SteamでセールになってたのでInscryptionを買って遊んだら面白すぎてずっとやってました。
この記事では普通にネタバレ書くのでまだ遊んでない人は読まないでください。
絶対ネタバレ踏まないで先に遊んだほうがいいと思うゲームだけど、ネタバレ厳禁って言ってるだけでもある種のネタバレなんだよな。
一応概要を書くと、「Inscryption」はダニエル・マリンズ氏によって制作され、2021年10月20日にリリースされたインディーゲームです。
このゲームはGDCアワードの”Game of the year“という、ゲーム開発者達が先行してその年最高のゲームを決める賞を受賞しています!
さらに、IGFアワードというインディーゲームの賞でも大賞を受賞しています!
要するに、今年最強のインディーゲームという事です。
『Inscryption』がGDCアワードのゲーム・オブ・ザ・イヤーを受賞。IGFアワードの大賞にも輝き2冠に【GDC 2022】
このゲーム、たしかに遊んでみるとメッチャ語りたくなってしまうゲームですし、研究しがいがありそうなゲームです。
相当実験的なトガッた要素が詰め込まれつつも、プレイしててスゲー面白いという、何考えてたらこんなゲーム作れるんだ?10年後の未来からやってきたみたいなゲームだなと思ってしまいます。色んな意味で次元が違いすぎるゲームです。
ちなみに私はこのゲームの存在を知ってもすぐには遊ばずに様子見してました。
というのも、”デッキ構築型カードゲーム”らしいと聞いてたからです。
「いや、いくら面白いカードゲームだろうが、そういうのがやりたかったら”ハースストーン”でタダで遊べるし」とか思っちゃってました。
しかし、単なるカードゲームじゃなくて、”闇のゲーム”らしい…みたいな話が気にはなってましたが。
遊戯王をシミュレートするゲームが作りたい
それがどうしてInscryptionを遊ぶことになったのかというと、最近「遊戯王」のマンガを読み返したのがキッカケです。
「遊戯王をゲーム化したら面白いんじゃないのか…?」という事を考えました。
「いや、遊戯王のゲームはすでに沢山出てるじゃん」と思うかもですが、あれは単にカードゲームとしての再現です。
遊戯王の原作マンガを読んでると、単なるカードゲームとしては奇妙すぎる要素が色々と入ってます。
例えば、「砦を守る翼竜は「飛行」能力によって敵の攻撃を35%の確率で回避できる!」とか言い出すところとか、岩石の巨兵が月を破壊して潮が引いてしまうとか。
こういう”マンガとしては激アツ展開だけどカードゲームとしてはムチャクチャで再現不可能なオレオレルール”が面白いな~と思いました。
それで、このような明文化されてない隠しルールが大量に仕込まれてるオレオレカードゲームでデュエルするプレイヤーをシミュレートするゲーム…を作れば、それは一種の推理パズル脱出ゲームみたいになるはずだ!というアイデアが降りてきました。
ちなみに、その時点で私が想像してたこのゲームの画面は、「最強カードバトル!」みたいに召喚したモンスターが3Dモデルとして具現化してバトルするような感じです。↓
「せっかくゲームなんだからモンスターが具現化した方が迫真に決まってる!」と思ってました。(Inscryptionを遊んだらこの思い込みは打ち砕かれる)
そこまで考えて、「そういやInscryptionにもこんな感じのゲーム要素があるらしいな…」と思ったのでとりあえず参考用に遊んでみたわけです。(ちょうどSteamでセールだったし)
驚くべきInscryptionのゲームプレイ
ゲームを開始すると、こんな画面になります。↓
なにやら自分は手札のカードを持っており、暗闇で姿は見えないものの、対戦相手のような人が目の前にいるようです。
2人でカードゲームを遊んでいるらしい状況ですが、しかし画面の雰囲気やBGMからはただならぬ雰囲気を感じます。
まずしょっぱなから驚きなのが、視点がFPS(一人称)視点です。
なぜInscryptionにはUI類がないのか?
