最近、遊戯王のマンガを読み返してみましたが、面白くて読むのが止められなくなりました。

子供の頃にハマッたコンテンツでも、大人になってから見返すと、しょーも無かったりして、今思うと子供騙しだったんだな…って事も少なくありませんが、遊戯王はそうではありません。
つまり、遊戯王には何らかの普遍的な面白さが備わっていると言えそうです。

遊戯王は、やってる事はゲームですが、本質的にはバトル漫画なのです。
バトルなのですから、ゲームと言ってもコンピュータゲームでは遊びません。対面で遊ぶゲームがもっぱら扱われてます。

遊戯王では途中からひたすらマジック&ウィザーズ(M&W)のカードゲームばっかりになってきますが、初期の遊戯王では毎回異なる色んなゲームで勝負する漫画でした。
遊戯王はこの初期の路線よりもM&Wの方が人気なわけですが、私も正直言って初期の路線はマンガの企画として問題を抱えていたかもしれないと思ってます。

というのも、マンガ…特にバトルマンガは展開に期待を持たせる必要があるからです。
読者が先の展開を予想できなきゃ面白くなりません。
つまり、読者がルールを知ってるゲームじゃないといけません。
野球やサッカーのような、広く周知してるゲームなら、読者はこの後何が起きるか予想ができます。

ストーリーでは、何かが起きて、それが原因でまた何かが起きて、だから次にこうなって…という感じで因果関係が鎖のように繋がってるべきだと言われてます。
その方が、読者は「次は何が起きるんだろう?Aかな?Bかな?Aだった!」と展開を予想、期待できます。展開を予想できる事こそがワクワクの源です。
音楽を聴くのがたのしいのも、コード進行で先の展開を無意識的に予想してしまうからです。予想通りの展開が来ると嬉しいし、予想を裏切られると驚きます。

と言う点から考えると、毎回知らないゲームで戦う初期遊戯王は、読者はルールをよく知らないので、先がどうなるか予想できないので、つまりワクワクしない→面白くないとなりがちです。
ひたすらM&Wでのデュエルばかり繰り返すようになってからは、読者もルールを学習して、ゲームがどういう展開を辿るかも先が予想できるようになり、ワクワクしながら読めるようになりますから、どんどん面白くなります。

どうしてM&Wが人気になったのか

遊戯王が途中からM&Wしかやらなくなるのは、よっぽどこのゲームが読者から人気出たからだと思います。
どうしてこのゲームだけが突出して人気だったのか?
その要因はいくつか考えられます。

遊戯王はやってる事はゲームだけど実質バトルマンガという話はすでに書きましたが、「そうは言ってもバトルマンガだったらバトルの描写が要るだろ」という不満がありました。
M&Wではモンスター同士が壮絶な戦いを繰り広げてくれます

次に、キッズはカードが大好きです。
トレーディングカードはキャラクター要素、収集要素、交換要素といったゲームにおける重要な要素を沢山持っています。
さらにトレーディングカードゲーム(TCG)になると対戦要素まで兼ね備えます。
そして、高橋先生が描くモンスターカードはどれもメチャクチャカッコよくて、それまでTCGといったらせいぜいポケモンカードゲームしか知らなかったキッズの感性が揺さぶられました。

普通のバトル漫画だと、1回のバトルで新しい敵キャラが一人出てくるだけですが、M&Wでは一回のデュエルの間に大量の新しいモンスターが登場するのもたのしいポイントです。
まあマンガを描く側にとっては尋常じゃないほど大変だと思いますが…。

そして、M&Wはバトルマンガに必要不可欠な要素を沢山持ってます
ランク数値インフレ合体です。
バトルマンガでは、主人公たちが今、どれくらいの序列にいるのかを可視化する必要があります。
それがランクです。
例えばハンターハンターだと、シングルハンターとかトリプルハンターとか言われて格付けされています。

数値に関しては、主人公たちの強さを可視化するために何らかの数値が必要になります。
ドラゴンボールで言えば戦闘力です。

インフレというのは、バトル中に数値が急上昇する現象です。
例えば、ドラゴンボールでナッパ、ベジータ戦の悟空は戦闘力が5千から8千、さらに界王拳で1万6千、最終的に2万4千まで上昇します。

