある人もいるかもしれません。

例えば、デジタルでマンガを描くと、アナログで描けなくなるぞ!みたいな話です。
しかし、アナログでマンガが描けなくなって何が困るんでしょうか?一生デジタルでマンガを描けばいいだけの話です。

(ただし、最近は漫画家のアナログ画やマンガ原稿が美術品として高値で取引される傾向が始まりつつあるようなので、デジタル漫画だとそうはならないので、そういう意味ではアナログで描いてる作家にもアドがあるかも。美術館などで漫画家の企画展をやるとしても、手描きの生原稿とかがないとデジタルのコピーだとなんか寂しい)

背景をCGに頼ると、手描きで背景を描く力が付かないぞ!という話は、もう一生背景をCGに頼ると決めてしまえば何も問題ありません。

第一、それを言うならプロ漫画家だってアシスタントに背景任せたら背景描く力が付かないぞ!って話になるかと思いますが、漫画家にしてみれば、「いやもう背景は一生アシスタントさんに任せるから問題無いよ」ってだけです。

というわけで、個人的には全面的にテクノロジーに頼るべきだと思ってます。

それに、テクノロジーに頼るほど、テクノロジーの進歩に乗っかれるというアドがあります。
後述しますが、背景CG作成にはUnrealEngine5を使う事にしたのですが、UnrealEngineはグラフィックス機能がどんどん進歩していってます。

つまり、私のマンガの背景も、UnrealEnginenの進歩とともに、私が何もしなくても勝手にクオリティが上がっていく事が期待できます。

背景CG作成には、どのソフトウェアを使うべきか

私は以前からマンガの背景にCGを使う事を考えていました。

私がマンガを描くのに使ってるソフトは、クリップスタジオペイント(クリペ)です。
そもそもクリペには3D機能があって、3Dモデルを読み込んで表示する事が可能です。
そしてクリペはコミスタの3D素材も読み込めます。コミスタの3D素材は白黒マンガで使用する想定なので、モデルにカラーテクスチャが付いてません。クリペの3D素材はカラーイラストにも使えるように、カラーのテクスチャが付いてます。

まあ、ありがたい機能なのですが、ちょっと問題があって、ソフトに付属している背景の種類がイマイチ少ないです。

大体、背景用の3Dモデルはこれくらいしかありません↓

素材がある背景ならそれを使えば良さそうですが、素材に無い背景はどうしますか?

以下の2択が考えられます。
①3D素材が無い背景は、しょうがないので手描きで描く
②3D素材が無い背景は、3Dモデルを自作する

②については、3Dモデルを自作するのは、実は高度が技術が要求されて、しかも手間もかなりかかります。むしろ手描きで背景描くより手間がかかるかもしれません。ですので極力避けたいです。
①については、たしかに素材で賄いきれない背景は、そりゃ手描きで描くしか無いんですが、それにしたって3D素材の種類が少ないので、結局ほとんどの背景を手描きで描くハメになりそうで、だったらあんまり3DCG導入の意味が薄そうです。

クリペのカラーの3D素材以外に、コミスタの白黒の3D素材もあります。
コミスタの3D素材の種類は、クリペに比べたら確かに充実しています。しかし、それでもたかが知れてます。
ちなみに、セルシスはコミスタ用の3D素材の追加パックを販売してましたが、すでに販売終了しており、Amazonでは5万円のプレミア価格が付いてます。

実は、セルシスはその後、コミケでClip Premium DVDというDVDを無料配布しましたが、その中にこの3Dデータコレクションのコンプリート版が同梱されていたという爆アド事件がありました。

私はそのDVDをヤフオクかなにかで手に入れました。無料配布でバラ撒かれてたものですから、ヤフオクで1000円くらいで出回ってます。

さておき、この3Dデータコレクションを手に入れたとしても、それでもやっぱり背景素材は足りません。私はもはや一切手描きで背景は描きたくないですし、3Dモデリングも面倒くさいので、素材が足りないのは困ります。

そんな風にしばらく困ってましたが、一方で私はゲームエンジンのUnityを触ってゲーム関係で何やかんややってました。

そこで気付いたのですが、なんかUnityのアセットストアで売ってる3Dモデル素材がやたらめったら充実してきてるなあという事です。
昔はロクなモデルを探す方が大変でしたが、世界中のアセット作者が凄い勢いでアセットを量産した結果、年々3D素材が充実していき、最近ではほとんど網羅的と言っていいくらい何でもあります。

アセットストアの3Dモデルは、本来はゲームを作るための素材ですが、私が思うにむしろゲーム用途には使いづらい印象があります。色んな風景の3Dモデルがバラバラに売ってますが、アセット作者によってテイストやクオリティにバラツキがあるので、一つのゲームにまとめた時に違和感が出そうだったりします。そもそもバラバラの3D素材を一つにまとめる事自体結構大変です。

私はむしろこれらの3Dアセットを、ゲームじゃ無くてマンガに使えば便利なのでは?と思い始めました。Unityを使ってマンガの背景をレンダリングするというアイデアです。マンガの背景ならそれぞれの3D背景アセットが一つに繋がってなくてバラバラでも撮影セットが沢山あるというだけなので特に困りません。

Unityと同じようなゲームエンジンとして、UnrealEngine4があって、Unityより簡単に綺麗なグラフィックスがレンダリング可能です。
また、UE4にもマーケットプレイスという素材ストアがあり、これまた高品質な3D素材が山ほど売ってます。

ゲーム用の3D素材って、低ポリゴンのカクカクなんじゃないの?と思うかもしれませんが、まあ一部のモバイル向けの素材はそういうのもありますが、基本的にはまるで実写みたいなリアルなアセットが多いです。

つまり、金さえ払って素材を買えば、大抵どんな背景でも用意できそうな気配になってきました。

マンガでアシスタントに背景を描いてもらうとどれくらいお金がかかるのか知りませんが、例えば1ページあたり5000円で背景アシスタントを募集してるツイートがありました↓

アシスタントが1ページで5千円かかるとして、UE4のマケプレでは例えばこちらのリアルな中世の背景3Dが7,592円です。

https://www.unrealengine.com/marketplace/ja/product/fantasy-and-medieval-artchitecture-kit

3D素材なら何回でも使えるから、ある意味安いかも…。

ところで、3Dレンダリングするんだったら、ゲームエンジンよりBlenderみたいな3Dソフトを使う方が綺麗にレンダリングできるんじゃないか?という意見もあるかもしれません。
たしかにそうですが、Blenderでのレンダリングは、”やたら時間がかかる”という弱点があります。マンガ制作では手間を減らすために3D背景を使いたい訳なので、待たされるのは困ります。(まあCyclesじゃなくてEeveeなら待たなくて済むけど、Eeveeだと結局ゲームエンジンと同等の絵だし)
その点、ゲームエンジンならリアルタイムレンダリングで、待ち時間ゼロでそれなりに綺麗な絵をレンダリングできるのでとても便利です。

ですが、ゲームエンジンにも弱点があります。
ゲームエンジンでは、綺麗な間接光などを表現するのにライトのベイクを行っています。ですから、ちょっとライティングを弄りたいな~とかやっちゃうと、ライトの再ベイクが必要になります。これがまた、かなり待たされます
こうなると、リアルタイムレンダリングのメリットが潰されてしまいます。

Blenderもゲームエンジンも一長一短だな…とこれまた困ってしばらくこのアイデアも寝かせていました。

そうこうしてたら、今年、ついにUnrealEngine5のアーリーアクセス版がリリースされました!
UE5には、リアルタイムで間接光を表現できる、Lumenという新機能が追加されました!
つまり、もはやライトをベイクしなくても、美しい間接光が表現できて、Blenderで時間をかけてレンダリングするのと同じクオリティの画像がリアルタイムで描画できるようになったわけです!