カードゲームのゲームを作ろうとしたら、普通ならこんな感じの画面にしちゃいがちだと思います。↓
このように、要素を全てUIとして2D画面上に貼り付けて表示する手法です。
単にカードで遊ぶのが目的だったら、こういう画面が一番作りやすいし、全体の盤面や現在のポイントとかが一目で見渡せて分かりやすいからです。
一方で、Inscryptionでは画面上に貼り付いてるUI類は一切存在しません。
カードゲームの全ての要素は、UIではなく、ゲーム内で物理的なモノとして存在する形で表現されています。我々がリアルでカードゲームで遊ぶ時と同じ状況というわけです。
このブログでは以前に、画面上のUIはゲームへの没入感を阻害する話を書きました。UIがあると、テレビのワイプ表示のように、一段階余計にメタになってしまうので没入出来なくなりがちです。
ICOでは一切のUI表示を無くしたので、ゲームのフィクション世界への高い没入感が実現されています。
InscryptionでもUIを無くした事で、高い没入感を実現しています。(ちなみにUIが無いと言っても対戦相手(ゲームマスター)の台詞のダイアログ表示だけは画面に貼り付いて表示されてますが、まあこればっかりはやむを得ないでしょう)
それじゃあゲームプレイヤー(私)は何に対して没入してるのか?というと、”ゲームの中(フィクション世界)でカードゲームを遊んでいる主人公”として没入してる形になります。
先ほど、”カードで遊ぶのが目的のゲームだったら全部の情報をUIで表示した方が見やすい”と書きましたが、Inscryptionはカードで遊ぶのが目的ではなく、”カードで遊ぶ主人公に没入する”のが目的だから、逆にUI類は一切表示されないわけです。
という事は、このInscryptionというゲームは、ゲーム内でInscryptionというカードゲームをプレイする主人公についてのゲームというわけです。(ややこしい)
ゲーム内で遊んでるカードゲームは、”ゲーム内ゲーム”と言えます。
さて、ゲームの内容に話を戻すと、目の前に座ってる相手はどうやらカードゲームの対戦相手というよりは、TRPGのゲームマスターみたいな感じでゲームの進行役をやってくれてるようだと分かってきます。
先に書いてしまうと、ゲームマスターはレシーという名前のキャラで、主人公がいる場所はレシーの小屋で、そこでカードゲームしてる形になります。
この先どんどん話がややこしくなってくるので、現在主人公がいるゲーム世界を”レシー小屋世界”と呼び、そこでやってるカードゲームを”ゲーム内カードゲーム”と呼ぶ事にします。
ゲーム世界観とリンクするゲーム内カードゲームのルール
レシーはチュートリアルでカードゲームのルールを教えてくれますが、しもべの召喚はデュエルモンスターズに似た”生け贄召喚”によって行われます。
しもべを場に出すにはカード右上に書かれてる血のマークの数だけ生け贄を捧げる必要があります。
遊戯王のマンガでも、途中から生け贄召喚のルールが導入されます。しかし、マンガ内ではモンスターを生け贄にする行為に特に含む所はありません。生け贄は単に退場するだけです。(ただしパンドラがカードの効果でブラックマジシャンを生け贄にしようとした時は相当イヤそうにしてたけど)
一方、Inscryptionではカードを生け贄にしようとするとカード自体が脅えるようにガタガタ揺れて、リスは顔の表情も脅えた感じに変化します。
さらにレシーは「確かに獣が受けた苦しみは現実に変わりない」と言います。
つまり、プレイヤーは初めはただカードゲームで遊んでるつもりだったのが、どうやらこれは単なるカードゲームではないと気付き始めます。
それぞれのカードは生きていて、生け贄に捧げるたびに死の苦しみを味わい、戦わせるたびに実際に傷付くらしいという事です。
遊戯王で闇バクラとボードゲームで戦う話でも、そのボドゲに出てくる駒は全て人間が駒に変えられてしまったモノでしたが、どうやらそういう類の闇のゲームのようです。
さらにダメ押しとして、オコジョのカードはなんとプレイヤーに向かって話しかけてさえきます。↓
プレイヤーに助けを求めてきてます。
個人的にこのオコジョは可愛くて好きです。(でも段々四角くなっちゃう…(何言ってか意味不明と思うけどマジ))
ここまでくると、「ひょっとしてこれらのカードはゲームマスターによってカードに封印された生き物達なんじゃないか?」みたいな事が想像されます。(そして本当にそうだった事が後で判明します)
遊戯王で言うとペガサスによってカードに封印された海馬やモクバみたいな感じです↓
ところで、カードゲームのチュートリアルが終わると、今度はスゴロクみたいなマスが書かれて上に駒が置かれてる、ゲームボードが敷かれます。
この時点で、主人公とレシーが遊んでるのはカードゲームというよりボドゲRPGみたいなシロモノだった事が分かります。
主人公はこのゲーム内ボドゲ主人公(またややこしい)のコマを1マスずつ進めていって、ゴールを目指すのがこのゲーム内ボドゲの目的のようです。そして、このゲーム内ボドゲで敵と遭遇した時のバトルが先ほどのようなカードゲームとして表現されてる感じなわけです。
というわけで、ゲーム内ゲームにはボドゲパートとカードパートがある事が分かりました。