合体というのは、キャラ同士が合体して大幅に強くなる事です。
ドラゴンボールでは悟天とトランクスがフュージョンしてゴテンクスになります。

それで、遊戯王においてはこれらのバトルマンガ要素は、キャラクターでは無くてカードのモンスターが持っている事になります。
ランクというのはモンスターの星の数です。数値は攻撃力と防御力、合体は融合です。

インフレについては、最初にM&Wが登場する海馬戦について見てみましょう。
1、ガーゴイル(☆5)攻撃力:1000
2、暗黒のドラゴン(☆6)攻撃力:1500
3、ミノタウロス(☆6)攻撃力:1700
4、ホーリーエルフ(☆4)守備力:2000
5、ミノタウロス巨大化 攻撃力:2040
6、デーモンの召喚(☆7)攻撃力:2500
7、ブルーアイズホワイトドラゴン(☆8)攻撃力:3000

このように、試合の間で攻撃力は3倍までインフレしてます。

ちなみに、ドラゴンボールでは一度のバトルでインフレしてしまった戦闘力はもう元に戻せないので、取り返しが付かないくらいインフレが暴走してしまってましたが、M&Wはデュエルのたびにインフレがリセットできるので、インフレ暴走を回避できるというメリットもありました。(それでもじわじわインフレしてって、最強だったはずのブルーアイズを超えるカードもどんどん出始める)
数値の範囲はキッズのお小遣いで取り扱う範囲に抑えておかないと実感としてよく分からなくなります。一番分かりやすいのが数百~数千で、せいぜいが数万。数十万を超えてくるともう単位が大きすぎて何だか分からなくなってくるでしょう。

というわけで、M&Wはそれまでの遊戯王に欠けていたバトルマンガに必須の要素をほぼすべて補っているので人気になった事が分かります。

ちなみに、バトル漫画においては成長要素も重要ですが、M&Wのモンスターはあまり成長要素は持ってません。カードは変化できないからです。
代わりに遊戯王では、城之内くんが成長していきます
闇遊戯は最初から最強キャラなので成長しません。
最終的には表遊戯も成長します。

マンガのためにデザインされてるゲーム

M&Wは、当然ながら作者の高橋先生によってゲームデザインされてます。
ただし、興味深いのは、ゲームとして面白くなるようにデザインされてなくて、それよりもマンガとして面白くなるようにデザインされてる点です。マンガなんだから当然ですが。

マンガとして面白いゲームデザインって何じゃ?というと、例えば伏せカードです。
魔法カードや罠カードを伏せた状態で場に出す事で、相手をけん制できます。
これは可視化された伏線だと言えます。
普通のマンガだと毎回頭を捻って伏線を張るハメになりますが、M&Wではとりあえず伏せカードを出すだけで伏線を張れます。
M&Wはマジックザギャザリング(MTG)が元ネタだと思いますが、伏せカードのギミックはMTGには無かったオリジナルなものであり、実際のカードゲームにおいてもちゃんと布石として機能します。
マンガとしてもゲームとしても優れたデザインだと言えます。

高橋先生は最初の時点では、M&Wがビデオゲーム化とか実際にカードゲーム化される事なんてまったく想定してなかったでしょう。他の有象無象のゲームと同様に、単発で終わらせるつもりでした。
つまり、実際のカードゲームとして遊ぶにはルールとして破綻してる面が色々とあります。

ちなみに単行本30巻の高橋先生のコメント↓

当初、遊戯王でカードバトルを描くことは全く想定しておらず、前・後編の読み切りで、カードゲームのルールも一晩で考えたものでした。それが今では漫画の核になるとは…。

まず、MTGで言うマナコストのような概念が無いので、弱いカードは本当に弱いだけの役立たずになってます。
MTGでは弱いカードはその分コストも低いので、使い道はあります。