たとえばこちらのツイートによると、2時間かけてVRAYでレンダリングした画像とほぼ同じような品質の画像がUE5でリアルタイムレンダリングできちゃってます↓

というわけで、UE5はマンガの背景CG作成にとってまさに神のようなソフトになりましたので、早速これを使ってマンガを描く事にしました。

マンガの背景に写実的なCGは合わないんじゃないか?

ところで、UE5で写真みたいに綺麗な背景がレンダリングできるようになったのはいいですが、そんな写真みたいな背景って、マンガには合わないんじゃないでしょうか?

しかし、私は必ずしもそんな事も無いかもしれないと思います。

例えば、アニメはキャラが描かれたセル画と背景とで全然タッチが違いますけど、別に見ていて気にしませんよね。

キャラがリアルなのに、背景がリアルじゃない、というパターンは見ていて違和感があると思いますが、その逆の、キャラがリアルじゃないのに、背景がリアルな分にはあんま問題が無い事が知られています。

たとえば「よつばと!」は背景の緻密さに比べるとキャラはデフォルメされていますが、別に読んでて違和感ありません。

https://natalie.mu/comic/gallery/news/23749/34595

先ほど紹介したpanpanya先生のマンガでも、背景がやたらめったら描き込まれていて黒々とした画面の中で、キャラはそもそもタッチが違って鉛筆でササッと描かれたシンプルなスタイルをしていますが、こうする事でキャラクターが浮き上がってるように引き立って見える効果があります。

水木先生の、緻密な背景の中にポンとシンプルなキャラが置かれるのも同様な効果がある気がします。

つまり、キャラと背景はチグハグでも構わない…むしろそれがいいケースがあるという事です。
マンガ学でもこれについて解説があります。

スコット氏は、「タンタンの冒険」なんかもキャラのシンプルさに対して背景がやたら緻密な点を指摘してます。
スコット氏の理論によれば、キャラをカートゥーン的にシンプルに描く事で、読者がそのキャラと一体化できる効果があるとしています。ところが、読者は別に背景とは一体化したくありません。

ですから、キャラ(読者がなりたいもの)の表現と背景(読者が眺めたいもの)の表現は違っていい。という事になるわけです。
スコット氏の指摘によれば日本のマンガはすでに全面的にこのキャラと背景の描き分け効果を使ってるとの事。

「そんなに言うならじゃあ実際にUE5で背景描画してるマンガあるなら教えてくれよ!」と言われると、まだそういう作品は出回ってないかもですね。しかし、私はその内UE5で漫画背景を制作するのが当たり前になる時代が来ても別におかしくないと思いますけどね。

UE5じゃないですが、UE4がジャンプに載ってるマンガ背景に使われた例はあります。

しかし、この例ではわざわざUE4でレンダリングした後、線画抽出して普通のマンガっぽく加工してますから、私が考える「UE5でレンダリングした写真みたいな画像をそのまま貼り込めばいんじゃね?」説とはちょっと違いますけどね。

浅野いにお先生がマンガ背景にUE4を使用した例もあります。↓

漫画家 浅野 いにお氏、Unreal Engine でリアルタイム背景を制作する

やっぱり普通のマンガっぽく加工してますね。しかし、これらの例では白黒マンガとして雑誌に掲載する必要があったのでそうしただけで、紙に印刷するという制約さえなければ別に加工無しで使っていいと思いますけどね。

最近はイラストがCGに寄って行ってるような気がする

またこれも一概に言える話じゃなんですが、昔に比べると最近は写実に近いリアル志向の厚塗りの絵が多くなってきてる傾向があるような気がします。

昔はカラーイラストと言うと、アニメのセル画に描かれたキャラみたいに描くのが普通だった気がします。(コピックとかで綺麗なグラデで塗ってる人もいたけど)

さらに、これはまた別の記事で書こうかなと思ってた話ですが、最近は背景のロケーショニングに凝っている絵が目立ってる気がします。
昔はイラスト背景なんてキャラをドーン!と描いた後に後ろに適当に付け足すみたいな、言わばアニメージュのピンナップみたいな、まあそういうのが多かったというか、私もそういうもんでしょと思ってた気がします。

要するに昔はイラストはマンガ・アニメ的で記号的表現だった傾向が、最近はリアル・映画的な実写的な表現が多いみたいな話です。

例えばこういう感じです。

どのイラストも、まるで写真みたいにリアルな構図、質感、ライティングが用いられてます。
とりあえず真ん中にでっかくキャラを描いてから後ろに背景を付け足す…みたいなアニメピンナップ的な平面構成というよりは、奥行きのある三次元空間の背景の中にキャラを配置する…みたいな逆の方法が取られてるように見える点にも注目です。

なぜこのような表現のイラストが増えてきているのか?というと、ゲームグラフィックスの進化が関係しているのかもしれません。
最近のゲームはPBR(物理ベースレンダリング)によって、実写みたいにリアルで美しい質感・ライティング・反射表現がされています。
ゲームでは三次元空間の世界を歩き回りますから、そういうゲームを遊んで育った人達はイラストでも平面的な構図じゃなくてリアルな三次元空間を表現しよう!という感じになるのかもしれません。

ですから、イラストレーター側からは、「こういうゲームがあったらいいなと思って描きました!」という出し方をしがちです。
その絵を見る我々も、やっぱりそういうリアル傾向なゲームで遊んでいますから、リアルなイラストに共感して、「たしかにこういうゲームがあったらいいな…」と感じます。

昔のアニメピンナップ的なイラストは、マンガと同じような”記号”のシステムで描かれていたのに対して、最近のゲーム、映画、実写的なイラストは、”写実”のシステムで描かれ始めているという事です
イラストのキャラや背景にリアリティが求められるようになると、要するにどんどん描くのが大変になります。

さて、イラストがリアル化していって描くのが大変になると、それに比例して、「こんなにリアルに描くんだったらもう写真とか3D使えばいいじゃん」という感じも高まっていきます。

しかし、一般的に知られている事実として、イラストの背景に写真を使うと残念な感じになります。

この現象がなぜ起こるのかはまだよく分かっていません。
私が今思いつく仮説では、写真とキャライラストを混ぜても馴染まないからかもしれません。
キャラと背景が同じ世界だと信じる事が出来ないという事です。キャラがその世界で生きているというより、現実の中に印刷されたキャラの等身大立て看板が置かれてるだけ…みたいな感じで見えます。
手描きのキャラは”絵の世界“にいますが、写真背景は”現実の世界“です。だから、馴染みません。

クリペには写真をイラスト調にするフィルターとかもあって、多少イラストっぽくなりますが、まだそのままだとキビしいです。

では写真背景は諦めるとして、3DCGを使うとどうなのか?
実は、上に挙げたイラストの中でも、多かれ少なかれ3DCGが使われてたりします。

手描きイラストと写真の組み合わせはダメだという事が分かりましたが、じゃあ手描きイラストとCGの組み合わせはどうなんでしょうか?
これは実際にやってみないと分からない事でした。

で、実際に上で挙げた方々はそれに挑戦して、成功しています。
しかし、これは最近になってようやくアリになった表現かもしれません。昔は、パソコンのスペックが貧弱だったので、個人のPCでは貧弱なCGしか出力できなかったでしょう。それだとイラストに使うのはキビシイです。
それから、最近はリッチなグラフィックスのゲームに触れて、見慣れている人が増えたというのも昔とは違う所です。

つまり、手描きのキャラは”絵の世界”で、3DCGの背景は”CGの世界”であって、昔だと表現能力の不足と馴染みの無さのせいでこれらが同じ世界だと信じられなかったかもしれませんが、最近はどちらも同じ”ゲーム世界”だよね!という形で世間的に受容可能になったらしいという事です。