それで、このボドゲパートの世界観が相当不気味で陰鬱なんですよね。
このゲーム内ボドゲの世界観では、プレイヤーのデッキのカードはゲーム内ボドゲの主人公が実際に連れ歩いてる森の動物の仲間達という体になってます。(あ~ややこし)
ゲーム内ボドゲで発生するイベントでは、やたらそれらの仲間を犠牲に捧げる的な表現が出てきます。
カードを2枚合体させて強化するとか、カードの能力を他のカードに移し替えるとか、ソシャゲとかでは普通にやってる事ですが、このゲーム内ゲームでは実際の森の動物を、実際に血祭り上げるとか、実際に合体改造手術をやるみたいな話になっててグロいです。
でも、見た目上は単にカードが燃えたり切り刻まれてるだけなので、別に直接的にグロいとかでは全然無いです。でも見た目はカードだけど実は中身は本物の森の動物(どのレベルで本物って話なのか曖昧になってきたなあ)と知ってるせいで、おぞましく感じるというトリックです。この辺、ダニエル氏はかなり巧妙に我々プレイヤーの意識をハックしてきてるなあと感心します。
それで結局ここでは何が言いたかったかというと、ゲーム内カードゲームの”生け贄”というゲームメカニズムは、ゲーム内ボドゲの”生け贄”がテーマの陰惨な世界観と完全にマッチしている点が面白いという事です。
ゲームメカニズムがゲームのフィクション世界のシミュレーションとして機能していて、かつそれらが一致する場合、行為のシミュレートとして機能する…という話は「ビデオゲームの美学」でも語られるところです。
そうするとどうなるかというと、そのゲームはナラティブとなり、フィクション世界への没入感が高まります。
つまり、プレイヤーがゲーム内カードゲームでたとえば”リス”のカードをゲームメカニズムとして生け贄に捧げる事は、ゲーム内ボドゲで”生きている生物としてのリス”を殺して生け贄にしている行為としてのシミュレートです。
このゲーム内ボドゲとゲーム内カードゲームが、ゲームメカニズムを介してリンクしてる関係がまず素晴らしいですね。
さらに、喋るオコジョによって判明したのは、ゲーム内カードゲームはただのカードゲームではなく、それはカードに封印された現実(レシー小屋世界の現実)の生物達であり、カードゲームでダメージを受けるとカードの生物はレシー現実において実際に苦しむのですから、その意味ではカードゲームはゲームではなくレシー現実におけるリアルなのです。
ゲーム内ゲームに過ぎなかったはずのカードゲームが、レシー現実を侵食してくる面白さがあります。
ちなみに遊戯王のマンガにも、カードゲームがマンガ内現実を侵食してくる描写があったりします。
海馬はイシズから見せられた古代エジプトの石板に、ブルーアイズを召喚して戦う自分自身の姿が描かれている事を発見します。
それまでは単にカードゲームで遊んでただけのはずだったのに、実はそのカードゲームは古代エジプトの呪術が起源であり、さらに自分の前世と関係していたわけで、急にカードゲームがマンガ内現実を侵食しはじめるシーンです。
カードゲームと思ったら脱出ゲームだった!?
さて、この時点でプレイヤーは散々ゲームに翻弄されてます。
最初はてっきりカードゲームだと思って始めたら、なんとFPS視点で”カードゲームを遊ぶ主人公のシミュレーション”だった!?という驚きがありました。
そうかと思えば、カードゲームは実はゲーム内ボドゲのバトルパートに過ぎなかった!?という驚きがありました。
もちろん、ゲーム内カードゲームはただのカードゲームじゃなくて、生物たちがカードに閉じ込められている”闇のゲーム”らしいと判明したのも驚きでした。
散々驚きながらゲームを進めていく内に、カードゲームで負けちゃったりします。
すると、レシーは突然、「蝋燭を取って来てくれんか?」とか言い出します。
「どういう意味じゃ?」と思ったら、いきなり主人公はゲームの卓から立ち上がって小屋内を歩き回れる事ができるようになります!
つまり、蝋燭というのはレシー現実において小屋の隅にある蝋燭を取ってこいという意味だったワケですね。
この際ついでなので部屋をウロウロ見て回ると、ダイヤル錠やら時計やらパズルやら、いかにも脱出ゲームっぽい仕掛けが色々ある事に気付きます。
さらに、オコジョは「ボクたちを助けるには、謎を解いて部屋を脱出しなければ!」みたいな事を言い出します。
ここでプレイヤーははたと気付きます。「もしかして、このゲームの目的はゲーム内ボドゲをクリアする事じゃなくて、真の目的は小屋から脱出する事なんじゃないか…?」と。
にわかに、それまでやっていたゲーム内ボドゲの外で勝つメタゲームの様相を呈し始めます。
まあ、”ゲームの外”と言っても、すでに2段階ネストされてるゲーム内ゲームから一つ外に出るので主人公がいるレシー現実においてという意味ですが。
とにかく、ここからはゲーム内カードゲームとレシー小屋世界での脱出ゲームがそれぞれ相互に影響し合って謎を解いていく、マルチ次元のゲームが始まり、俄然面白くなってきます。
もうここまでの時点で割と一杯いっぱいで、「もう十分堪能したよ…」と言いたくなりそうですが、Inscryptionのゲームはまだ始まったばかりで、凄いのはこれからです。
書くべき事はまだ山のようにありますが、今回は書くのが疲れたのでこの辺にしといて、いずれ続きを書きたいと思います。