一番問題に見えるのは、王国編までのM&Wではプレイヤーへのダイレクトアタックが存在しない事です。
つまり、負けてる方が守備表示でモンスターを出してる限り、デュエルに決着が付きません。
これはマンガの展開を作るには便利でしょうけど、実際にカードゲームとして遊ぶには無理があります。
実際、マンガの中でも勝ってる側のプレイヤーが「守備封じ」の罠カードを引くまで決着が付かない局面がたびたびありました。

そんな中で、コナミはM&Wをビデオゲーム化した「デュエルモンスターズ」を発売しました。
”デュエルモンスターズ”ではまがりなりもちゃんとゲームとして成立するようにルール修正が加えられています。

まず、ライフポイントはM&Wの2000から8000に大きく増やされています。実際にカードゲームとして遊んでみると2000だとすぐ終わっちゃうことが分かったという事でしょう。

そして、相手モンスターが場に無い時はプレイヤーにダイレクトアタックできるようになりました。

さらに、2枚のモンスターを重ねる事で融合できるというシステムがあります。
例えば炎系モンスターと戦士系モンスターを重ねると、炎の剣士という強力なモンスターに変わります。
この融合システムによって、弱いモンスターでも活躍できる戦略性が生まれました。

ただし、デュエルモンスターズの複雑な融合ルールはビデオゲームだから可能だったものの、現実のカードゲームでは再現できません。OCG化においては変更を強いられています。

そんなわけで、もっぱら漫画のためにデザインされていたM&Wを、ビデオゲームを経てOCG化に至る過程でちゃんとカードゲームとして遊べるようにリデザインしたコナミの功績は大きいと言えます。

まあ同時に、エキスパートルール導入でブラックマジシャンやブルーアイズをゴミ化させてしまったり、エクゾディア本体のカードを東京の大会会場限定で販売してしまったりしたコナミの罪もまた非常に大きいのですが。

ゲームは時の運…でもそれじゃあ困る

M&Wはバトル漫画として必要な要素を備えていて優れている点はすでに書きましたが、それと同時に致命的な問題も含んでいます。

カードゲームは究極的には”運ゲー”です。
例えばポーカーも、テクニックも必要ではあるものの運ゲーだからこそギャンブルとしてカジノでプレイされてるわけです。
カードゲームもプレイングやデッキ構築が重要ではあるものの、結局必要な時に必要なカードを引けなければ負けます。

ですが、バトル漫画は強いヤツが勝たなければならないでしょう。
「ただの運ゲーじゃん」と読者に思われないようにする工夫が必要です。

ですから、実は遊戯王でも、プレイヤーは運じゃなくて強さによって勝つようになってます。
強さって腕力の事?いえ、違います。
遊戯王ではメンタルが強いヤツが勝ちます

デュエル中はずっとプレイヤー同士は心理戦を繰り広げています。
このマンガの世界においては、盤面の駆け引きよりも、心理的な駆け引きが勝敗を決するからです。
圧とハッタリがモノ言う世界です。

例えば、王国編の城之内VS舞戦を見てみます。

1、舞は格下の城之内にデュエルを挑みます。 心理的リード:舞
2、杏子やバクラは逃げた方がいいと煽りますが、城之内は受けて立ちます
3、城之内は何のために戦ってるのか舞に訊きます。舞は賞金で贅沢するためと答えます。それに対して城之内は(妹の)命のためだと言います。 リード:城之内
4、デュエルが始まりますが、舞は手札を見ないでテーブルに置きます。舞は見ないでも分かると言って、実際に言い当てます。城之内は動揺します。 リード:舞
5、心理的にリードしてる舞は城之内を追い詰めます。さらに、「お仲間ごっこでじゃれ合ってる奴らは真のデュエリストになれない」と畳みかけます。 リード:舞
6、絶体絶命の城之内は妹の事を考えて、遊戯からもらったアドバイスで舞のトリックを見破ります。 リード:城之内
7、城之内は、遊戯からもらってた「時の魔術師」を使って、絆の力で勝利します。

この流れを見れば分かる通りですが、遊戯王のマンガの世界では、単に運だけでいいカードを引いて盤面を制するわけではありません。
圧やハッタリをかけて、心理的に勝ってる方がいいカードを引いて盤面を制するのです。