もちろん、キャラとCGを馴染ませる工夫はしています。キャラのライティングはCGに合わせて、CG寄りに描かれていますが、これは昨今のリアルなイラストが流行ってる風潮とベストマッチしています。
CGの側も、写真だと思われると困るからか、リアルなグラフィックスながらも非現実的なシチュエーションとかにして、CGである事を強調する傾向があります。そして、現実よりも劇的なライティング演出を行って、写真よりも映画的、ゲーム的な雰囲気を演出してたりします。

それで、イラストの背景に3DCGを使うと何が嬉しいのか?という話ですが、まず、手描きよりも完全に正確でリアルな質感の絵が出せます
それから、手描きで背景を描くのが嫌いな人や、苦手な人でも、3DCGならパースやらの面倒な作画テクニックが要りませんから苦手な背景を克服できるという人もいます。(3DCG作成もそれはそれで面倒だったり技術が必要だったりするので、向き不向きの問題かもですが)

さらに、何より重要なのが”省力化“です。例えば背景にビル街が必要になったとします。
手描きだと一つ一つビルを描かないといけないので地獄ですが、CGなら例えば1個ビルのモデルを用意すればあとはコピペで増やしてなんとかなったりします。

というわけで、イラストが写実的、映画的、ゲーム的な方向に寄せられる傾向があり、それに伴ってイラストを描く手間が爆上がりして、そういう事もあって背景に3DCGを導入する人が増えているという話でした。

どうして突然こんな話を始めたのか?というと、つまり私が新マンガのページを横長にしたり、背景にUE5を導入しようみたいな思いつきも、これらのイラスト表現の傾向を踏まえているという事なのです。

つまり、「へ~、こういう絵がウケてるんだったら、このノリでマンガ描いたっていんじゃね?」みたいな発想があったわけです。

Blenderという3Dソフトがありますが、これは無料で使用することができ、しかもVer2.8以降、劇的に使いやすくなりました。最近3.0がリリースされましたが、ほとんど神みたいなソフトになってます。
ですから、イラストレーターの方々も「こりゃあ便利だ」って事でみんなこぞってBlenderを使い始めています。

「オレには3DCGとか関係ない」と思っていても、業界の傾向としてのイラストのリアル化の傾向とそれに伴う手間の爆上がりがあると、3DCG使える人とそうでない人の間に圧倒的な生産性の格差が生まれます。

もうじき、イラストレーターがBlender使えるのはフォトショが使えるのとほとんど同レベルに必須条件になっていくとしてもおかしくありません。

ちなみに余談ですが、”絵の世界”と”写真の世界”は馴染まない、そして”絵の世界”と”CG世界”は馴染む事が分かりましたが、ではもう一つのパターン、”CG世界”と”写真の世界”の組み合わせはどうなんでしょう?

CGキャラと現実世界の組み合わせが見たければ、「AR動画」を検索すれば一杯出てきますので、それを観れば分かります。

他にも、実写映画にCGのキャラが合成されているケースはいくらでもあります。ジュラシックパークなんかもそうです。

基本的に、このパターンはCGキャラが完全に写真、映像に馴染んでる必要があります。
twitterとかで写真にCGキャラを合成してイラストとしてアップしてるみたいなのは比較的あんまり見かけません。
多分、写真背景は現実世界ですが、そこに乗せるCGキャラはフィクション世界ですから、”ウソ“になってしまうのが問題なのかもしれません。
CG背景と手描きキャラなら、両方フィクション世界なので、それはフィクションとしては”本当“なので信じられます。

他には、実写の人間とCG背景の組み合わせとか、CGキャラと手描き背景の組み合わせとかも考えられますが、キリがないので飛ばします。

そういえば、記事の上の方で、「マンガはリアルを目指して描くと手間がかかって大変だから記号で描け!」と言ったくせに、このセクションでは「記号じゃなくてリアルっぽく描かれている最近のイラストの風潮を取り入れてマンガを描く事にした」って言ってるのは話が矛盾してるんじゃないか?と思われた方もいるかもしれません。

私も自分で書いててちょっとそう思いましたが、あくまでもキャラは記号で描け!という事で、背景はどんだけリアルなCGでも構わないというスタンスなら矛盾しないはずです。
また、キャラがシンプルなのに対して背景がリアルすぎるって分には問題は起きないだろうという事も説明済みです。

マンガ背景にCGじゃなく、写真を使う選択肢はないのか

さて、上のセクションで、イラスト背景に写真は使いにくい話をしましたが、マンガの背景に写真を使うのはどうなんでしょうか?

例えば、「低俗霊DAYDREAM」では写真を二値化に加工した背景が使われています。

マンガの写真背景って、なんか”ホラー”っぽい雰囲気になりがちなのですが、この作品では心霊などを扱っているので上手い事雰囲気がマッチしています。
どうして写真背景はホラーっぽくなるのか?というと、よく分かりませんが、写真を二値化すると”見づらい写真”になりますが、”見づらい”というのがすでにそれだけで怖いですから、ホラーになるんだと思います。ゲームのバイオハザードでも、画面が見づらいとか操作しづらいといった要素がホラー度を増していたという事があります。

「アイアムアヒーロー」の背景も写真を活用しているらしいです。

アイアムアヒーローの背景は、シーンによって普通に描いている場合と、写真からトレスする場合、写真を加工するだけの場合があるように見えます。

ここまでリアルな背景が必要になると、全部のコマで写真資料を用意してくれないと、ゼロベースで描いてと言われても困りそうです。
写真ベースだとホラー感が出てしまう問題も、アイアムアヒーローも作風にマッチしているのでむしろメリットです。

「屍鬼」でも、背景は写真がそのまま貼り込まれてます。これも、ホラーな作品だから行けるという判断でしょう。

そういえば、ググってたら見つけたのですが、マンガの背景に写真を活用する事の是非みたいな事でかつてtwitterでバトルが勃発した事があるようです。

江口寿史先生の「マンガの背景」論と、マンガ家たちの反応。

背景に写真使うだけで文句が出るんだったらCGなんか使った日にはどうなるんだろう…?
もし私が苦言を言われても、「だったら代わりに背景描いてくれよ」としか言いようがありません。

というわけで、マンガの背景に写真を活用している例は結構ある事が分かりました。

じゃあ私も背景は写真で済ますか?と言うと、いくつか問題があります。
まず、雰囲気がホラーっぽくなってしまうのは正直困ります。(まあ実はCG背景も若干ホラーっぽくなりがちな面がありますが)
それから、マンガの背景を写真で補おうと思ったら、必要な写真を撮りに行く取材の手間が発生します。正直言ってちょっと面倒です。(まあ街を3Dモデリングするくらいなら街の写真撮った方が早いだろうけど)
さらに、撮影に行ける近所の風景だけでマンガを作んなきゃいけないという制約も発生するでしょう。

他にも問題はあります。
普通のマンガだと、漫画家がキャラを描いた後に、アシスタントが整合性取れるように背景を描いてくれますが、写真背景のマンガは、写真の背景ありきで、そこにキャラを描き加えるという、逆の流れになります。
写真にキャラを描き足すのって、実は結構むずかしいです。

ちょっと間違えると、こんな風になってしまいます。↓

でかすぎんだろ左の女の子…。
右の男の子くらいのサイズが適正でしょう。
道路が水平だと考えると、水平線はこの赤い横線あたりだと考えられますが、よく見ると道路が坂道のようにも見えますし、というかカメラがちゃんと水平に向けられていたのかさえ定かではありません。
そうなってくると、もはやどう描けば正しくなるのか、私の手に負えなくなってきます。

「たとえ巨人になっちゃうとしても、キャラは写真的にこの位置に立ってて欲しいし、かつコマ上ではこれくらいのサイズで描きたいんだよ!」という場合は、写真の方を拡大して調整するしかないですが、拡大しすぎると解像度が不足してしまいます。
という事は、もう一回この場所まで行って来て、写真を取り直してくるしか無いかもしれません。しんどすぎます。