メンタルで勝つという原因が、盤面で勝つという結果を引き寄せてる点に注意してください。

孔雀舞の”アロマタクティクス”は、カード全てに異なる香りをつけてあって、だからカードを見なくても何なのか当てられるというものです。

ぶっちゃけこれはカードゲームの戦略として一切何のアドバンテージも無い無意味な行為です。
ですがまあ、相手を動揺させる事だけは期待できます。
孔雀舞は自分がいる世界では心理的にリードした方が勝つ事を知ってるからわざわざこんなトリックを使ってると言えます。

心理戦で勝つには、眼力で圧をかける事もまた重要です。
なので、遊戯王のマンガにおいては強いプレイヤーほどメンチ切ってます
闇遊戯、海馬、闇バクラ、闇マリクたちの眼力のヤバさを見てみてください。

ちなみに敵キャラは割と服装とかパフォーマンスでハッタリをかましてきがちです。

城之内はリシド戦のはじめに、メチャメチャガンくれます。↓

そして「予告KO宣言!!11ターン目で貴様は負ける!!」とハッタリをかまします。
これはギャグとして描かれてますが、遊戯王の世界が圧とハッタリで勝つ世界である事をよく表してます。

とにかく、心理戦で勝てばゲームでも勝てるという世界のルールによって、遊戯王は運ゲーではない心理バトル漫画が成立しています。

後出しジャンケン問題

バトル漫画はよく”後出しジャンケン”だと言われてます。

ドラゴンボールのベジータ戦でも、お互いが何重にも実力を隠しており、それを一つずつ開放し合う流れになってます。

ブリーチのバトルを揶揄する有名なコピペもあります。

BLEACHの戦闘

A「これが私の本気です」
B「私はその倍強いです」
A「実は実力を隠してました」
B「奇遇ですね。私もまだ本気ではありません」
A「体に反動が来ますが飛躍的にパワーアップする術を使わせていただきます」
B「ならば私も拘束具を外します」
A「秘められた力が覚醒しました」
B「私は特殊な種族の血を引いており、ピンチになるとその血が力をもたらします」
A「覚悟によって過去を断ち切ることで無意識に押さえ込んでいた力が解放されます」
B「愛する人の想いが私を立ち上がらせます」

遊戯王のデュエルも後出しジャンケン的にはなりがちなんですが、少なくとも「でもカードゲームなんだからカード引く順番の問題だからこうなる事だってあるだろ」という言い訳が立つので、ご都合主義的な感じは緩和されてそうです。

どうやって読者を驚かせるのか?

つい本では、「ゲームを夢中で遊んでもらうには、プレイヤーに驚きを与えまくる必要がある」と言う事が書かれてます。
この話は、マンガでも同じだと思います。
マンガを夢中で読んでもらうには、プレイヤーに驚きの連続を与える必要があります。

バトルマンガでは、主人公は”アッと驚く”方法で敵に勝つ必要があります。
読者はマンガを読みながら、常に先の展開を予想します。敵キャラは主人公をじわじわと絶体絶命の状況に追い込んでいきます。読者はピンチを覆す方法を予想しますが、何も思いつきません。「これはもうダメだ、勝てっこない!」と思いますが、読者が”予想もしなかったような”方法で一発逆転して勝利します。
読者は「スゲー!」と言って驚いて、続きを読むのが止められなくなるわけです。

具体例を出すと、例えばジョジョ4部のアンジェロ戦を考えてみます。
アンジェロは、水と同化するスタンドを使ってきます。それでコーヒーと同一化して仗助の母親を襲いました。
仗助たちは、「それなら液体に気を付ければ問題ない」と対策しました。
読者は「これで一安心…大した敵じゃなかったな」と思います。
しかし、数日後に雨が降ってくると、仗助たちは一気に追い詰められます。そこらじゅう一帯が全て水浸しですから、アンジェロのスタンドはどこでも自由に移動できるようになります。
読者は「まさかそんな手があったとは…敵はこれを狙っていたのか!」と驚きます。
まあそれでも家の中にこもってれば大丈夫…と思いきや、敵スタンドは今度は水蒸気と一体化して攻撃してきます!
読者は「まさかそんな手があったとは…この敵強すぎる!反則やん!打つ手なし!」と思います。
それで結局仗助はスタンドに攻撃されて体内に侵入されちゃいます。絶体絶命!!
しかし、仗助は口の中にゴム手袋を入れてたので、敵をその中に捕獲できました。
予想だにしなかったアッと驚く方法で一発逆転できたわけです。

まあバトルマンガは大体こういうバトルをひたすら繰り返してます。
これがバトルマンガの”驚きの構造”です。

さて、ここで問題ですが、「カードゲームでどうやって読者をアッと驚かせばいいの?」という事です。
ゲームというのはルールの範囲内の物事しか起きえません。
例えば、じゃんけんで勝負する時に、読者は「相手はグーかチョキかパーを出すだろう」と予想します。それ以外はありません。つまりじゃんけんで読者が予想もしないようなアッと驚く結末が起きるわけありません。(ちなみにジョジョ4部ではじゃんけんによる勝負も描かれてます)
じゃんけんじゃなくても、カードゲームでも何でも、ゲーム全般がこのような問題を抱えてます。
多分、「ゲームをする漫画」は全て同じ問題を抱えてると思います。

で、遊戯王の初期のM&Wにて取られた解決手段は、「ルール外の事が起きる」です。
例えば、梶木戦では岩石の巨兵が”月”を破壊します。
腹話術士戦では、ブルーアイズが意思を持って攻撃を拒否して自滅します。

まあ…たしかにそんな事が起きるなんて思いもしなかったので、読者は驚きます。
ですが、こんなルールはカードに書いてません。「言ったもん勝ちのオレオレルールやんけ!」という感じは否めません。

さて、オレオレルールによって驚きを与えることはできましたが、バトル漫画ではその前に主人公を絶体絶命に追い詰める必要があります。

カードゲームというのは、本来二人のプレイヤーは平等な条件でデュエルするはずです。
一体どうやったらそんな一方的な絶体絶命の状況を作り出せるのか?
遊戯王ではこの問題を解決するために、”圧倒的なカードパワーを持つチートカードを敵に使わせる”という方法を取りました。

例を挙げると、「死のデッキ破壊ウイルス」や、「トゥーンワールド」、「ラーの翼神竜」などです。

これについて、高橋先生の19巻のコメントです↓

カードゲームのおもしろさを漫画の中で表現する場合、ひとつの矛盾が生じます。
実際のカードゲームは、プレイヤー同士の力関係が拮抗すればするほどおもしろい…。しかし、漫画では、敵のワンサイドゲームを主人公がいかに逆転するかを見せるために、互いのパワーバランスを崩す必要があるのです。だから、原作カードのOCG化で能力値や効果が少し変わっても、怒らないでね!

このコメントにあるように、M&WがビデオゲームやOCG化されていく中で、バトルマンガ的展開を作るために不可欠な要素だったオレオレルールやカードゲームとして破綻してる部分は批判を浴び始めていた可能性があります。

マンガではバトルシティ編からはOCGのエキスパートルールに準じたダイレクトアタックや生け贄召喚のルールが追加され、オレオレルールも影を潜めました。
マンガ内のM&Wもマンガ的に都合のよいルールから、リアルなカードゲームに準じたルールになったという事です。

しかし、これはただでさえバトル漫画として成立させる事が大変だったデュエルの展開を考えるのがますます困難になる事を意味します。
要するにアイデアを練るのがメチャクチャ大変になるという事です。
バトルシティ編以降も引き続き、アッという驚きでデュエルに勝利しますが、オレオレルールではなく、カードのルールにのっとった上でです。
パンドラ戦では敵のブラックマジシャンが加勢してくれて勝ちますが、これはブラックマジシャンガールの効果によるものです。
イシズ戦では海馬はまさかの神を生け贄にしてブルーアイズを召喚する事で勝利します。

マンガの面白さとしてはピークに達してますが、ネタを考える方は死ぬほど苦労しているハズです。

高橋先生の32巻のコメントです↓

マンガの連載を飛行機のフライトに譬えると色々な共通点があるように思います。
・勢いがないと宙に浮かない。
・気流に乗ることができれば、ある程度続く。
・せまい座席で身動きがとれず食事も飽きる。
・そして最後の難関は着陸時。