さらなる巨大な問題もあります。ライティングで演出したくてもできないという問題です。
たとえば、実写映画は、実写という意味でスマホで撮る写真と同じように思えますが、全然違います。
実写映画の照明は、全てが人工的に演出されてます。

ライトを沢山配置して演出する事で、劇的なシーンを撮影することができます。
スマホとかで背景用写真を撮っても、ライティングが操作できません。

仮にスマホで劇的なシーンが撮れたとしても、写真だとキャラクターがどういう照明条件にいるのか、つまりライティングがどうなってるのかよく分かりません。
白黒のマンガなら大した問題では無いでしょうが、カラーの場合だとキャラをどう塗れば背景に馴染むのかよく分からないので問題です。

というわけで写真を背景に使うのには問題が色々ありますが、UE5による3DCGを使えばほとんどの問題が解決します。

まず、わざわざ外を歩き回って写真を撮らなくても、家の中でパソコンだけで必要な背景が撮影できます。
近所に無いようなドラマティックな風景も、アセットさえ売っていれば撮影できます。

写真にキャラを描き加えるのが難しい問題も、UE5ならこのように、マネキンを実際にシーン内に配置してポーズを取らせれば、どんなふうにキャラを描けばシーンと整合性が取れるのか、簡単に分かります。↓

というか、もはやこのマネキンをトレスしてしまえば、デッサン能力が無くてもちゃんと形を取れます。

しかも、キャラクターのライティングも、このマネキンを見れば分かります。マネキンから色を拾ってキャラに塗ればOKです。
これだけで正確にキャラのライティングを描けます。

あとは、キャラにディフューズ色(3Dモデルで言えばキャラのテクスチャの色)を足せば完成です。

さらに、写真だと「アングルを変えた写真が必要だからまた撮り直しに行かなきゃ!」ってなる時も、UE5ならその場でパッと撮影し直せます。

何より、UE5なら、リアルタイムでライティングを自由自在に調整できます。映画のような劇的なライティングも簡単です。

というわけで、3DCGを使えば作業のワークフローが大幅に簡単かつ便利になる事がお分かりいただけたかと思います。

本当にUE5で作業が効率化されるのか?

ところで、このUE5でのワークフローで実際どれくらい作業が効率化できてるんでしょうか?

まず、背景に関してはそりゃもう、制作時間がゼロになりましたから最高に効率化されました。

しかし、キャラクターの作画についてはあまり効率化されてないかもしれません。
作業にどれくらい時間がかかるか、一度計ってみた事がありました。

まず最初に、背景のロケーションを決めて、そこにマネキンを置きます。

マネキンの位置を決めたら、マネキンにポーズ付けします。これは1体当たり5分くらいかかります。

次に、マネキンをトレスして下書きします。キャラの顔や服は自分で描く必要がありますから、1体あたり20分くらいかかりました。

それからペン入れに1体当たり20分くらいかかります。

色塗りも1体当たり20分くらいかかります。

合計で、キャラ1体あたりの作画に1時間ちょっとかかる事になります。
たとえば1ページにキャラが3体出てくれば、描くのに3時間半くらいかかるでしょう。

個人的には1ページに3時間半というはちょっと時間がかかり過ぎててキツいです。
もう少し効率化したいですね。

たとえば、UE5ではマネキンに付けたポーズを保存して、使い回すことができるので、制作を続けていけば段々とポーズ集が充実してきてイチイチポーズ付けする手間が減らせるかもしれません。

他には、以前描いたのと同じようなコマはコピペで持って来るようにすれば手間を削減できます。これも制作を続けるほどコマのバリエーションが増えて省力化が進むでしょう。

あとは、必ずしも全てのコマで背景とキャラを合わせる必要は無いでしょう。
キャラの顔のアップや上半身しか映ってないようなコマは、イチイチUE5でマネキンをどうこうする作業はスキップできます。

それから、キャラの絵柄もデフォルメを強くしたりシンプルで記号的な絵柄にする事で手間を減らせそうです。最初描き始めた時はついついマネキンの頭身に引っ張られてリアルっぽい絵柄になりがちでしたが、絵柄がリアルだと上で書いた通り、読みづらくなったり描くのが大変になったりと、デメリットが多くなります。

というわけで、UE5を使う事で、背景に関しては圧倒的に効率化できましたが、キャラの作画は今のところそうでもないですが、続けていく事でじわじわ省力化が進む事が期待できます。

背景の3D素材が見つからない時はどうするのか

というわけで、新マンガの背景をUE5の3DCGで作成するアドバンテージはあらかた説明しました。

しかし、いくらアセットストアやマーケットプレイスの3D背景素材が充実しているとはいえ、必ずしも全ての必要な背景を賄えるものなのでしょうか?

いえ、必ずしもありとあらゆる全ての背景を補えるわけではありません。
例えば、「山手線の電車が欲しい」と思っても、売ってないかもしれません。

どうするかと言うと、「無いものは無いとして諦める」という選択肢があります。
例えば実写の映画だって、なんでも好き勝手に撮影できるわけではありません。
「バックトゥザフューチャー」や「ブレードランナー」だって、限られたオープンセットの中で工夫して撮影されてます。

例えば原作の小説とかがあってそれを漫画化する場合は、原作に山手線が出てきたらマンガでも山手線を描かざるを得ませんが、私の場合は一次創作で好き勝手に描けばいいので、山手線なんか登場させなければいいだけです。

「だったら最初からクリペの3D素材だけで工夫してマンガ描けばよかっただろ!」と思うかもしれませんが、クリペの3D素材はあまりにも数が少なすぎて、工夫で補える範囲を超えていると思います。

素材が見つからないけどどうしても登場させたい背景の場合は、しょうがないので自分で作るしかありません。
作ると言っても、必ずしもゼロから作る必要はありません。UnityやUEの背景アセットは、バラバラのパーツで構成されていて、好きな形に組み立て直せる作りの物が多いので、そういう背景キットやアリモノの小物を組み合わせれば、まあ大抵の背景は表現できるはずです。

それでもどうしても無い!というものは、本当にしょうがないので、手描きで描くか、Blenderでゼロから作るかになります。

ゼロから作るといっても、UnrealEngineユーザーは、Megascansライブラリが利用できます。
Megascansって何?と言うと、まあ3Dモデル用の膨大な質感(マテリアル)素材集です。
Megascansだけで大抵のマテリアルが揃ってますので、Blenderでちゃちゃっと作った3DモデルにMegascansのマテリアルを貼り込めば、簡単にフォトリアルなモデルが作れます。

そして、UEユーザーは、驚くべきことにMegascansを全て無料で使用できます。
ただし、利用規約によると、「タダでMegascansを使うのは、最終的なレンダリングをUnrealEngine上で行う場合に限られる」みたいな事が書かれています。
しかし、UE5を漫画で使う場合は、当然ながらUE5でレンダリングした画像をクリペなどに持っていって仕上げる必要があります。これって規約違反なのでしょうか?