”せまい座席で身動きが取れない”というのはカードゲームのルールに縛られてがんじがらめになってしまっている事を指しているでしょう。
”食事も飽きる”というのは延々とカードゲーム描かされてうんざりしているという事でしょう。

バトルシティ編が終わって、次の王の記憶編ではM&Wによるカードゲームはほぼ出てきません。古代エジプトで呪術的なモンスター召喚バトルが繰り広げられます。
王の記憶編の呪術バトルとM&Wを見比べると色々と気付きがあります。
ハッキリ言って呪術バトルは比較的面白くないです。

まず、呪術バトルはバトル漫画に必要なランク、数値、インフレの要素を失ってます。
また、カードゲームのルールから解放されたので、もっと自由に”アッと驚く勝利”を描けるはずなのに、全然そうなってません。

何でそうなってしまってるのか?ですが、私の想像ですが、王の記憶編はバトル漫画として描かれてないのかもしれません。それよりも、遊戯王の集大成として締めくくるドラマとして筋書きに集中して描かれた結果かもしれません。

まあとにかく、M&Wのようなゲームで勝負するマンガは、ゲームのルールに縛られるせいで読者の予想を超える驚きを与えることが極めて困難だという話でした。

ハンターハンターの話

遊戯王以外のゲームの漫画も考えてみます。
例えば、ハンターハンターのグリードアイランド編ではカードを使ったゲームをプレイします。

ここで面白いのは、わざわざ凝った設定のゲーム世界を用意したのに、バトルでは全然カードを使わないところです。結局念によるバトルになります。

レイザー戦もゲンスルー戦も、まったくカードの出てくる余地がありません。
恐らく、「カード使って勝っちゃったらバトル漫画になんないじゃん」という判断かもしれません。

ゴンが真実の剣というカードを入手した時に、カードを奪われそうになるシーンがあります。
ここでは一応ゲームシステムを使った駆け引きが行われますが、相手は格下のザコです。
考えてみると、カードの駆け引きでしくじるような奴は相当アホに見えますから、まともな敵にそんな事させられないわけです。

じゃあ何のためのカードなのか?という話ですが、収集の目的が大きいです。ゲームをクリアするにはカードを全種類集める必要があります。
大勢のキャラクターがそれを集めるために群がるマクガフィンとして、カードが都合が良かったのかもしれません。

冨樫先生はカードゲームとバトル漫画の相性の悪さ(驚きを作りにくい)を知っていて、だからカードの都合のいい面だけ取り入れたという事かもしれません。

まとめ

私は最初、遊戯王みたいにゲームをやる漫画を描くなら、ルールにのっとって描けばいいだけだから、簡単に描けるんじゃね?というような事を目論んでましたが、よくよく考えてみるとむしろゲームのルールはマンガの展開を縛ってしまって制約が大きすぎるのではないかという事に気付きました。

ゲームのマンガは、ゲームじゃないマンガと比べるとむしろ数倍アイデアを練るのが大変かもしれません。まあ、大変な分だけ面白くなるはなるかもしれませんが。

マンガ自体がすでにフィクションなのに、さらにその中でゲームをするんですから、よっぽどそうする必然性が無いと効果的ではないかもしれません。
ソードアートオンラインでも主人公はゲームをプレイしますが、ゲームの中で死ぬと現実でも死ぬみたいな余分な説明が必要になります。

ただし、遊戯王はカードゲームをするマンガなおかげで、”ごっこ遊びがしやすい”というメリットを生んでいます。
例えば、ドラゴンボールごっこをするにしても、我々は実際には悟空みたいにかめはめ波を撃てません。
ですが、遊戯王なら、我々は遊戯と同様にカードでデュエルする事が可能です。
つまり、他のバトル漫画に比べて極めて精度の高いごっこ遊びできるわけです。
わざわざカードを使ってバトルするマンガを描くのは回りくどい手法ですが、そのおかげでこのようなメリットが得られる点は特筆すべきでしょう。
まあこれはコロコロとかのキッズ向けホビーマンガでも同様ですが。