いえ、こちらによると、セーフみたいです。↓

https://help.quixel.com/hc/en-us/community/posts/4408574911889-Unreal-Unlimited-License-in-Comics

ついでに書いておくと、そもそもUnityやUEを使ってマンガ制作を行う事自体は元々セーフですし、Unityアセットストアの素材やUE4マーケットプレイスの素材をマンガ制作に使うのもセーフなハズです。Unityアセットストアの素材をUEに持っていったり、その逆をやるのも基本的にセーフです。

というわけで、背景3D素材が見つからない場合の考え方を書きました。
ちなみに、アセットストアとマーケットプレイス以外にも、3D素材を売っているサイトは色々あるので、そちらをチェックしてみるのもいいでしょう。

アセットストアやマケプレ以外で売ってる3D素材はC4D用だったり3DSMAX用だったりするケースが多いですが、UEのDatasmithを使えば簡単にUE4向けにコンバートしてインポートできたりします。(ただし3DSMAXのライセンスが必要になったりするので注意)

内なる自分のモチベーションをコントロールする

さて、ここまではマンガ制作の効率化についてひたすら書いてきましたが、私が一次創作マンガ制作を克服するためには、単に効率化だけでは不十分です。
内なる私のモチベーションをコントロールする必要があります。

ここからはちょっと自己啓発的というか、精神論的な話になりますのでご了承ください。

ここまで記事を読まれた方は、私が必死こいて一次創作マンガを描こうとしてるのを見て、「モチベーション高いな~」と思われるかもしれません。
たしかに、ある面では私はマンガを描くぞ~!という意欲に燃えていますが、しかし別の面では完全にモチベーションがゼロなのです。

つまり、外側の私の中に内なる自分がいて、外側の私にやる気があっても内側の私にはやる気が無いという事です。
外側の私は「有意義な事をやりたい!」とか言って意識が高いですが、内側の私は「評価されないし儲からない事やっても意味ねぇ~よ」とか言って意識がクソ低いです。

私が思うに、世の中にいるワナビーな人、例えば漫画家になるぞ~!とか言ってるのに絶対に実際にはマンガを描こうとしない人達はみんなこの外側の自分のモチベーションの高さに対して内側の自分はモチベーションがゼロだから実際に行動することができないという問題を抱えていると思います。

というわけで、ポイントになるのは、如何にして外側の自分がやらせたい事を内なる自分にやらせるか?という事になります。
これは、結構難しい問題です。

内なる自分の特徴としては、報酬に忠実というのがあります。
頑張って挑戦してみた事が、評価されたり儲かったりするほど、もっとそれをやろうとする、やる気のサイクルが回りますが、逆に、苦労した割に全然評価されない事とかは、その事を学習して、もう内なる自分は二度とそれをしようとはしません。
これが人間のやる気のシステムです。別の言い方では、”脳の報酬系回路”とか呼ばれます。

この報酬系回路には、まあ基本的にはメリットがあります。
自分の苦手な事(苦労しても儲からない、褒められない事)はとっとと諦めて、得意な事(簡単にできる割に儲かる、褒められる事)に集中するように自分を誘導するための脳の仕組みというわけです。

しかし、報酬系回路にはメリットだけでなくてデメリットもあります。
易きに流れがち”という事です。つまり、目先のコスパに囚われて、本当は時間と手間をかけて少しずつ上達させていかなければならない大事な取り組みよりも、ラクしてパッと報酬が得られる安易な事しかやらなくなってしまうという事です。

脳の報酬系回路を崩壊させるtwitterの罠

例えば、それまで絵を描いたことが無かった人が「イラストレーターになるぞ!」と決心してtwitterを始めたとします。

しかし、twitterには化け物みたいに絵が上手い人がひしめいているので、残念ながら上手くない絵が注目を集めるのは難しいです。
絵を上げてもなかなかLikeもリツイートもされない…しばらくの間は内なる自分もやる気出してくれますが、いつまで経っても全然評価されないじゃん!ってなると、内なる自分は「絵を描いても評価されない」という事を学習してしまい、やる気を失います。

そうこうしてる内に、むしろしょーもないネタツイの方が評価が付くやん!という事に気付いたりします。これに気付いてしまうと、脳の報酬系回路はギュンギュン回転を始めます!
こうなるともう完全にネタツイを考える事ばかりに意識が集中してしまって、イラストを描く努力は完全に放棄されてしまいます!

こうしてまた一人のイラストレーターの芽が摘まれ、ネタツイッタラーが生まれてしまった…。
twitterってクソだな!!

女性のユーチューバーやツイッタラーが段々露出が激しくなっていったりするのも、この報酬系回路が悪さをしています。自分の描いた絵よりもエロい自撮りの方が大量Likeが付いてしまった日には、報酬系回路は暴走を始めます!
報酬系回路の暴走には歯止めが効きません。そうしている内に最終的に女性ユーチューバーの露出がライン越えしてしまい、Youtubeからバンされてしまうという結末を迎えがちです。

自分が本当にやりたかった事、評価されるまでに多くの努力や時間を要する事などを達成するためには、とにかくどうにかしてこの内なる自分、報酬系回路を飼いならす必要があります!

二次創作を描いていたツイッタラーが一次創作に転向しようとする場合も、この報酬系回路の問題に直面します。

一般的に言って、一次創作のイラストやマンガよりも、二次創作の方がウケやすいです。
何故なら、プロの漫画家は基本的に二次創作は描かないので、二次創作が見たかったらアマチュアの二次創作作品を見るしかありませんが、一次創作についてはアマチュアの作品を見るくらいだったらプロの絵やマンガを見た方がいいじゃん!という事でしょう。

ですからツイッタラーは一次創作は全然評価されないけど、二次創作は評価される!という事を報酬系回路が学習してしまいます。だから一次創作は放棄して、もっぱら二次創作ばっかり描くようになります。

これって誰の事言ってんの?って、もちろん私の事です。

今まで一次創作マンガを描くのに失敗していた原因の一つはこれです。
「一次創作は描いても二次創作に比べて反応が少ないから挫折する」問題です。

じゃあどうすれば良かったんだろう?という話ですが、”余計な報酬を受け取らない”べきだったという事に尽きます。
上で書いた、イラストレーターになりたかったのにネタツイッタラーになってしまった人は、余計なネタツイなんかしないでひたすらイラストだけをアップしていれば、報酬系回路は悪さをせずに、いずれはイラストが上達して伸びていったかもしれません。
どんどん露出が過激になっていってしまう女性ツイッタラーは、そもそも自撮りを上げなければ、報酬系回路は悪さをしませんでした。

同様に、私は一次創作マンガを描きたかったんだったら、そもそも二次創作なんかtwitterに上げるべきでは無かったのです。最初からひたすら一次創作だけをアップするべきでした。

まあしかし、今さらそんな結果論を言ってもしゃーないです。
それはそれとして、じゃあこれからその報酬系回路を修正するにはどうすればいいんだろう?という点に集中しましょう。

一旦ネガティブな学習をしてしまった報酬系は、修正は難しそうです。
とりあえず、twitterの報酬に依存してしまった脳みそから毒抜きをするために、私はしばらく前からツイートするのを基本的に止めました。

報酬系回路がtwitterに依存してる限り、ラクしてウケそうなツイートをする以外の行動ができなくなるからです。
それでしばらく経ったので、結構毒抜きできたはずです。

しばらく経っても全然一次創作のやる気は起きませんでしたが、本当に微粒子レベルでちょっとだけやる気が湧いてきつつあるような気がしてきました。

ここからどうすべきかは上で書いた通りです。余計な報酬を回避するために、一次創作の作品だけをツイートして余計なネタツイや二次創作のツイートは避ける。
これを守る事で、とりあえず報酬系回路が悪さをするのは防げるはずです。

習慣だけが人間の行動を変える

上のセクションで、とりあえず報酬系の悪さは回避できましたが、モチベーションを失ってる一次創作をどうやって可能にするか?という話は別問題になります。

人は、「俺は今日から変わるぞ!」と決心する事がよくありますが、そんなんで実際に人が変わる事ができません。

なぜなら、決意とか決心をしてるのは、外側の自分がそう言ってるだけで、内なる自分は「そんなん知ったこっちゃねぇ~し」って思ってます。
だから、どんだけ決意しても、人間は自分の行動を変える事はできないのです。

「じゃあもうどうにもならんじゃん…内なる自分には逆らえないじゃん…」って絶望しそうになりますが、実は一つだけ、内なる自分の行動を変える方法があります。

それは、”習慣”です。
習慣の力だけが人間の行動を変えることができます。

私はこの事実を、けんすうさんという方のnote記事で知りました。

エネルギーがない人が新しいことをはじめる時のコツみたいなやつ

けんすうさんは「習慣の力」という本で習慣のパワーを知ったそうです。

例えば、我々は月曜日の朝、「マジで仕事行きたくねぇ~」と思っても、でも仕事に行きますよね?どうしてそんなにやりたくないと思ってる事ができてしまうのでしょうか?
それは、仕事に行くことが”習慣”になってるからです。

他にも、私はジムに筋トレに行くのが心底しんどくて億劫ですが、それでも週1でジムに行ってます。
どうしてそんな事が可能なのか?
それも、”習慣”だからです。

”習慣”さえ身に付けば、人はやる気ゼロでも行動することができます!

つまり、たとえ私の脳みその報酬系回路がぶち壊れてて、一次創作マンガのやる気がゼロだとしても、一次創作マンガ制作の習慣さえ身に付けてしまえばやる気に関係なく描き続ける事ができます

死ぬほどハードルを下げる

ところで、習慣を身に付けると言っても、実際の所どうやればそれができるんでしょうか?

けんすうさんが言うには、「挫折するのが難しいくらい小さな習慣から始める」との事です。

要するに、最初は限界まで死ぬほどクッソハードルを下げて始めるという事です。

例えば、毎日10分だけタブレットのペンを握るだけ…とかならどうでしょうか?
報酬が無い事のために苦労なんか絶対したくないぞ!と思ってる内なる自分も、「まあそれくらいならいいか。よし、通れ!」と言って見逃してくれそうです。

報酬系回路さえ突破してしまえば後はこっちのものです。
とにかく行動の習慣化には成功しましたから、後は報酬系回路にバレないようにこっそりじわじわとノルマを増やしていきます。

筋トレでも最初っからベンチプレス100kg上げるとか無理なので、最初は10kgとかしょぼい負荷でもやってればじわじわ鍛えられていって筋力が増えて負荷を増やしていけるハズです。

というわけで、私の場合はさすがにもう少しくらいは最初からハードル上げても大丈夫そうですが、まあ無理は禁物ですから、「とにかく1日1ページ描く」という目標を設定しました。

1ページと言っても、新マンガは横長のフォーマットなので、1~3コマしかありません。
3コマも描きたくない日は1コマで済ませればいいでしょう。

さすがに1日1コマくらいは描けるんじゃねえか?

そうは言っても、1コマさえ描くのがしんどい日もあるかもしれません。
そういう時は、例えばいきなりこういうコマを描いてその日を凌ぐのも許容する事にします。

ここまでハードルを下げておけば大丈夫かな…。

というわけで、毎日ノルマとして1ページマンガを描くという方針が固まりました。
毎日描いたらtwitterに上げてスレッドで繋げていく事にします。

私は絵を描いたらすぐtwitterに上げないと気が済まない身体になってしまってます。
しかし、マンガは普通はある程度まとまった量を描いてから投稿するなり同人誌にするなりが普通です。
twitterに上げないでこっそり何十ページもマンガを描き溜めるのはかなりしんどいです!
私がマンガを描くのに挫折してきた一因はこれです。

毎日1ページ描いてその都度ツイートしちゃう形なら挫折要因が一つ減らせます。
マンガはゲームや動画と違って最低1ページ単位で細切れでアップできるという特性が活かせています。

「でも、読む側にとってはそんな細切れでアップされると読みづらいのでは?」と思うかもしれませんが、すいませんが今はマンガを描く事だけで一杯いっぱいなので、読む側の都合まで考えるとハードルが上がりすぎるので、とりあえず最初はなんも考えない事にします。

ネームを考えるのが面倒くさい問題

マンガというのは、一般的には描き始める前に全体のストーリーの構成を練っておくべきだと考えられています。

かつての私もそうだと思っていて、マンガを描き始める前にあーだこうだ構想を練ったりしてました。
しかし、本当にマンガに事前の構想って必要なんでしょうか?

私は直近で観たものとかにすぐ影響されるので、まどマギにハマった時は「まどマギみたいなマンガを描きたい!」とか言い出しがちです。
まどマギは脚本の構成が非常に練られており、後から見てそういう意味だったのか!みたいな伏線も一杯張られていてすごいです。
私もまどマギみたいなマンガって事でアレコレすごいストーリーを考えようとしたりしましたが、毎回、全体を詰めるところまで行く前に飽きてしまい、そもそもマンガを描き始める前に挫折する事がよくありました。

しかしよく考えると、そもそも、いわゆるジャンプみたいに連載で描くマンガと、まどマギみたいな1クールアニメでは、全然話が違いますよね。

マンガは所詮は個人レベルで描くものですが、アニメや映画は沢山の人達が関わって作るものですし、制作に必要な予算がケタ違いに大きいので、そりゃあ脚本だって最初からキッチリ詰めて作ってみんなのコンセンサスを取っておくでしょう。
というかアニメや映画はそもそも脚本のプロである脚本家が仕事をしてますし。

それに比べてマンガはぶっちゃけ描き始めてから話を考えてもいいんじゃないでしょうか?
というかプロのマンガでもそういう風に描いてる人が結構いるような気がします。
例えばドラゴンボールのマンガは、最初の頃も面白いのは面白いですがどちらかと言うとふわっとしたストーリーでした。途中からひたすらバトルを繰り返すバトルマンガになりましたが、テコ入れの結果そうなっただけで、当初はそんな感じにするつもりは絶対無かったはずです。
同様に、遊戯王のマンガもひたすらデュエルするマンガになるなんて当初は作者だってさらさら考えてなかったでしょう。カードバトルが読者に異常にウケた結果としてそれメインで行くことになった感じでしょう。

ハッキリ言って、マンガは描き始めてみないと作者本人にもどうなるか分からん所があると思います。
連載マンガは常に読者からのフィードバックに左右される運命を抱えています。結局、人気が無ければ打ち切りになるという事ですから。
ですから、たとえ作者がどんだけ緻密でスゴイ展開の構想を抱えていようと、それまでに退屈な展開がしばらく続くとすると、構想が実現されるより前に打ち切りの危機を迎えます。そうなったら構想なんかぶん投げて慌ててテコ入れしまくるハメになります。
ですから、連載開始して読者の反応を見て見ないとマンガがどうなるなんて分からんので、事前にアレコレ考えてもしゃーないという面もあるっちゃありそうです。
むしろ、事前に全部ストーリーを考えちゃうと、話が予定調和になってしまいがちで、良くないという面もあります。
連載マンガでは読者に驚きを与える事が重要とされてます。
例えば、ジョジョのマンガでは3部のディオ戦を実際に描き始めた後で、ディオが強すぎてどうやったら主人公が勝てるのか荒木先生は悩みまくったそうです。読者は読みながら「こんなに強い敵を一体どうやって倒すんだろう?」とまったく予想が付かなかったでしょうが、実は作者にも分からなかった…漫画家にとっては相当悩まないといけないのでしんどいですが、こうすれば予定調和では無い驚きの展開を強制的に作れる可能性が高いです。

というわけですから、マンガは先にあれこれ構成を考えて飽きて止めちゃうくらいだったら、先の展開を何も考えないまま描き始めちゃってもいいかもしれません。
キャラさえ動き始めれば後はどうとでもできるでしょう。
なるたるみたいにジュブナイルやってたのに急に鬱展開が連打され始めるとか、急に念能力の概念がぶっ込まれて能力バトルに移行するハンターハンターとか読んでると、展開なんて後からでもどうにでもなるなあと感じます。

ところで、アニメや映画は脚本がしっかり作られてて凄いという話をしましたが、私はキッチリしすぎているのがむしろ弱点だなとも感じます。
例えばまどマギは、そういう凄い脚本の力もあって、大ヒットして大人気になってしまいましたが、そのせいで続編を制作するハメになりました。
「あんだけ綺麗に終わったのにどうやって続きを作ればいいんだ?」という。
綺麗な脚本のおかげで出た人気なのに、そのせいでせっかくの綺麗な脚本をぶち壊しにして続きを作るハメになったという皮肉な状況に陥ります。

人気になった洋画が続編が作られるけど失敗するケースが多いのも、同じ問題だと思います。
綺麗に終わった映画の続編を作るには、その綺麗な脚本をぶっ壊す必要がありますが、この上手いぶっ壊し方というのは難しそうです。
ちなみにまどマギの続編の”叛逆の物語”はその脚本のぶち壊し方が見事過ぎて、初めて見た時は唖然としてしまいました。これまた大人気になってしまい、さらに続編の”ワルプルギスの廻天”の制作がまた決定してしまうという…。

その点、マンガは綺麗な脚本では無かったりするかもしれませんが、だからこそやろうと思えば延々と続きを描く事ができます

そういう風に考えましたから、私は、「まどマギみたいな凄い話を考えよう!」なんてのは止めにしました。「描きながら考えればいいじゃ~ん」みたいなゆるい感じの方がハードルが下げられていいでしょう。

ところで、マンガを制作する際、一般的には最初に”ネーム”を作る事になってます。

ネームと言うのは、マンガ1話分の下書きの下書きみたいなもんで、最初にコマ割りや台詞とかを全部決めましょう。みたいなもんです。

マンガは作画作業も死ぬほど大変だという事は上で散々書きましたが、実はこのネームを作る作業もかなりしんどいです。
そんな20ページ分とかのネームを一気に作るとかしんどすぎる…毎日の習慣の中のどこに組み込めばいいんだこの作業…。

というか、ネームというのは確かに最初に全体の構成を練る事ができて作品がまとまるというメリットもありますが、一番の役割はネーム段階で担当編集に見せて先にダメ出しをもらっておく事です。
そうしないと、全部描き上げてからダメ出しされてももはや修正不能だからです。

そうして考えると、私が趣味で描くマンガには当然、担当編集なんていませんから、ネームなんか要らないんじゃないか?という気がしてしました。

20ページとかまとめてネームを考える作業はしんどいですが、毎日1ページ分だけ続きを考えて描くだけならそこまではしんどくないでしょう。

そういうわけですから、私は新マンガではとりあえずはネーム作業自体を放棄する事にしました。とりあえずマンガ制作を習慣化するためには、下げられるハードルは全部下げておくに越した事はありません。
ネームを放棄する事で、「ネームを考えるのが面倒くさくなって挫折する」という挫折要因も取り除くことができました。

ところで、いくら構想無しで描き始める!ネームも無し!と言っても、どういう感じで描いていけばいいんだろう…という指針くらいは必要になってきます。
というか、どういう風に描いていけば行き当たりばったりに話を進めていけるんだろうか?みたいな事です。

私はアレコレ考えましたが、”小説風”に話を進めていけば良さそうな気がしました。小説は映画の脚本と比べると、割と行き当たりばったりで話が進んでいって、膨らませた話を全部回収しないで何となしにふわっと終わるような作品が割と多い…気がします。まあ映画になった小説とかもありますが。

というわけで新マンガは小説風な感じで行き当たりばったりで進めていく事にしました。
しんどさの最小化を目指した結果こうなったわけです。習慣化のためにはやむを得ない選択です。

さらに、行き当たりばったりで描くんだったらそれにふさわしい舞台やキャラクターがあるかもしれません。

世界観については、特殊な世界観にすると、自分で色々考えないといけなくなって大変です。
なろう系小説に出てくるようなテンプレ的な中世ヨーロッパ風世界(ナーロッパ)という選択肢もありますが、それでさえそれなりに世界について下調べや想像力の駆使が必要になります。

結局のところ、何という事もない日常的な世界観なら何も考えなくていいのでラクだという事になりました。「やっぱナーロッパにすりゃ良かった」と思ったらその時になってトラックにハネさせて異世界転生させればいいだけの話です。

そして、キャラクターについてもアレコレ考えましたが、普通にセーラー服を着た女子高生にしました。無難です。
豊井さんがインタビューで「セーラー服女子は立ってるだけで主人公みたいな存在感と華やかさが出る」みたいな事を言ってたのが印象に残ってました。
たしかに、セーラー服はありきたりにもかかわらず、魅力的で目を引く力がある気がします。

それに、女子高生の素晴らしい所は、キャラのファッションについてアレコレ考えなくてもとりあえずずっとセーラー服着せときゃいいからラクという事があります。

例えばまどマギでも基本的にみんなずっと制服を着てます。

女子高生は同級生のキャラも当然セーラー服着てますから、同級生を一杯登場させても服についてはセーラー服さえ描ければいいのでやっぱりラクです。

そこまで考えたところで、なんとなく主人公二人分のキャラをデザインしてみました。

キャラデザインが決まったので、まだどういうキャラなのか自分でも分からないままさっさと新マンガを描き始めてしまった、というわけです。

マンガを描き始めてみると思ってたよりつまらなくて挫折する問題

これまた大きな挫折要因の一つですが、今まで実際に一次創作マンガを描き始める所まで漕ぎつける事もありましたが、描き始めてみると”思ったより描いていて話が面白くならなくて”速攻で挫折してしまってました。

上では報酬系回路がネガティブな学習をした結果マンガを描くやる気が出ないという話をしましたが、この描いていて面白くない問題もやる気を失う大きな要因です。

この問題については、私はちょうど1年前に書いたブログ記事である程度分析してみました。↓

つまり、二次創作では作者は最初から原作のキャラの性格とかを熟知してますから、簡単にたのしくキャラを動かせて、原作の力に乗っかって面白い話とか描けます。

しかし、一次創作では作者は自分が描いてるキャラが何者なのか、描いてる自分でもよく分かってません。だからどうやって動かせばいいのか分かりませんし、最初は登場キャラが少ないのでどうしても描いてる側にとっても面白さが乏しくなりがちです。

作者はストーリーの最初の方でキャラクター達に茶番をさせてみて、自分が描いてるキャラクターの事を掴まないと、話を面白くしていく事ができないという事です。

どんな映画やアニメでも、話の最初はキャラクターの説明や状況説明、世界観の説明などの舞台のセットアップパートが存在します。セットアップは工夫次第で面白くできるかもしれませんが、基本的には退屈なパートです。
映画には”ホットスタート”というテクがあって、映画の中で一番盛り上がるシーンを最初に見せてしまう事で、観客をストーリーに引き込んでおいて、そこから一旦話が巻き戻ってセットアップパートを始めるというものです。これなら最初の退屈さを回避できますが、話の展開を何も考えないで描き始めるマンガだとこのテクは使えません。

というわけで、マンガもセットアップパートがしんどくて退屈なのはそれはもうどうしようもないという事です。
ですから、描いてみても面白くないや…と思っても、もう少し頑張って続けてみれば、どんどん面白くなって行ってた可能性があります。単に私はその段階まで辿り着いたことが無いだけかもしれません。

金脈を掘り当てる寸前で諦める金鉱夫みたいなもんです。

ですから、描いてて最初はつまんないとしても、しばらくは頑張って続けてみようよ。という話になります。

つまんないのに続けるのもかなり困難な事ですが、これもやっぱり習慣の力で凌ぎます。
どんだけつまんなくてしんどくって自分にはマンガの才能がねぇ~よとウジウジ思ったとしても、習慣の力を使えば、少なくとも毎日描き続ける事だけはできます。

面白くなくてやる気が出ない内は、1日に1ページの鈍足でなかなか話が進まないでしょうが、話が面白くなってきてやる気が出てくれば、もっと描くペースも上げられるかもしれません。

やる気の問題以外にも、そもそもロクにマンガを描いた事が無いので、マンガの展開を考えるのに慣れていないという事もありますし、マンガのセットアップでは沢山の新キャラを考えなきゃいけなかったりでやる事が一杯ありますから、最初は描くペースがメッチャ遅くなっちゃうのもやむを得ないと思います。

ところで、後になって「キャラのキャラ付け間違えたな~」と思ったらどうすればいいのか?
その時は好きなだけキャラ付けを変えちゃえばOKです。
マンガには後から無かった事になる”死に設定”とか普通によくあります。
幽遊白書の飛影なんかは、最初に敵として登場した時はなんか全身目玉だらけのフォームになったりしてましたが、仲間になってクールなキャラ付けがされていって、そういうのは無かった事になりました。

セットアップパートは描いてる側にとってさえつまらないので、読んでる側にとっても詰まらないでしょう。
ですから、一次創作マンガの序盤はかなり冷たい反応が返ってくる(つまり反応が無いという事だが)と予想されますので、ツイートへの反応は期待しない方がいいでしょう。
習慣の力だけでマンガを描けるようになれば、マンガに反応が無くても描き続ける事が可能なはずです。

というか、プロのマンガだって読み返してみると最初のセットアップパートは詰まんないな~というケースがありがちです。マンガのセットアップはキャラの説明に注力されがちです。
しかし、読者はマンガ序盤セットアップの恩を忘れがちだよなと思います。確かに、一旦キャラを知ってしまえばもうセットアップパートは用済みですから読み返しても面白くありません。しかし、初めて読んだ時にキャラの説明をしてくれたのはセットアップです。ですからセットアップは本当に重要な割にないがしろにされがちです。

さて、ここまでは”マンガの序盤は描いててつまんないのはしゃーないけど続けてれば面白くなるはず”という説を書いてきましたが、これは所詮、仮説に過ぎません。私だってそこまで辿り着いた経験は一度も無いのですから。

下手するとしばらく描いてても、まったく面白くなって行かない…。という状況に陥る可能性もあります。
そうなる理由としては、私がマンガ描くのが下手だからかもしれません。
そりゃ初めて描くんだから下手でもしゃーないでしょう。

その場合は、マンガ描くのが上手くなるまで描き続けるしかないでしょう。
初めて描くマンガなんか全てが練習みたいなもんです。

「つまんないマンガを描き続けるなんてアリなのかよ」と思うかもしれませんが、別にアリです。最悪、ずっと描き続けて死ぬ前にはなんとか面白くなればそれでいいでしょう。
プロの連載マンガよりも趣味のマンガにアドバンテージがあるとすれば、それは”どんだけつまんなくても打ち切りにならない”事でしょう。

マンガなんて最初が詰まんなくても途中から面白くなればそれで良くないですか?
例えば、ジョジョの漫画を他人に勧める時に、とりあえず3部から読ませたりするケースがあったりするそうです(ジョジョは1~2部も面白いと思いますが)
というか、ジョジョは最初にアニメ化された時、1~2部をすっ飛ばしていきなり3部がアニメ化されました。
読者はマンガの詰まんない所は勝手に飛ばして好きな部分だけ読んでくれるという事ですからつまんないパートを描いちゃっても大して気にする必要は無いでしょう。

というわけで、「マンガを描き始めてみたらつまんなくて挫折する」問題については、「マンガの序盤は詰まんなくて当たり前だけど、ずっと続けてみれば面白くなるかもしれないからそれまで耐える」という事でした。

マンガのタイトルを決めない理由

ところで、私はtwitterで新マンガを描き始めるにあたって、完全に無言で何も言わずに急に始めました。
そしてタイトルさえ付けずに無言で漫画をアップし始めました。

何故そうしたか?というと、どういうマンガになるのか自分でもサッパリ分からなかったので、まだタイトルを付けたく無かったからです。
タイトルを付けるとそのタイトルに引っ張られてしまって、タイトルと全然違う話にしたくなった時に困ります。

また、1日1ページというノルマも、自分の中でなんとなくそう決めてるだけで、twitterではまったく触れてません。
何故なら、1日1ページ描きます!と言ってしまうと、描くのが義務になってしまい、ハードルが上がるからです。

“100日後に死ぬワニ”というtwitterマンガがありますが、あれはタイトルですでに多くの事が約束されてます。これから毎日1話ずつ描いていって、100日後に終わりますという宣言です。

あのように毎日描く事を誓約してしまう事で、読者は毎日続きを楽しみにできるというメリットがありますが、描くのをサボッたらガッカリされてしまうという諸刃の剣となります。また、人気が出ちゃったから100話の後も続けたいと思ってもできなくなります。

私はいきなりそんなにハードル上げちゃってもしんどくなって挫折する事が分かりきっていたので、読者に対して何一つ約束しない事にしました。
どうしてもキツいなら描くのをサボる日があっても、誰にも約束してないなら別に自分だけの問題ですからそれはいいでしょう。

おわり

というわけで、今回の記事では最近描き始めた一次創作マンガについて、描き始めるにあたって考えた全ての事について書いてみました。

マンガの指南本とかって、プロの漫画家がプロの視点でプロとしての漫画の描き方を書いているものしかなかったりしますので、そもそもモチベーションゼロのド素人がとにかくマンガを描いてみるにはどうすればいいのか?という視点で書かれたテクニックはあまり見た事がありませんから、そういう点では有意義だったかもしれません。

ちょっとヤバいくらいクソ長い記事になってしまい、たしかクリスマスくらいから書き始めたはずですが、結局年をまたいでしまって困りました。

読む方も大変だったと思います。読んでくださってありがとうございました。お疲れさまでした。

まあとりあえず今回の記事で、今まで私が一次創作マンガを描こうとして挫折してきた原因と、その対策について一通り書けたかと思います。

この理論に従って実践する事で、少なくとも実際私は40ページ以上継続してマンガを描けている事は確かです。

しかし、この前どうしてもまた二次創作も描きたくなってしまい、一次創作マンガに並行してまどマギの漫画も描き始めてしまいました。

私の理論によれば二次創作を描いちゃうと余計な報酬を得て報酬系回路が壊れてしまうので、描いてはいけなかったはずですが、描いちゃったもんはしゃーないので、今のところ一次創作マンガと並行して描いてます。

つまり、習慣としては一次創作か二次創作のどちらかを1日1ページ描けばOKという事にしています。

今回、私は既存のマンガフォーマットをぶっ壊して新しいフォーマットを作ってしまいました。
既存のフォーマットがこれまで沢山の漫画家達によって磨き上げられ完成しているモノなのに対して、新しいフォーマットは私が自分の都合で勝手に作ったものなので、まだまだ改善の余地があるかもしれませんが、それは描きながら改善していけばいいかなと思います。

いずれにせよ、現在はマンガが紙でのみ読まれるものからスマホやPC上で読まれるものに変わっていきつつある過渡期と言えるかもしれません。
紙よりもPCで読む事に特化するならば、それは既存のマンガフォーマットとは違う物になるハズです。
どういう形式がベストなのか、すでに色んな人が試行錯誤し始めていそうですが、確かに言える事は、マンガのフォーマットも制作手法もどんどん変化していくだろうという事です。
もしかすると突き詰めていくとそれはマンガでは無くなっていくのかもしれませんが、まあそれがマンガよりも効率よくストーリーを物語れるモノなら私はそれに乗っかるだろうと思います。

さて、今のところ特に考えないといけないと思っているのは、最近人気のゲームチックなイラストにどこまで寄せるべきかという点です。ゲームチックなイラストは見映えがしますが、マンガとして読みやすいかどうかは別問題かもしれません。
そういう事も今後描きながら考えます。

今回の記事は、マンガを描き始める前に考えた事について書きましたが、実際に描き始めてみれば、また色んな問題に直面するだろうと思いますが、まあその都度対処していくしかないでしょう。

さしあたって今の問題は、もっと作業を効率化したいという事です。
今は1日1ページですが、理想を言えば1日3ページくらい描けるようになれば、プロの漫画家と同程度のペースに追い付けるかもしれません。
1ページに3時間以上もかけていると1日3ページ描くのは難しいです。
効率化のブレークスルーという意味では、私は「搾精病棟」の手法が参考になるんじゃないかと考えてますが、それについてはまた別の記事で書ければいいなと思ってます。